第1章 悪徳領主 その4

    *


 赤銅色の肌をした男が兵士を投げ倒す。

「さあ、次! 次だ!」

 その男は次々に兵士を投げ倒していく。兵士たちの表情がゆがむ。

「隊長、もうやめましょうよ。他じゃ誰もやってない訓練を何で俺たちばかり……」

「なんだと? 無駄口たたいてないでかかってきやがれ!」

 十人隊長のベンテは人差し指をクイクイッと曲げて、あいする兵士に合図した。彼の顔は笑っているが、目をつけられた兵士は今にも泣きだしそうな顔だ。すぐにベンテが兵士の首に腕を回して絞めつける。

「うっ、ううっ……。隊長、降参……降参です……」

「その言葉は口にするなと言ったはずだ」

「みんなのんびり休んでいるのに何でいつも俺たちだけ……。あっちでは賭場も開かれてるっていうのに……」

「ふざけるな。俺たちだけでも訓練はする。今は訓練時間だろ? 俺が間違ってるか?」

「それはそうですが……」

 ベンテが問い詰めると兵士はまた泣き面を見せた。すると、ベンテはにやりと笑う。

 仕方なく兵士たちはひとりずつベンテに立ち向かって行った。そして、投げ倒される。

 ベンテの部下たちはみんな多かれ少なかれ彼に恩があった。それに普段からベンテを実の兄のようにしたっていることもあり、兵士たちはをこぼしながらも訓練にのぞんだ。

「俺はな、賭場だのなんだのそんなものに興味はねぇ。兵士だから訓練をするだけだ。領地を守る兵士ともあろうものが、毎日街に出ては貴族の命令という名目の下に同じ領民の金を巻き上げるなんて、とんでもねぇ話だろ? いいか、だから俺たちは訓練で思いっきり転がり倒して、夜は一杯やって! そうやって生きて行くんだ! それが人生ってもんだろ! おい、おめぇら! 人が話してるってのにどこ見てんだ!」

 兵士たちは目を大きく開き、首を横に振りながら遠くを指さす。

「あれ、ガーネ副官では?」

「てめー、殴られてぇのか? そんな噓には騙されねぇよ」

「本当なのに……」

 ようやくベンテは兵士たちが指さす方を振り向いた。そこには、直属の上官となるガーネ副官がこっちに向かって歩いていた。ベンテが訓練方針などあらゆることに不満を抱いていることから、ふたりは最悪の仲だった。

 おかげで今日もベンテのけんにはおのずとしわが寄っていた。だが、無視はできないため、ベンテはつかつかと大股で歩き勢いよく副官の元に向かった。

「いつも外には出られない方が、何のご用で?」

「集合だ。お遊びはそこまでにして、すぐ移動するように」

 今日はどんな因縁をつけようかと頭を働かせていたベンテの首が傾いた。

「何ですと? 訓練時間に訓練もさせずに集合だなんて。これだから、兵士たちは力不足でまともに戦えもしないんです。この間も……」

「黙れ。前指揮官のハディン男爵が復帰されて、領地の全兵力は西門前に集合するよう命令が下った。さっさと動け!」

 いつも兵舎から出てこずに白肌を誇るガーネ副官がベンテの言葉をさえぎってそう叫んだ。

 ベンテは兵士たちに視線を戻す。

「どういうことだ? 前指揮官? 何か知ってるやつはいるか?」

 目をつけられた兵士は互いに顔を見合わせるだけだった。


    *


 城郭都市の西門前。

 西門は国境の方に作られた都市の正門だ。

 この城郭は都市と領主城を守る最終防衛ラインでもあった。

 命令を下して全員集めたが、列になるということすらできないのを見ると、これが軍隊だとは到底信じがたいレベルだった。商人たちの会合でもあるまいし見ていられない。だが、もうこれ以上時間はない。すぐに作戦にとりかからなければ。今から準備すれば何かしら打つ手はあるはずだ。

 あんうつ極まりないが何かせずにはいられない。

 兵力は一目で把握できた。全兵力は5200人。士気は20だ。

 まず最初にやるべきことは人材確認。次に戦闘システムを確かめるための模擬戦闘。そして、すぐに戦略実行だ。

 敵が国境を越えて来るのは明日。残りあと約20時間。罠を仕掛ける時間も考えると、一刻の猶予もない。

 人材確認をするために、まずは百人隊長の情報から確認した。

 もちろん、完全に期待を裏切られた。

 軍の現状からすると最も重要なのは、まともに兵士を動かせるだけの[指揮]だ。百人隊長には百人隊を統率できる指揮力が必要である。そうでなければ、あの百人隊が戦場に投入された時に兵士たちがきちんと指示どおりに動くことすらままならない。

 ところが、目の前の現実はやはりさんたんたるものだった。

 安心して兵士を任せられる[指揮]を持つ者はひとりもいなかった。

 [指揮]30。40。28。

 酷い。めちゃくちゃだ。

 武力は望まない。武力に優れた兵士がこんなところに埋もれているはずがないから。武力より指揮の方が数値の高い人物が多い、それがこのゲームだ。それなのに、指揮の数値がこの調子では呆れてものも言えない。

