第20話 キオネの過去と故郷の鐘

「これはいったいどういうおつもりですか、叔父様!」


 その日は強い雨の降る夏の終わりだった。

 アステリアにとって父にあたる先代オルテキア辺境伯がクルマエビの事故で亡くなり、葬儀を終えた翌日。

 突如として先代の弟。アステリアの叔父に当たるクレイテス・オルテキアが屋敷に大所帯でやって来て占拠した。


 先代オルテキア辺境伯の側近や使用人、アステリアの従者に至るまで屋敷から追い出され、残されたのはアステリアだけだった。


「どうもこうも、この屋敷はオルテキア選帝侯のもの。

 次期選帝侯である私が住むのにふさわしい」


 叔父はアステリアの言葉に、食事をしながら平然と答えた。

 されどアステリアも簡単には譲らない。

 先代の遺言により、選帝侯権の相続順位第1位はアステリアと定められていた。


「取り決めと違います。

 次期選帝侯は私。叔父様は私が成人するまでの補佐役という決まりのはずです」


「10歳の小娘に選帝侯は務まらない。

 皇帝陛下も若すぎる選帝侯に難色を示しておられる」


「皇帝がなんだというのですか。

 たとえ陛下といえど、選帝侯相続権に対して関与は出来ないはずです」


 アステリアは正論を言うが、叔父はまともに取り合おうとしなかった。

 これ以上話を聞くつもりはないと、最後通牒を突きつける。


「既に決まったことだ。

 大人しく言うことを聞くのなら、君の母親の出身地をくれてやろう。

 これ以上我が儘をいうのなら、オルテキアの名を捨て出て行くことになるだけだ」


 その言葉についに我慢できなくなったアステリアは、食事の席へと駆け寄り、叔父へと殴りかかった。

 だがその拳は、屈強な、鼻の頭に傷のある大男によって遮られる。


 殴られる寸前だったというのに悠々とワインを飲む叔父。

 アステリアは傭兵に取り押さえながら、喚くように言った。


「誰かが選帝侯の相続権に対して裏から手を回した!

 父様と母様も事故じゃない! 誰かに殺されたんだ!

 そんなことをする奴はあんたしかいない! あんたが両親を殺したんだ!!」


「食事の邪魔だ。つまみ出せ。

 2度とオルテキアの領地を踏ませるな」


 傭兵――ゲルハルト・マガトはアステリアの身体を担ぎ上げ、屋敷の扉から放りだした。

 裸足のまま雨の降る野外に放り出され、アステリアは刺すように鋭い視線でマガトの姿を睨んだ。


「殺してやる。

 あんたも、クレイテスのクソ野郎も――」


 その瞬間、アステリアは目の前が赤く染まった。

 マガトの振るったハサミが、アステリアの右目の下を切り裂いていたのだ。


 攻撃によって雨の中に倒れ込み、痛みを感じて右目を強く押さえる。

 そんなアステリアを見下ろして、マガトは低くくぐもった声で静かに告げた。


「殺すなどと軽々しく口にするな。

 殺意を向けた以上、殺されても文句は言えない。確実に殺せる相手以外に殺意は見せぬことだ。

 雇い主はつまみ出せと言ったからお前は殺さないでおいてやる。

 だが今すぐにオルテキアの地から立ち去ることだ。留まるようならば、その時は殺す」


 アステリアは痛みから涙を流すも、この場に留まることは出来なかった。

 雨の降りしきる中、血の止まらない右目の傷を押さえて、裸足でオルテキア候の屋敷から走り去る

 行き先のあてなんてない。それでも必死に走り続けた。


          ◇    ◇    ◇


「あ、起きた?」


 クルマエビに揺られ、朝から長いこと寝ていたキオネが目を覚ます。

 彼女は髪で隠された右目を手で軽く触れて、その手を見やると安心したように一息ついた。


「どうかした?」


「別に。ちょっと昔のことを思い出してただけ。

 あんた――見かけによらず器用ね」


 キオネはこちらが縫っていたハンカチを取り上げるとそう感想を述べた。


「縫いかけのまま寝てたから、続きやっといた。

 やらない方が良かった?」


「いいえ。手間が省けて助かったわ。ありがとう」


 キオネは出来上がった白いハンカチを受け取るとカバンへとしまう。

 それから物憂げに、外の景色を眺め始めた。

 もうすぐオルテキア領ね、なんて呟くので尋ねる。


「オルテキア辺境伯だっけ。キオネの実家。選帝侯だったんだよね」


「なんで知ってるのよ」


「テグミンが言ってた。オルテキア辺境伯がなんかして選帝侯権失ったとか。

 キオネはオルテキアの娘だったんだよね」


「いらないことばっかり覚えてるわね」


 キオネは不満そうにしてため息をつく。

 でもこちらの質問を遮るつもりはなさそうなので、オルテキア辺境伯について問いかける。


「辺境伯ってことは、外様大名みたいなもの?」


「その外様大名が分からない」


「ええと、つまり、最高権力者からあまり信頼されてなくて、国の端っこの領地に押し込められた権力者階級ってこと」


 キオネはかぶりを振った。


「そうではないわね。

 むしろ絶大な信頼を寄せられているからこそ辺境伯なのよ」


「そうなの?

