令嬢の選択肢

 どうしたものか、とキルシェは暖炉の炎を遠い視線で眺めながら、思案にふけっていた。


 いざ指導開始__となって一週間。しかしいっかな手応えがあったように思えない。


 あれだけの腕前だ。一週間ぐらいで劇的に変化などするはずがない。期待値を高く持ちすぎるほうが間違いなのはわかっているが、彼は武官だったのだ。それも少数精鋭部隊の。そもそもの潜在能力がありそうなものなのだが__。


「なんとも、悩みの種になったのは、いたたまれない」


 自嘲したように呟かれて我に返ると、湯呑みを配して座るリュディガーがいた。


「その……質問をしても?」


「何でしょう?」


「答えにくかったら、適当に流してくださっていいんですが……どうして、龍騎士をお休みして、大学に?」


「あー……」


 リュディガーはひとつお茶を飲んでから、口を開く。


「中隊長を拝命しまして__部下を持つようになり、教える立場になって、あまりにも自分が無学だと痛感したので」


「無学……」


「龍帝従騎士団は、龍帝の大御心の具現化__ひとつ間違えば、自分の考えこそが正しい、と勘違いしかねない。その解釈を間違って教えないために」


 龍騎士は、鷲獅子グリフォンの意匠を彫って背負っているという。彼らはそもそも、この世の理である天綱の制約が多い龍帝の手足であり、龍帝の意思を運ぶ存在とされている。


「それから多角的に物事を捉えられれば、と。一つの組織に長くいれば、自然と考え方が偏った者の集まりになりやすい。だからこそ、客観的に、多角的に物事を見定められるようにならねばならない、と思ったので」


「……殊勝なことですね」


「私に限ったことではない。考え方の深さはそれぞれですが、龍騎士は皆、心に留めています」


 リュディガーは、ぐっ、と口角に力をこめおおらかな笑みを湛えた。


「学生になるにあたり、クライオンは返上しているのですか?」


 不可知となったかつての英霊__主に龍騎士だった者たちらしい__と、氣多廟けたびょうと呼ばれる廟で縁を得、得物を依代として大いなる力を行使することができるという。龍帝従騎士団が龍を駆る以外にも持てる、特殊な異能であるクライオン。空だけでなく、陸でも向かうところ敵なしとされる由縁である。


「いや、あります。ただ、ここは大学です。武でなく文を重んじますから、武を持ち込ませないということで、封じられています」


「封じられる?」


「老師に」

 

 __レナーテル老師……。


 老師とは学長の敬称。現学長レナーテルは、氏を“翠雨の谷”とする妖精族__耳長エルフである。


 耳長は、里の名前を氏とする慣習がある。元来、故郷を去る耳長は氏を捨て去り“ただの”耳長になるのだが、彼女の場合、里は捨てておらずいずれ戻る心づもりでいるから、氏を保持したままだ。


「クライオンが封じられているから、弓射が弱く?」


「かもしれない__と言いたいところですが、関係ないと」


 そうだったらよかったのに、と笑うリュディガーにキルシェも釣られて笑う。ひとしきり笑い、彼が一口お茶を飲むと、そのまま湯呑みの中をじぃっと見つめた。


「__しかし……こう言ってはなんですが、正直断られると思っていました」


「そうですか?」


「ビルネンベルク先生に、弓射のことを考えたほうがいいと言われていて……おそらく、弓射の教官に言われたのでしょうが、妙案がある、と紹介される前夜呼び出されて……腕のいい学生の弟子になるのはどうだ、と言われました。是非、と答えれば、ラウペンに頼んでみようと思う、と言われ……流石に無理だろう、と」


「お高く止まっているからですかね」


 そんなつもりはないが、あまり交流を持とうとしなかったから、そう思われてしまっても致し方ないことと承知だ。


 __そうせざるを得ないのだから……。


「いや、そうではなく……。__実は、以前、個人的に鍛錬をしようと思い立ち、早朝なら誰もいないだろう、と思って行ったことがあったんです」


「誰もいない?」


「さすがの私でも、あの腕前を人前に晒すのには、抵抗がある」


 これまでの態度をみるにそれほどとは思わなかったが、彼も武官としての矜持はあるのだろう。


「__そこで、鍛錬している君を見てしまって。なら翌日は、と行ってもまたいて、あくる日も、あくる日も……これは、邪魔をしては駄目だと思って止めました」


「邪魔?」


「声を掛けるのも憚られるくらい集中していたので。……ご教授いただく程にまで至っていないから、口惜しいと思っていましたよ。むしろ、諦めろ、と言われそうで、萎縮して眺めているだけでした」


 まさか見られていたとは__あの時間ならば、誰も起きてはいないだろう、と思っていたから、いくらか頬が熱くなり、なんともこそばゆさを覚え、それらをごまかすようにお茶を一口飲む。


