ハイパードライブは迷走中
かの名探偵ホームズが、相棒のワトソン博士に語った一節で、「単に物を見ているだけでは駄目だ。観察し、記憶し、何を見ているのかを考えなければ~」というのがある。まあ、ドイルを読んだのは随分と昔なので、正確な台詞ではないだろうが、
別にそれに
例えば、ある日のハイパードライブ中の脳を抱えたままの私は、タクシーの予約時間の調整で、暇潰しに本屋に立ち寄っていた。そして、そんな私の背後で、店員さんとお客さんが話を始めたのである。
「すみません、『めぐみ』という本を探しているんですが……」
「あ、はい、お子さん向けの雑誌ですか?」
確か、就学前の女子用の雑誌にそんな名前があることは、私もなんとなく知っている。
「いえ、コミックスなんです」
「作者名や出版社は判りますか?」
「それがちょっと……。青年誌で連載されていて、もう結構巻数が出ている筈なんですけど」
「はぁ……」
まあ、それだけの情報だと、店員さんも困るだろう。口振りからして、タイトルが正しいかどうかも不明。作者も出版社も不明となれば、絞り込みのしようがない。コミックスを出版している会社の数も、私が子供の頃の比ではないのだから。
しかし、次の一言で私の脳内連想ゲームは繋がった。
「以前、坂本竜馬を題材にした漫画を描いていた方で───」
「あ、判った!」
もう一度念を押しておくが、その時の私は二人に背中を向けていて、会話に参加してもいない無関係者である。大きな声ではないにしろ、その無関係者が返事をしたのだから、さぞ後ろの二人も驚いただろう。
「あ、すみません。お話が聞こえて、つい一緒に考えていたもので───でも解りました。お探しの本は『あ◎み』ですよ。作者は☆山ゆうで出版社は小◇館です」
ヒントは、一:女性の名前のタイトル・二:青年誌連載のコミックス・三:以前の作品の題材に坂本竜馬、である。
この漫画家さんは長編物が多い方でもあり、私が読んだことがあるのはずいぶん以前の二作品だけだ。加えて言えば、この時話題になっていた作品は読んではいない。それでも記憶が連鎖するのがハイパーたる
けれども、くれぐれも念を押しておきたい。例え他人の話が聞こえて来て、その中の問題の答えが判ったとしても、唐突に話し掛けてはいけない。どこからどう切り取って見たとしても、それは明らかに『変な人』と思われるだけなのだ。経験者がいうのだから、間違いない。
同じようにハイパードライブ中のまま職場に行くと、思わぬところで人の秘密を暴露することもある。
乗務員室と呼ばれる、ドライバーが出勤時の諸々の準備や終業時の事務をする部屋があり、そこは食事をする休憩室も兼ねていた。おそらくその時の私は、手持ちの予約の準備をしていたのだと思う。するとそこに、一人の同僚おいちゃんが出勤して来た。「おはようございます」と元気に言ったおいちゃんは、点呼(朝礼の一種)の為に立っていた上司の顔を見て息を呑んだ。
上司が「何だ?」と訊くと、「何でもありません」と即答。「俺の顔を見て驚いたということは、俺に報告するべき何かがある筈だ。隠すな、ちゃんといえ」───全くもってその通りである。動揺してしまった時点で、隠し通せると思うのは甘い。
それでも、「いえ、何もありません。それに、確定ではありませんから……」と粘るおいちゃん。けれども、すでに語るに落ちていた。
一連のやり取りを一切口を挟まずに聞いていた私が「解りました」と言うと、上司とおいちゃんは同様に驚愕した。
「今の会話で何が?!」
「何があったのかが───我々タクシードライバーが、何かをやらかして上司に報告しなければならないケースは三つ。一に事故。でもこれは発生してからの報告ですから、発生した時点で絶対的に確定しています。二は違反。これも基本的に現行犯です。三はクレーム。ですが、クレームばかりは、ドライバーの方では発生する可能性すら判断出来ないので、除外してもいいでしょう。つまり、確定したかしないか後で判明するもので、基本的ではない違反の取り締まりといえば、オービス(速度違反自動取締装置)で決定です」
証明終わり。後は上司にお任せである。
結局、その場での上司の尋問によって、おいちゃんはオービスに引っかかった可能性があることを自白した───が、結局はセーフだったようだ。
しかし、このハイパードライブ状態が良いとは
知らなくていい事を知ってしまうし、判らなくてもいい事を判ってしまう。それは決してお得なことではない。他の人々に煙たがれるのがオチなのだ。
それでもたまには役に立つ。
『あ、あの人、倒れる』とか『具合を悪くしている』と気付くのも、この状態の時だ。
まあ、それらコミコミでプラスマイナス零といったところだろう。
私にとって幸いなのは、このハイパードライブ脳はいつも起動しているわけではないということだ。
困難な仕事が立て込んでいる状態が終われば、あるいは会社側から取得して欲しいといわれた資格試験が終了すれば、ハイパー状態は解除されるのだ。
残されるのは、ある程度の期間、通常より高度な処理能力を強要されたお脳の抜け殻───もしくはぬらりひょんもどき。
いつも通りに、徘徊する金魚鉢の中から、ぼんやり・のほのほと世間を眺めている金魚一匹に戻るだけというお話。
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