第5話 ラノベは文芸世界における「能」だと思う

 あらかじめ、異論があるであろうことは認めておきます。

 これはあくまでも私個人が思っている事です。


 ラノベとはライトノベルの略語でLightとNovelを組み合わせた和製英語なわけですが、その他の小説との違いの定義はかなり曖昧でハッキリとはしていません。

 Wikipediaによるとライトノベルの定義については以下のように書かれています。(Wikipediaの記載内容を検証するわけじゃないので引用部分は読み飛ばしてくださって結構です。)



◇◇◇ 以下、Wikipedia「ライトノベル」より抜粋◇◇◇


ライトノベルには、はっきりとした必要条件や十分条件がない。このため「ライトノベルの定義」についてはさまざまな説がある。「ライトノベルを発行しているレーベルから出ている」「出版社がその旨を宣言した作品である」「マンガ・萌え絵のイラストレーション、挿絵を多用し、登場人物のキャラクターイメージや世界観設定を予め固定化している」「キャラクター描写を中心に据え、漫画のノベライズのように作られている」「青少年(あるいは若年層)を読者層に想定して執筆されている」「作者が自称している」など、様々な定義が語られている [3][4][信頼性要検証]が、いずれも客観的な定義にはなっていない。


2004年に刊行された『ライトノベル完全読本』(日経BP社)では、「表紙や挿絵にアニメ調のイラストを多用している若年層向けの小説」とされていた [5]。榎本秋は自身の著書における定義として「中学生/高校生という主なターゲットにおいて読みやすく書かれた娯楽小説」と記している [6]。あるいは「青年期の読者を対象とし、作中人物を漫画やアニメーションを想起させる『キャラクター』として構築したうえで、それに合わせたイラストを添えて刊行される小説群」とするものもある [7]。森博嗣は、著書『つぼねのカトリーヌ』(2014年)において、「会話が多く読みやすく、絵があってわかりやすい小説」だとしている。あるいは、「マンガ的あるいはアニメ的なイラストが添付された中高生を主要読者とするエンターテインメント小説」とするもの [8]、「アニメ風の表紙や挿絵。改行や会話が多い文章」とするものもある [9]


作家側も発行レーベルや対象読者層など、ライトノベルとそれ以外の小説を必ずしも区別して執筆しているわけではない。また、出版社側も明確にライトノベルと謳っているレーベル以外では、ライトノベルとそれ以外の小説の線引きを行い、出版しているわけではない。角川書店で毎年夏に展開されている「発見。角川文庫 夏の100冊」に於いても、一般小説に混じってライトノベルが紹介されており、2010年度版以降は『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』『海の底』など、角川文庫から再刊行された作品が収録されている。


◇◇◇ 引用ここまで ◇◇◇


 おお・・・引用だけでエライ字数を稼げた・・・



 とまあ、ゴチャゴチャ書かれてはいますが、私が思うライトノベルとは「説明を省いた小説」です。


 ライトノベル以外の小説なんか読んでみると、情景や世界観や場面の背景を説明する文章が非常に多いです。読んでいればその場面での情景などが目に浮かんでくるような描写は文芸の世界で小説という分野に求められた一つの理想だったわけですからそれも当然でしょう。


 対して、ライトノベルにはそうした描写が殆どありません。読者もそんなものを期待していません。


 例えば「主人公が連れてこられたのは中世ヨーロッパ風の城だった。」みたいな記述とかが平気である。

 これは欧州の城郭や軍事史について多少なりとも知識のある人は「はぁ?」となるような表現です。


 古代の欧州では「ハドリアヌスの長城」みたいな例外を除けば、日本人が想像するような恒久的な軍事施設としての城はほぼ存在しません。多分、見れば「え、これが城?砦でしょ?」って言いたくなるような物しか作られていません。

 欧州における「城」は中世で始まって事実上中世で終わっていて、「中世」と呼ばれる千年の間に物凄く変化しています。そして近世以降は軍事に特化して要塞(星形要塞)に変貌したか、政治的文化的に特化して王侯貴族の屋敷に「城」の名を冠して軍事的な存在意義を失っているかのどちらかですが、両者の姿は大きく異なります。


