閑話 リネア・レオンハート伯爵夫人

旦那様から愛を授けてもらってから数日。


またトールちゃんが屋敷にやってきてくれました。

アリシアもすっかり錬金術に夢中で、なんだか羨ましくなってしまう。

わたくしの時は仕方なく、でしたもの。

それしか道がなかったから嫌々でしたわ。


トールちゃんが一泊してからアリシアとお話しをする。

それが旦那様と交わした約束。

トールちゃんが一体娘にどんな錬金術を教えてくれているのか。

そのチェックだ。


「あら、こんな瓶あったかしら?」


目に着いたのは娘の部屋の一室に置かれたポーション瓶。

それに触れようとした時、「触ってはいけませんわ!」と娘から猛反発を受けて伸ばす手を止めた。


「これはトール様とご一緒に制作した大事なポーションなのです。いくらお母様と言えども触ってはなりません!」


こんなに何か一つのことに夢中になる彼女は初めて見る。

ドレス一つ着飾るのも億劫そうなあの子が、よもや対極にある錬金術に今更ハマるだなんてね。


運命って残酷ね。でも、触れてみたらわかるでしょう?

現実の厳しさに。


「それで、トール様からどんな事を教わったの?」


トールちゃんに対して異常なまでの執着を見せる娘に、下手にちゃん付けしようものなら三日は口を聞いてくれない。

まるで恋する乙女のような反応を見せるが、あくまでも憧れだとこの子は言う。


「ポーションの作り方を一通り」

「あら、2回目にしてもうそこまで?」


これは本当に驚いた。

思えば1回目から薬草学を念入りに教えていたものね。

どこまで見越して教えるつもりなのかしら?

今ではすっかり娘の方がわたくしより薬草の種類に詳しいくらいよ。


「お母様はすぐに教えていただけなかったのですか?」

「学園では他にも習う事が沢山あるのよ。半分以上は社交界についてのマナーが優先されるわ」

「でしたらわたくしはラッキーなのですね」


手をぎゅっと握りしめて喜ぶ娘に私は表情を顰めた。

ラッキー……?


錬金術だけずっとなんて逆に地獄じゃないかしら?

無能にはお似合いの教科だと学園内では蔑まれ、教師もどこか気怠げで。

授業も殆どがレシピと睨めっこ。

弛まぬ努力と実験、反復練習の賜物。

それが貴族内における錬金術という立ち位置。

見下されて居るのですわ、マジックキャスターの素質を持つ同じ貴族から、あからさまに。


しかしせっかくやる気を出してくれた娘の意思を無駄に削ぐことはないわね。

娘は徐に今日の授業で聞いた内容を事細かく教えてくれた。

そこには貴族学園ではまず教えてくれない、とある錬金術師の集大成が簡潔に記されている。


目から鱗とはこの事だわ。

まず薬草を乾燥させる事。その意味が詳しく書かれている。

錬金術科でここまで詳しく調べるなら相当根気がいる筈。

なのにこんなにポンと教えてしまっていいの?

しかし驚きはこれに止まらなかった。


「知らないわ、魔力水の配合率なんて」

「お母様も知らない事でしたの?」


少し得意げにしている娘に恥ずかしい気持ちになる。

それに温度がそこまで重要な役割を持っているなんて気付きもしない。


娘が教わった通りにわたくしはもう一度錬金術でポーションを作ってみた。配合通りの魔力水に、ビーカーで量をきっちり揃えて乳鉢に注ぐ。たったそれだけのことなのに、目を奪われた。


「わぁ、私以上に綺麗な線が渦巻いてますわ!」


喜ぶ娘にとっての常識に、わたくしは涙を拭えぬほど感動していた。

錬金術ってこんなにも楽しいものでしたのね。

そして素晴らしいのはそれだけではなく、どう見ても大きめの深皿にしか見えないものを片手で持ち上げる。


「この魔道具もトール様が?」

「借り物ですので大切に扱ってくださいまし!」

「ご、ごめんなさい」


実の娘に怒られてしまった。恥ずかしい限りですわ。


しかしティーカップのコースターよりもやや大きいお皿型の魔道具。

これを17歳の少女が作り上げたと言われて信じろという方が無理からぬことだろう。

本人は17歳と言っていたが、本当はもっと年上ではないか?

