第9話 選帝侯令嬢と帝国騎士②

 テグミンはオピリオと合流し、街の中央通りを真っ直ぐ進み、市街にある修道院へと向かった。

 修道院はアウストラリス派のもので、ゴットフリードがボレアリス派の街となった時点で当初の役目を終えた。

 今では貴族や大商人などが訪れた際の滞在用にと、領主の好意で整備がされていた。


「アクベンス伯爵の許可は得ています。

 ここを拠点として調査を行うのがよろしいかと」


 オピリオはテグミンへと提案する。

 威風堂々とした態度。引き締まった身体と、カーニ帝国の紋章が刻まれた金属製の軽鎧を身につけた彼は、まごうことなきの帝国騎士だ。


 20も歳が離れていたが、テグミンにとって彼は兄のような存在だった。

 カーニ帝国皇帝とカルキノス家の連絡役を務めるオピリオとは、幼少の頃より付き合いがあったのだ。


「ええ。そうさせて頂きましょう」


 テグミンは頷く。

 それからオピリオへと尋ねた。


「ところでオピリオ殿、怪我の具合はいかがですか?

 お医者様の話では回復に3日はかかるとのことでした」


「自分も騎士の端くれです。

 あの程度の怪我、1日もあれば治ります」


 オピリオは胸を張って答えた。

 だがテグミンは彼が先ほどから腕をかばうようにして歩いているのを見逃して居なかった。

 傷はまだ完全に治ったわけではない。

 そんな状態で安静にせずエリオチェアから遠く離れたゴットフリードまで移動してきたのだ。

 騎士とは言え、しばらく戦闘は難しいだろう。


「エリオチェアではあのような醜態を晒してしまい申し訳ございません。

 賊相手とは言え、油断せず構えるべきでした」


「いえ。元はと言えば荷物を盗まれたわたくしが悪いのです。

 オピリオ殿には何の責もありません」


「お言葉は嬉しい限りです。

 ですが未だ賊も捕らえられず――」


「その泥棒については気にする必要はありません。

 わたくしは違法薬物の調査をしに来たのですから」


「かしこまりました。

 ですがまずはこちらに」


 修道院に入ると、オピリオの案内で1階の部屋へと案内される。

 そこの机の上には、テグミンがエリオチェアで盗まれた旅行カバンが置かれていた。


「闇市で売却された物を取り返しておきました。

 全てではありませんが、ご確認ください」


「ありがとうございます!