 細かく説明すると本一冊書けちゃうんでそれ以上は省きますが、小説ならばその城がどういう城でどれくらいの規模でどういう風に見えるのかというような描写をキチンと書いて決して「中世ヨーロッパ風」の一言で片づける事はしません。


 でもラノベ読者にとってはその一言で十分なわけです。


 これは決してラノベ読者がバカだとか知識がないとかいう風に批判しているわけではありません。たしかにラノベ読者の中には知識が足らない人もいるでしょうが、そう言う人ばかりがラノベを読むわけではありません。大学とかで専門的に勉強している人だってラノベは読むんです。


 じゃあ、なんでラノベ読者は簡単な一言だけで十分なのか?


 そもそも、細かい説明や情景描写をラノベ読者は必要としていないからです。求めていないんです。むしろ邪魔なくらいに思っている。

 これはラノベ以外の小説の売れ行きが落ち込んでいる理由でもあります。


 ラノベ読者がラノベに求めるのは純然たる「ストーリー」だけなのです。


 ストーリー以外の情景描写や世界観の説明なんかは、ストーリーを理解する上で必要となる分しか要らない。そして、それ以外はむしろ邪魔なくらいです。


 中世以前はメディアが発達しておらず、「世界」は自分たちが行き来できるところまでしか知らない。だから作家も自分とは異なる常識を持つ世界の読者に作品世界について描写して説明する必要性を知りませんでした。だから、大昔の文芸作品は情景描写や世界観の説明がありません。

 近世になって、色々な世界がつながるようになって細かい情景描写や世界観の説明が当たり前のように求められるようになり、今風の小説が文芸の世界で主流を占めるようになります。


 そして現在、メディアが発達しすぎたおかげで、一つの作品の中で世界観を描写する必要性が無くなりました。細かな説明をしなくても読者は「ああ、ドラクエみたいな世界ね。」みたいに他の作品を思い浮かべて理解してくれる。

 そういう読者が当たり前にいる社会では、それまでの小説では当たり前だった世界観の説明なんかは、うざったいだけで面白くも何でもないわけです。


 そういう読者の存在を踏まえて説明を省いた「ストーリー」だけを提供するラノベ作家は、読者と慣れ合っていると言えなくもありません。

 そうだからこそ、読者と慣れ合う作家たちは第三者から見れば嫌悪の対象にしかなりませんから、ラノベやラノベ作家やラノベ読者が、それまでの作家陣や小説読者層がある意味見下すような態度を示すのも仕方ないと言えなくもありません。


 ただ、同時に「わかっている客」に対して余計な説明を押し付けるのは、提供する側のエゴでもあるし、押し付けられる客からすれば「野暮」以外の何物でもないんですよ。



 とまあ、長々と書いてきましたが、ラノベというのは余計な説明を省けるだけ省いて「ストーリー」だけを売りにする文芸だと思います。余計なものを省けるだけ省く芸術・・・演劇の世界では「能」がそうですよね。


 能は背景などの舞台装置や小道具大道具なども物語を進めていく上で必要となる最小限度のものを除きすべて省きます。じゃあ、それは舞台演劇として「手抜き」なんでしょうか?

 決してそんなことはありませんよね?

 むしろ、余計な物を省いて行くことに価値を見出した芸術です。舞台作家や歌舞伎役者なんかで「能は手抜きだ」なんて言う人はいないでしょう。


 ラノベとラノベ以外の小説もそういう関係と考えるのがいいんじゃないかと思います。両者の守備範囲は重複していて定義があいまいである以上、棲み分ける必要まではないでしょうが、方向性としてそういうものなんだと理解しておけば互いにいがみ合うこともないし、作家が読者との距離感を測りながら自分の途を探していくのに役立つんじゃなかろうかとも思います。慣れ合い過ぎず、それでいて野暮にならないようなバランスはになるためには必要不可欠なものでしょう。


 私は野暮が大好きなので、ラノベで扱うような題材をあえて古いスタイルで書いていますが・・・(´・ω・`)


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