 理由聞いてもいい?」


 キオネは面倒くさそうな表情を見せるも、こちらの思考能力を試すように問いかける。


「辺境伯はその名の通り辺境に領地を持ってるわ。

 オルテキア辺境伯はカーニ帝国の東の端っこ。

 その更に東には何があると思う?」


「国の端っこの向こうは海――

 じゃないのか、内陸国だと。

 そうか。他の国があるんだな」


 島国であれば端っこの向こう側は海しかない。

 だが内陸国なら話は別だ。


「そういうこと。国、というか異教徒――エビ教徒の支配地域ね。

 辺境伯ってのは異教徒との最前線に身を置く立場なの。

 当然攻め込まれれば一番に戦わなければならないし、帝国が進める最大事業である東方植民計画にも参加して異教徒から領土を奪い取らなければいけない」


「大変な役職なんだ」


「見返りも大きいけどね。

 異教徒から奪い取った土地は自分の領地に組み込むことが出来る。

 帝国内の多くの地域から、植民支配地域の開墾に労働力を徴収することが出来る。


 その分責務が大きいのも事実よ。

 ただ戦いに強いだけではダメ。

 異教徒から奪ったばかりの土地を発展させなければいけないし、カニ教の教えを広めなければいけない。

 何より、皇帝や他の選帝侯から絶大な信頼を保ち続けなければいけない」


「確かに、信頼できない人間が敵国との最前線に居たら不安になるよな」


 常に最前線におかれているから大きな兵力を有している。

 国内から労働力をかき集めることが出来る。

 そんな辺境伯が信頼できない人間だったら。

 いつかその強大な戦力が国内へ向けられるかも知れなかったら。

 皇帝を始め、選帝侯達は気が気でないだろう。


「そういうこと。

 その点、父は辺境伯という身分にふさわしい人物だった。

 皇帝やカルキノス家、変わり者のプラウテス家とも各大司教とも上手くやっていた。

 決して優しくはなかったけど、私にとっては自慢の父だった」


 家族の話をするキオネはいつもより表情が柔らかい。

 彼女にとって家族はやっぱり特別な存在だったのだろう。


「テグミンと会ったのもその関係?」


「そうね。前の皇帝選挙の時、年も近かったから一緒に遊んでいたの。

 当時は偉そうなことを言ったわ。

 相続権最下位なんて先がないから、私の配下にしてあげるだなんて言ったものよ」


 キオネは笑顔すら見せて当時のことを語る。

 だが直ぐにその笑顔は消えてしまう。


「今となってはバカな話でしかないわ。

 今もあの子は選帝侯家のご令嬢で、かたや私は身寄りの無い泥棒よ」


 そんなキオネの顔をじっと見つめていると、彼女は眉をひそめて「言いたいことがあるならはっきり言え」と悪態をつく。

 その言葉に甘えて、言いたいことをはっきり言うことにした。


「キオネの笑ってる顔、初めて見たなと思って」


「だったら何だってのよ」


 彼女は不機嫌を隠さず返した。

 それに対して率直に、思っていたことを告げる。


「普段の澄ました顔も好きだけど、笑っているともっと可愛いと思う」


 素直に、自分の気持ちに正直に伝えた。

 だがキオネはそれに対して表情を歪める。

 照れてるとかそういうのではない。


 キオネは筋金入りのひねくれ者だ。

 こちらが容姿を褒めたところで、決して言葉通りに受け取ったりしない。


「精神を病んでいるわ。

 療養した方が良い」


「キオネがそう言うならそうするよ

 それで、療養の話はさておきオルテキア領では何をしたらいい?」


 問いかけに対してキオネは「本当に大丈夫か」と不安めいてこちらを睨んだが、ため息一つつくと話し始める。


「基本的にあんたは何もしない。

 私のやることに一切口だし禁止。

 ただし、相手が手を上げるようなら死ぬ気で私を守りなさい」


「分かった。きっちり守る。

 それに、ちゃんと見届けるよ」


 キオネは「どうだかね」と悪態をついて、また物憂げに窓の外へと視線を向けた。

 大きな壁に覆われた街が視界に入る。

 時は夕暮れ時。太陽が地平線の向こうに沈み、空が藍色に輝く頃、街から鐘の音が響く。


 正午を告げる鐘とは違う、澄んだ音色の美しい鐘の音。

 キオネは目をつぶって聞き入っていた。


 鐘の音色が空気に溶けていくと、キオネは説明してくれる。


「街の時計塔の鐘よ。

 あれが鳴らされるのは、太陽が沈む頃と、人が亡くなった時。

 遠くへと旅立つものへ、きっと戻ってくるようにと鐘の音で送り出すのよ」


 沈んだ太陽は朝になれば戻ってくる。

 同じように、亡くなった人も戻ってくるようにと祈るように鐘が鳴らされるのだろう。


「懐かしい?」


 キオネに問うと、彼女は小さく頷いて応えた。


「そうね。

 6年は、私にとって長い時間だったわ」


 肘をついて窓の外を眺めるキオネ。

 そんなキオネと僕を乗せたクルマエビは、オルテキアの街へと到着した。

 

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