 ――ちなみに、家には連絡を?」


 買い戻すとなればお金が必要だ。

 そのためにカルキノス家へと連絡したのではないかとテグミンは尋ねた。

 荷物を泥棒に盗まれたなどと、家の人間には決して知られたくないことなのだ。


「いえ。しておりません。

 ただ売人に盗品だから返すようにと言って聞かせただけのことです」


「そうですか。それなら――」


 良かったと言いかけてテグミンは口をつぐむ。

 言って聞かせて取り返せるわけはない。売人だって生活がかかってる。

 少なからず武力をちらつかせたのだろう。

 この件についての損失は、一方的にその売人達へと押しつけられてしまったのだ。


「次からは荷物の管理には細心の注意を払います。

 何はともあれ、こうして戻ってきたことには感謝しないといけませんね」


 テグミンは旅行カバンを開ける。

 私物が入っているため、オピリオは見ないようにと目を背けた。


 手早く中身を確認。

 換えの服や、調査対象の街について調べた手記、そのほか旅の道具など。

 貴族の証である銀製のナイフはなかった。高価であり目立つもののため、ここにないと言うことはまだ泥棒が持っているのだろう。

 その他、肌着類もいくつかなくなっている。

 なかなか手に入らない一点物の高級品ばかりだ。売るのは惜しかったのだろう。


 荷物を確認しながら、テグミンは違和感に気がつく。

 カニ魔力を行使。カニの耳によって周囲のカニが検知される。小さな反応が無数に存在している。


「どうでしょうか。

 足りない物があれば、衛兵に連絡してエリオチェアの闇市を探させますが」


 オピリオが後ろを向いたまま声を投げた。


「いえ。これだけで十分です。

 今はゴットフリードの調査に専念しましょう」


 小さなカニの反応が1つ、テグミンの袖に飛び乗った。

 テグミンは旅行カバンを閉じてオピリオへと向き直る。

 後ろで手を組んで、彼へと笑顔を見せると、調査開始を提案した。


「まずはわたくしから、これまで分かった内容について報告させてください」


          ◇    ◇    ◇


 ボレアリス派の教会。

 中央奥に鎮座するカニ像を目の前にして、キオネは両手を重ねて頭を垂れ、祈りを捧げていた。


 長い時間、一心に祈りを捧げるキオネ。

 そんな彼女の様子を見て、教会の牧師がそっと歩み寄ると声をかけた。


「随分と熱心に祈りを捧げていらっしゃいますな」


「これは牧師様。

 お声をかけて頂き光栄です」


 キオネは余所行きの態度を作って牧師に応対する。

 そしてすかさず手にしている聖書をちらつかせた。


「巡礼の旅ですかな。

 いやはや、若いのに素晴らしいことです。

 それにこのような小さな教会にまで足を運ぶとは」


「信仰に大きいも小さいもありません。

 何よりも祈る意思が大切でしょう?」


「ええその通りですとも。よく学んでいますな。

 巡礼はどちらまで足を運ぶおつもりですかな?」


「今回はディロス辺境伯領まで行くつもりです」


 行き先に牧師は驚いて息をのんだ。

 カーニ帝国東端、ディロス辺境伯領。帝国が進める東方植民事業の最前線であり、異教徒との戦いの地でもある。

 戦いが続くことから民衆は信仰に熱心ではあるが、治安が良い場所とは言えない。


「ご婦人お1人でディロス辺境伯領を訪ねるおつもりか?」


 キオネは小さくかぶりを振ってみせる。


「1人で旅するには危険な場所だとは存じております。

 道すがら、ボレアリス教徒の傭兵を雇うつもりです。

 ですが女の一人旅ですから、誰でも良いというわけではありません。

 信頼出来る方でなくてはいけないのです」


 牧師は大きく頷いて賛同する。

 キオネは続けた。


「そこで東部地域に詳しく、信頼できる傭兵を探しております。

 全く心当たりがないわけではありません。

 以前オルテキア領で世話になった、マガトという名の傭兵がいます。

 彼ならば全幅の信頼を寄せて巡礼の旅に同伴して頂けると考えております。

 牧師様はそのような名の傭兵をご存じありませんか?」


 キオネが出した傭兵の名前に、牧師は手を打って頷いた。


「ゲルハルト・マガト様ですかな?

 ああ、なんたることや。つい先日こちらにお出ででした」


「ええ間違いなくそのお方です。

 入れ違いになってしまったようですね。

 どちらへ向かうかお聞きではありませんか?」


「新しい傭兵団のために人を集めているそうで、デュック・ユルへと向かうと言っていましたよ。

 あちらの教会へと手紙を書きましょうか?」


 キオネはその申し出を断る。


「いいえ、その必要はありません。

 全ては巡り合わせですから。出会えるかどうかは神様に委ねたいと思います」


「分かりました。

 どうかあなたの旅に神様の祝福がありますように」


 牧師から祝福を受けて、キオネは深く頭を垂れると礼の言葉を述べた。

 

          ◇    ◇    ◇


 オピリオのことを伝えようと教会へ向かう。

 ちょうど正門にたどり着いたところで、キオネが出てきた。


「キオネ大変だ。

 エリオチェアで倒したあの騎士がこの街に来てて――」


「知ってる。

 テグミンもついて行ったんでしょ」


 教会に居たキオネがそのことを知っているのは意外で、拍子抜けしてしまった。


「え、でも心配じゃないの?」


「どうして?