「あれだけ射られれば、さぞかし気分もいいだろう、と」


「……まあ、気分転換なのは違いないので。__手慰みですよ」


「それはまた、今の私には嫌味だ」


 何気なく言った言葉に、リュディガーが苦笑する。


「あ、そういう意味じゃなくて……」


「わかっていますよ。冗談です」


 慌ててキルシェが弁解しようとすれば、くつくつ笑ってお茶を口に運ぶリュディガーだが、自身の湯呑みが空であることに気づいたらしい。


 失礼、と湯呑みを持って席を立ち、暖炉へと足をむけると、自身の湯呑みに注いだ銅のポットを手に戻ってきた。


 立ったときに、キルシェのも少なくなっていることを見ていたのだろう。彼は程よくキルシェの湯呑みに注ぐと、ポットを戻して再び着席する。


「……つかぬことを聞いても?」


「お高く止まった私が、癇に障らない質問ならば」


 先程の仕返しとばかりに軽く言い返せば、これはこれは、と彼は笑う。


「__それで、何でしょう?」


「その……なぜ、大学に?」


 学長こそ女性だが、女で大学まで入るのは稀だ。この大学で、女は全体の1割にも満たない。


 差別的に捉え、尋ねる者もいるが、リュディガーの口調から察するに、好奇心はあるものの、侮蔑のそれではないとわかる。


「なってはいけない、という法律がなかったので」


「ごもっとも」


 お互いひとしきり小さく笑いあうと、キルシェは、淹れてもらったお茶を両手で包み込みながら背もたれに身をあずけると、窓の外をみやった。


「__家がそこそこのお金持ちで、衣食住に不安を抱いていない子女の、大抵の道は?」


 尋ねながら、そういえば、とキルシェは思い出す。


 __金持ちの道楽で来ているにすぎない、って噂もあったかしらね。


 内心自嘲せずにはいられない。


 様々な噂がある。よくもまぁこれほど尾ひれがつくものだ、と思えるものばかり。悪意からくるものもあれば、羨望からくるのだろうというものまで__。


「……婚姻、ですか?」


 視界の端で、リュディガーが背筋を正す様が見えた。真摯な顔をしているのも、口調でわかる。リュディガーの答えに、否定も肯定もせず、キルシェは彼を見た。


「__私は、自分で道を拓くためにここに来たのです」


 キルシェは肩を竦めてお茶を一口飲む。


 別に婚姻が嫌だとか、そういうわけではない。政略結婚なようなもので親が決めた相手であっても、そういうものだ、と割り切っているから婚姻することは厭わない。それが持てる者として求められることは承知で、腹は括っている。


 すでにキルシェはそういう年齢。いつそうなるとも限らない。キルシェと同じ年齢ですでに嫁ぎ、子を成している者もいる__それが帝国での当たり前。だが、それでも、自身の可能性を知りたかった。


「__なんて格好いい事を宣いましたが、好き勝手やりたいと言う、ただの我儘ですよ。家では、色々口を出しすぎて、迷惑がられていて……ちょうどよかったんです」


 神妙な空気を追い払うために、そうリュディガーに笑いかけるのだが、彼は難しい顔をして口を引き結んでいた。


「リュディガー!」


 そして、彼が口を開こうとしたとき、談話室の入り口で彼を呼ぶ声に阻まれた。見れば、リュディガーとよく行動を一緒にしている学生だった。


 彼は、リュディガーとともに同じ卓を囲っていたキルシェを見つけ、明らかに怯んだ色を見せた。それでも、意を決して言葉を続ける。


「さ、探したぞ、お前。忘れてるだろ? 夕食前にって、昼に約束しただろうが」


「……あ」


「早く!」


 急かされるも、席を立つのをためらうリュディガーにキルシェが背中を押す。


「行ってください。また明日」


「……すまない」


 なぜ謝るのか__キルシェは内心首を傾げ、湯呑みの中身を一気に飲み干して席を立ち、学友へ向き直るリュディガーを見た。


 一歩、二歩と進んだ彼の足は、しかしそこで止まるので怪訝にしていれば、彼が振り返った。


「キルシェ。私は、一度も君に関した噂、信じたことはない」


 唐突な言葉に、キルシェは面食らう。


「__実際違った」


 さらに畳み掛けるように放たれる言葉。


 あまりにも突然な話題だからどう答えていいかわからず、言葉に窮していれば、言い放った張本人は踵を返して行ってしまった。


 __まだ言葉を交わすようになって、さほど日も経っていないのに……。


 さほど自分は、多くを語っていない。語る必要などないからだ。


 友人に背中を叩かれ、急かされながら談話室を去っていくリュディガー。そして、改めて気づく、談話室に居る皆の視線。


 キルシェは細くため息をこぼして、再び窓の外をみやった。夜の帳が落ち始めた空は、重く濃い色に染まりつつある。

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