救いようのない Ⅰ

 午前の講義が終わり、足早に食堂へと向かうリュディガー。


 午後には矢馳せ馬の鍛錬が待っている。


「__おい、リュディガー。今日、どうした?」


「ん?」


 広い食堂で、真っ先に独り食べ始めたリュディガー。3割ほど食べたところに声を掛けたのは、当たり前のように相席をいつもしてくる友人エトムントだった。


 エトムントは同じ年に入学した者同士。年齢は、彼のほうが2つ下。帝都がある首都州マルクト西部、州境近くの街の男爵家出である。


「どう、とは?」


「苛立ってるだろ、今日」


 スープを口に含んだ瞬間に言い放たれた指摘に、手を止めて、むすっ、としてしまった。


 ほら、と呆れられて、リュディガーは食事をすすめる。


「遠いとこ見てるなぁと思ったら、はっ、として急に拳で額を小突いているし。お前にしちゃ珍しく、貧乏ゆすりしてたり__今も」


 はっ、として膝を押さえる。確かに知らぬうちに貧乏ゆすりしていた。


「……こんな感じでいたのか、私は」


「ああ。自覚なしっぽいが、そうだった」


 そうか、とため息交じりにつぶやく。


「……ビルネンベルク先生にイビられたって感じじゃないな。お前、ここのところ、変だったぞ。とりわけ今日はとくに酷い」


 彼はこだわりなく、スープを口に運んだ。


 食前の祈りが習慣から消えたのは、彼と食卓を囲む機会が増えたからだ__思い出した。


「朝から難しい顔をしていて、ちょっとばかし、刺々しいっていうかさ。お前図体でかいんだから、尚更威圧的に映って皆心配しつつも距離とってたの気づいてないだろ」


「……そうか」


 そんなつもりはなかったが、どこか余所余所しい感じがしていたのは気づいていた。


「何があったよ、ナハトリンデン卿。古巣で無理難題言われたか?」


 パンを千切って口へ運ぶ彼は、肩をすくめて促した。


 飄々としているが、彼は意外にも口が堅い。それはどこか、ビルネンベルクに通じるものがある。


 ほらほら、と言葉を楽しげに待つ彼は、こちらが白状するまで待つ姿勢だ。


 彼とはそれなりに深い話__自分が養子であることを覗いて__をしてきた仲。難しい話もできる、とても信頼している友人である。


 __いや、伏せることは増えたか。最近。


 キルシェのこと。


 彼には色々話してはきたが、キルシェ・ラウペンとの間に起きたことは一切言っていない。


 これまで茶化されることはあったが、変に勘ぐられることもなかった。


 キルシェ・ラウペンは彼からすると、尻込みするぐらいの雰囲気の令嬢という評価らしい。だからこそ、下手に関わりたくはないのかもしれない。彼女がいると、少しばかり飄々とした今の彼が息を潜めて、落ち着きが無くなっていたから。


「__ラウペンの令嬢か」


 リュディガーは、不意打ちを食らった心地に、息を詰めて彼を見た。


 やれやれ、とエトムントは肩をすくめる。


「やっぱりな。__彼女がいなくなってから、少しばかり暗い顔つきになって気がするが……。だがとくに、今日はまたどうした? 本当に変だったぞ」


 リュディガーは手にしていた匙をトレイに置いて、背もたれに背中をつけて、食事を眺める。


 そして、ふと食堂を見渡した。


 人はまだまばらだ。皆しかも、窓際の方へ集中して席を求める。


 __彼女は、大抵あそこだった……。


 キルシェは独り静かに、壁際の隅の席で食事をとっていた。ときには、ブリュール夫人等の女学生と明るい席にもいたが、独りのときは大抵そこ。


「まぁ……矢馳せ馬の仲間が減ったから、張り合いがなくなったのは事実だな」


 リュデュガーは息を吐いた。


「……夢を見たんだ。碌でもない夢」


「夢?」


 ぽろり、と言った言葉に、リュディガーは自嘲した。


「とんでもないぐらい、ある人の名誉を傷つけて、尊厳を踏みにじって……寝覚めが悪すぎてな。苛立っていたのは、それだろう」


「それは……」


「私は、クソ野郎なんだな、と改めて自覚できたよ」


 困惑を浮かべる友人に、リュディガーは匙を手にとって人の悪い笑みを浮かべて見せた。


「気にかけてもらって悪いが、そんな感じだ」


 そうか、と頷いてくれるが、どこか解せないままのエトムント。


 リュディガーは、食事を再開する。


 __本当に、俺はクソ野郎なんだ。


「そういうことで、私はさっさと食べて行かねばならない」


「あ、ああ。矢馳せ馬だったな」


 こくり、と頷いて、ややかき込む形で食事を平らげていく。


「心配させた詫びに、今夜、お前の部屋に酒を持参する」


「お、いいねぇ。__気晴らしに付き合ってやるよ」


 得意の早食いは、龍騎士と、龍騎士見習いの頃で培った。その技を大いに駆使して、平らげたリュディガーは席を立って、軽くエトムントに挨拶して食器を下げ、食堂を去った。




 恙無く矢馳せ馬の鍛錬を終え、曇天の下、リュディガーはやってきた乗合馬車に乗り込む。


 その際、周囲を見渡してから、そして乗り込んでからももう一度、窓からあたりを見やった。


 やがて乗合馬車は動き出す。滑り出す景色を切り取った車窓に、落胆のようなため息を吐いて、深く座り直した。


 __何をしているんだ、俺は……。


 今一度、落胆のため息。


 __何を、期待しているんだ……。


 腕を組んで目を閉じるが、気になるのはやはり窓の外。気がつけば再び首を捻って車窓を見ている。


 __探したっているわけがない。


「……夢だったじゃないか」


 __よりにもよって、あんな淫夢……。


 内心、毒づくとより自己嫌悪に駆られ、車窓から視線を外してため息を零し、目を閉じて俯いた。


 すると、妙な徒労感が、リュディガーを苛むのだった。

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