 私たちと居るより正規の護衛騎士と衛兵に守って貰った方が安全だし、調査も進めやすいでしょ」


「そう言われると、その通りだ」


 向こうは帝国騎士。

 対してこちらはその騎士を倒してしまった不埒物と泥棒だ。

 選帝侯令嬢がどちらと行動を共にすべきかと問われれば、答えは考えるまでもない。


「あ、でもテグミンがキオネの盗みについて知ってるみたいだった」


「宿場町の時点でバレてたでしょうね。

 あの子はカニ様の耳を持っていることだし」


「それってどういうこと?」


「秘密」


 肝心な部分についての説明は拒まれた。

 話題を切り替えて、テグミンが口にしていたことを確認する。


「テグミンがキオネと前に会ったことがあるって言ってたけど、キオネは覚えてる?」


 その質問にはキオネはため息をつくと、気怠そうな顔をして答えた。


「昔ね。

 社交界で顔を合わせたわ。


 でも妙なのよね。

 8年経っているし、顔も隠してるからバレないと思ってたんだけど。

 ――あんた、私の聖書テグミンに見せてないでしょうね」


 追求を受けて思わず目をそらした。

 だがそれを見てキオネは聖書を見せてしまった事実に感づく。


「今回はバレた方が都合が良かったから良いわ」


 キオネはそう言って、聖書について怒ることもなかった。

 それからテグミンについて話し始める。


「昔は貴族連中と話す機会もあったのよ。

 そういう事情だから、あの子がバカみたいに主張してた貴族が戦うことの意味については理解してるつもりよ。

 誰だって戦いは怖い。

 誰かが最初に戦う勇気を出さなければいけない。

 貴族はその一番目を務めるの。民に先んじて最も危険な役割を買って出る。貴族が戦うから民衆も戦える。

 そうして信頼を勝ち取って始めて貴族は貴族たり得るのよ」


「テグミンに言ってあげればよかったのに」


「言ってどうすんのよ。

 オピリオが来てるのよ。私たちとはすんなり別れられた方が都合が良いでしょ」


「それであんな言い方したのか」


 キオネがテグミンに対してきつい物言いをしていたのは、こうして喧嘩別れを装って後腐れなく別れるためだったのだと今になって分かった。


「私たちとは別れたほうがあの子のためよ。

 あの子はもう立派な貴族だわ。

 誰だって戦うのは怖い。貴族だってそうよ。それでも恐怖と共に戦うことが出来た。

 だからあの子は一人前よ。

 必死に貴族の勤めを果たそうとした。結果は散々だったし、誰も後にはついてきてくれなかったけどね。

 上手いこと違法薬物の調査を終えられたら、相続権は無いなりに、良い貴族になれるんじゃない?」


 なんだかキオネは、テグミンが貴族として成長していることを喜んでいる様子だった。

 笑ったりはしないものの、いつもの濁った目つきとは違う、柔らかな表情をしていた。


「僕もいい加減、真っ当な庶民にならないとなあ」


「そうね。

 次の目的地は自由都市デュック・ユルよ。

 商業が盛んな街だし、よそ者も受け入れてくれるわ。上手いこと探せば悪くない仕事が見つかるかも」


「へえ、それは良いね。

 よーし。次の街でこそちゃんとした仕事、見つけないと」


 自由都市という響きには、自分のような異世界から来た人間でもなじめるような、開放的な印象を感じた。

 これまではキオネに生活の全てを依存してきたが、きっと新しい街では自立してみせる。


「精々頑張りなさい――。

 あいつ……」


 突然キオネが立ち止まった。

 何事かと足を止めてキオネの顔を覗き込む。

 彼女は髪で隠した右目を手で覆う。


「どうかした? もしかして痛む?」


「そういうことじゃない。

 まずいわね。あのローブの男、オピリオと繋がってるわ」


「ローブの男って、エビ養殖場で逃げられたあいつ?

 え、でも、オピリオは帝国騎士だよな」


「だからまずいのよ。

 騎士と違法薬物の売人が繋がってる。

 道理でおかしいと思ったわ。テグミンには目立たないようにローブを着せてたのに、オピリオは迷うことなく真っ直ぐにゴットフリードに来た。

 あいつも違法薬物の関係者だったのよ」


「そんなことって――でも、それ、どうやって確かめたの!?」


「私のカニ魔法よ。

 信じられないなら信じなくて結構」


「いや信じるよ。

 テグミンは大丈夫なの?」


 キオネが言うのだからきっと正しい。

 問題はテグミンだ。彼女は騎士であるオピリオを信頼している。


 オピリオが違法薬物に関わっているのならば、その調査を進めようとしている選帝侯家の令嬢は目障りなはずだ。

 直ぐに助け出さなければ彼女の身が危ない。


「まだテグミンは気づいてない」


「助けに行こう!」


 即座に提案した。

 だがキオネはあからさまに嫌そうに顔をしかめた。

 それを説得するように言葉を投げかける。


「ごめんキオネ。

 キオネにはキオネの目的があるのは知ってる。

 でもここまで一緒に旅してきたテグミンを放ってはいけないよ」


 キオネはため息をついてから反論する。


「面倒だから嫌なんじゃない。

 助けても利益がないから嫌なわけでもない。

 あんたを失うのが嫌なの。


 分かってるの? 相手は手負いとはいえ騎士よ。ローブの男と、明らかに戦闘慣れした傭兵も居る。

 あんたは確かに強い能力を持っているけど無敵じゃないのよ。それにまだ使いこなせてない。

 あんたは戦うのが怖くないの?」


 オピリオの能力を思い出す。

 完全カニ化能力者。そのカニの姿は自分よりも小さかったが、あのとき不意打ちの一撃で戦闘不能に出来ていなかったら勝てていたか分からない。


 キオネにカニ魔法の訓練をつけて貰って、自由自在にカニの身体を動かすのが難しいのは分かった。

 魔力や身体の大きさよりも、いかに能力を使いこなすかが戦闘の結果を左右する。


 相手はオピリオに、能力不明の男が2人。

 キオネは戦えないし、テグミンの能力も防御だけ。実質戦えるのは自分1人だ。


 戦うのが怖いか?

 その質問に対する答えは、当然”怖い”だ。

 だけどそれでも、逃げ出したりなんてしない。


「怖いよ。でもテグミンはそれでも戦うはず。

 だったら僕もその後に続くよ。

 恐怖と共に、戦ってみせる」


 キオネは深く深くため息をついた。


「本当にバカね。長生きできないわよ」


「分かってる。

 でもどうしても助けたいんだ」


 キオネは短く鼻を鳴らして、大きな通りに出ると街の北側を指さした。

 街の壁の向こうに顔を出す尖塔が見えた。


「市街の外に修道院があるわ」


「分かった。そこに――」


 直ぐに向かおうとするが、キオネにローブの裾を掴まれる。


「バカ。

 今正面から行っても死ぬだけよ」


「でも――」


「機を計るのよ。

 テグミンを助けるんでしょ」


 その提案に頷き、準備を整えるために一度宿屋へと足を向けた。

 

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