そんな風に思ってしまう。


何せそんなに便利な道具があれば、錬金術はもっと世に普及してもいいくらいなのだ。

これがあれば貴族と言わずに平民にも扱えてしまう。

世界のバランスを崩しかねない、それくらいの利便性だ。


「凄いわ、ものすごく便利ね」

「トール様も調整するのにとてもご苦労された様ですわ」

「そうよね、ただでさえ炎の魔法をマジックスクロールに封じ込めるのに専用のマジックキャスターを雇わなければならないもの。でも変ね、この魔道具、何処にも魔石を嵌める台座が見当たらないわ」

「変、ですの?」

「トール様はどんな風に魔道具を作り上げたのかしら? わたくしも技術を学びに王国内も見て回りましたけど魔道具は何処も魔石を基にして魔道具を動かしているのよ?」

「それは変ですね。では次の訪問の際にそれとなく聞いてみます」

「そうしてもらえる? それとこの出来……今まで見たことない反応だもの。一応チェックシートで確認してみてもいいかしら?」


確認は大事だ。

特に娘に何を伝授されたか。

親として、同じ錬金術師として非常に興味が湧いた。


「それでしたらこちらをご利用ください」


娘が持ち出したのはシルバープレートだった。

丁寧に宝石箱に入れていた辺り、相当大切に扱っているようだ。


「これは?」

「トール様の作ったポーションのランクが最下級~最上級のさらにランク分けを見分ける魔道具だとお聞きしています。気持ち厚くなっている台座にポーションを一滴垂らすと即座に成分を調べ上げて結果を導いてくれるそうですわ」

「はい?」


娘が一体何を話しているのか理解ができなかった。

言葉は聞こえた。けれど頭が理解を拒む。

もし仮にその言葉が本当だったとしたら、どの様に調べ上げたのか?

そんなの言わずともわかる。


のだあの子は。

最下級ポーションのたかだかAランクを作れたぐらいで上にたった気でいたけど、もしかしなくてもわたくし達はとんでもない方をお招きしてしまったのではないかしら?


「アリシア、よく聞いて頂戴」

「はい、お母様」

「トール様の魔道具のことは他言無用よ。お父様にもお話ししてはなりません」

「ええ、そのつもりです。今回お母様にお話ししたのは世間で言われる錬金術師との差を理解するためでしたの」

「それは……ええ、こんなの見せられたら楽しくて仕方がないでしょう。わたくしも先ほどからずっと胸が高鳴っていますわ」

「お母様も同じ気持ちでいましたのね」


あんな古臭いカビの生えたレシピで一生を棒に振る貴族を何人も見てきた。

そんな中で唯一辿り着いたオリジナルの製法を真っ向から覆す黄金のレシピを見せつけられては同業の錬金術師は黙ってないだろう。


そして案の定、わたくしの作り上げたポーションは中位ポーションのCランク相当だったと判明した。


疑うわけではないけどチェックシートで再確認しても同じ反応を示す。だからこそ確信する。

あの子は伯爵家を救ってくれた恩人であると。そして多くの者が涙を飲んだ錬金術師の救世主であると。


私は何があってもあの子を守ると決めました。

やっぱりウチの子になってくれないかしら?

外に置いて置くのが不安でなりませんわ。

そんな心配をしていると、娘も同じ考えを抱いたのだろう。こんな事を言い出してきた。


「お母様、トール様を我が家で引き取る事はできませんか? わたくし、トール様のようなお姉様が欲しかったのです」


妹ではなく姉ときたか。

流石にここで妹か弟ができる話をしてもお茶を濁してしまうわね。


「そうね。わたくしもその様に思っています」

「でしたら!」

「ですがトール様がそれを望んでいるかをよく確かめになってからになさい」

「はい……」


シュンと項垂れる娘は誰に似たのかこうと決めたら真っ直ぐに突き進む悪癖がある。

そんなところまで私にそっくり。

もしトールちゃんが娘になってくれたら、わたくしや娘は変われるかしら?


少しだけ想像してみて心が沸き立つ。

でも無理は禁物ね。旦那様もそう仰っていたもの。

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