初めての夜
リディは顔を真っ赤にして声を荒げる。
「なんで一緒の部屋で寝るの! おかしいでしょ」
「おかしくないだろ」
あまりにもこともなげにギルが言うので、リディは戸惑ってしまった。
「家族でもない男と女が同じ部屋だなんて……もしかして、帝国じゃ常識なの?」
「常識云々じゃなくて、女一人が安全に宿泊できるほど、この街の治安はよくないってことだ」
げんなりするギルだけれども、納得してもらわないと寝られなそうだと、しかたなく説明する。
「あのな、食堂にいたような連中がこの旅館に寝泊まりしているんだよ。なんかあっても、俺は助けに行ける保証はない。気がついていないだろうが、この旅館、防音対策用の魔道具がしっかりしている。だから、俺たちがどんだけ大きな声を出しても、文句一つ言われない。だが裏を返せば、なにか起きたときに助けを求めたって、誰にも届かない。若い娘が一人で寝泊まりしているとか、悪いことを考える輩には格好の獲物だ。俺が言っている意味、わかるな?」
「むっ」
ギルの言うことは、もっともだ。防音対策用の魔道具についても、女一人で寝泊まりする危険性も、リディは反論できない。
とはいえ、リディは若い娘で、ギルは男だ。
食堂にいたような輩でなくても、彼も同じくらい危険なのではないか。
(ここは、ギルを信用するしかないのね)
一人で寝る危険性と、ギルの信頼度は、天秤にかけるまでもなかった。けれども、一度拒絶したのに素直に認めるのは癪に障る。
「わかったわよ。でも、わたしに……」
「なにもしねぇよ」
みなまで言わせずに否定されるのも、それはそれでプライドが傷ついた。
(な、なによ。そりゃあ、わたしはガリガリに痩せているけど、そんなに女として魅力ないなんてことは……)
ないと思いたかった。
ギルの女の好みを知っていたら、もしかしたらショックはいくぶんやわらいだかもしれないけれども。
言いたいことはあったけれども、言ったら余計に悔しい思いをするだけだとわかりきっている。
「フン。わたしに指一本でも触れたらただじゃおかないからね」
「はいはい。おやすみな」
大きなあくびをしたギルは、リディがベッドに横になるよりも先に寝椅子に体をあずける。
(絶対、眠れないわ)
彼が呑気な寝息を立て始めるまで、リディは警戒をとかなかった。ほとんど意地だ。
もうすでに彼を信用しているのに、認めるのはどうも癪に障るのだ。
わざと時間をかけてベッドに横になると、彼女は胸元の聖石の上に両手を重ねた。
「今日という日も、安らぎの夜を迎えたことを、感謝いたします」
絶対に眠れないと思っていた彼女だったけれども、すぐに眠気に襲われた。
(男がいるのに)
ギルの規則正しい寝息が、さらに眠気を増幅させる。
オイルランプのオレンジ色の灯りが、温かい安心感を与えてくれる。
眠気に抗えずにまぶたを一度閉じると、もう開けられなくなった。
(もしかして、あいつ……)
明かりをつけたままにしたのは、彼の気遣いだったのかもしれないと、リディは眠る直前にようやく思いいたった。
リディが深い眠りについてしばらくした頃、ギルは静かに体を起こした。
ブランケットの下から取り出した真鍮のボールを、黒い右手の手のひらに乗せた。上部を右にねじって、つまみを出す。すると、ボールは小さなノイズを発し始めた。さらにつまみを右に左に回して調節するうちに、ピタリとノイズがやみ、ボゥっとボール全体が金色に輝く。
一度リディが起きていないか、ベッドをみやって確かめてから、ボールに向かって囁いた。
「こんな時間に悪いな、サガ」
『かまいませんよ、まだ仕事してましたし』
若い男の声が、ボールから返ってきた。
真鍮のボールは、小型の通信魔道具だ。
「そうか。で、なにかわかったか?」
『いえ、聞き取り調査がなかなかはかどらなくて、目新しい情報はありませんよ』
「だろうな。焦らず続けてくれ。時間がかかるのは、はなっからわかってたからな」
『ですね。ったく、対象が多い上に範囲が広すぎるんですよ』
通信魔道具ごしに聞こえたため息に、ギルは苦笑する。
『で、そっちはどうなんですか?』
「こっちも、時間がかかりそうだ」
『そうですか。それで、要件はなんですか?』
「ああ、別件のほうでな」
『別件……陛下が招き入れたという女の?』
別件と聞いて、相手の声が曇る。
「そうだ。その女のことで頼みたいことがある」
かまわずにギルが続けると、またため息が聞こえてきた。
『先に言っておきますけど、修学院に入れるのは無理ですよ』
「サガ、どういうことだ」
思わずギルは身を乗り出した。
まさにサガが言った通り、ギルは魔力を覚醒させたリディを魔法学校とも呼ばれる施設に預けようとしたのだ。
なぜと浮かんだ疑問の答えは、すぐにわかった。
「皇帝陛下は、すべてお見通しってか」
『はい、つい一時間ほど前に聖宮からお達しがあったんですよ』
「まいったな」
リディの魔力量をかんがみて、この国になれるよりも先に魔力をコントロールできるようにさせるのが優先させるべきだった。
(陛下も、何を考えているんだ。いや、ただ単に、俺を困らせたいだけか)
意地悪く笑っている皇帝の顔が目に浮かんできた。
『ギル、悪く思わないでほしいんですけど、僕も陛下のお考えに賛成です』
「リディア・クラウンは、かなりの魔力の持ち主でもか?」
『ええ、それに彼女の受け入れに反対する者も多くて……』
「あー」
『小耳に挟んだ話では、マオ様に諌めてもらおうとしている輩もいるとか』
「まじか。マオ様まで巻きこむとか、頭おかしいだろ。馬鹿なのか。そいつら、長生きできないな」
『それだけ、国外の人間を帰化させるのは、歓迎されないんですよ。ギルも身に覚えがあるでしょ』
「ありすぎるくらい、あるな」
ギルはすっかり失念していた。
修学院のある神都ハウィンで、異国から来た自分がどういう目で見られていたのか。それはもう、露骨に嫌われた。目の前で皇帝に追い出すように苦言を呈されこともある。嫌がらせなら、数え切れないほどある。
(リディには、耐えられんだろうなぁ)
やはりリディの保護者としてしばらく面倒を見るのが無難だと、ギルは納得した。
「参考までに訊くが、サガ、お前はどうなんだ?」
『リディア・クラウンの受け入れにつていですか。僕はその人のことを知りませんから、反対も賛成もしませんよ。ただ……』
「ただ、なんだ?」
『ただ、その人が不幸になるなら、今すぐこの国を出ていってもらうべきですよ。神の国は、楽園ではありませんから』
サガらしい答えに、ギルは苦笑する。
「それは心配しなくていい。リディは、俺たちが聞いていたよりも、びっくりするくらい強いぞ」
『楽しそうですね。なによりです』
「おいおい、今日は散々振り回されたんだ。先が思いやられ……」
ベッドで物音がして、ギルは息を潜める。
リディが寝返りをうっただけのようだ。
「無駄話が長くなったな」
『そのようですね』
「じゃ、引き続きよろしく頼む」
そう言って、ギルは通信を終了して魔道具をもとに戻して横になる。
(マオ様に、ねぇ)
あの皇帝の意思を変えさせるのは、難しい。ほとんど不可能と言ってもいい。
けれども、皇帝がかわいがっているマオならばと考える者は、いつも一定数は聖宮にいる。
(馬鹿な連中だ。それが寿命を縮めることになるかもしれないってのにな)
窓の外に、皓々と輝くまどかの月が見える。
まぶたを閉じた彼の口元には、まったく含みのない笑みが刻まれていた。
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