 せめてもの救いは、ハディンの昔の部下たちがバークの下にいた百人隊長よりもはるかに優秀な人材であること。そこで、すぐにハディンの昔の部下たちも復帰させた。

 彼らを除いては、まったくそうした人材はいなかった。

 正直、もっと人材が必要だ。

 今回の作戦を任せるために。

 そうはいっても、5200人もの兵力をすべて確かめるのは非効率的だった。

 だから、ひとまず作戦投入に先立って兵士たちに模擬戦闘を実施させるつもりだった。もしかしたら、本当にもしかしたら、良い人材がいるかもしれないから。使えそうな兵士がいれば登用するつもりだ。

 それに、この模擬戦闘には俺の戦闘練習の目的もあった。

「今から百人隊ごとに模擬戦闘を実施する! 百人隊からそれぞれひとりずつ選び出し、その52人の中からさらに5人を選び抜く!」

 正直なところ面倒に感じているだろうが、俺の前でそれを口に出す者はいなかった。

 わざと賞金をかけることはしなかった。意味のない模擬戦闘に必死に取り組む兵士。それこそが俺の望む人材だから。

 すぐに組み分けを終えて対決が始まった。あの中から5人が選ばれるまでは黙って見ているつもりだった。

 見たところ、さすがそろいも揃って酷いありさまだ。意志が弱い。実力を見せつけようという思いのある兵士はいないようだった。

 そして約2時間後。ついに5人の兵士が選ばれた。俺は彼らの情報をあえて確認しなかった。

「閣下! この5人が選ばれました。さっそく対決させますか?」

「いや、その必要はない。彼らは俺が直接確かめる」

 俺の武力は58。

 この対決で俺に勝つ者がいれば、むしろラッキーだ。

 だから、なおさら情報を確認する必要はない。

 相変わらず模擬戦闘をやる意味を見いだせていない顔の兵士たちと俺は対決を始めた。

「ひとりずつかかってこい!」

 剣を握ると[こうげき]コマンドが現れた。

 やはりゲームと同じだ。現実で[攻撃]という大きな文字が目の前に浮かぶと変な感じがするが、むしろ実際の戦闘など無知の俺としては、このシステムがそのまま具現化されていることにかなり救われた。

 明日の戦いにおいて俺自身が戦闘システムに慣れておくことは極めて重要だ。

 [攻撃]を入力すると俺の武力数値に応じて身体が動く。元の俺では使えもしない剣術が繰り出されて兵士を圧倒した。つまり、俺は[攻撃]を状況に合わせて入力し続けるだけでいい。

 もちろん、[スキル]があればもっと強烈な攻撃ができるが、今は[スキル]がない。

 基本コマンドの[攻撃]がすべてだ。

──キィーン!

 俺の剣が兵士の頭を真っぷたつに割る勢いで振り下ろされる。驚いた兵士はとっさに攻撃を受け止めたが、剣は威力に負けてそのままはじばされてしまった。俺は兵士の顔の前で剣を止めた。戦場であればそのまま一気に振り抜くところだが今は練習だ。

「まっ、参りました!」

 がたがた震えながらそのままひれ伏す兵士。

 必死に戦おうという気力などまったくないようだった。

「次!」

 再び剣と剣が交錯する。この兵士も俺の[攻撃]に圧倒されそのまま弾き飛ばされた。

 そのまま、すぐに降参する。俺は呆れて地面に転がる兵士を足でとばした。

 兵士は苦しそうにのたうち回る。

「全力をくせ! 訓練にも命懸けで取り組むんだ。全員、気がゆるんでるぞ。そんな調子で戦場に行ってまともに戦えるのか?」

 兵士たちに向かってそのように声を荒げたが、むしろ逆効果のようだ。

 対決は続いたが、俺の[攻撃]を受けるなり兵士たちは次々に敗北を宣言した。むしろ俺の言葉に怯えている様子。全員死んだ魚のような目をしている。

 ため息ばかりがこぼれた。

 そのように4人全員が引き下がり、最後の兵士が前に出てきた。

「次!」

 もう期待もしていない。

 またしても俺の剣と兵士の剣がこうさくした。これまでの兵士たちと同様、[攻撃]の威力によって彼の剣は弾き飛ばされた。

 俺はむなしさから、今度もまた兵士を蹴飛ばそうとした。

 あれっ?

 しかし、俺の足は見事に空を切った。兵士はそのまま体を丸めて地面を転がると、落とした剣を拾い上げた。見事な身のこなしだ。そして、すぐさま俺に飛びかかってきた。

 俺は、もう一度[攻撃]を仕掛けた。兵士の剣は空に向かって高く弾き飛ばされ、はるか遠くの地面に突き刺さってしまった。

 だが、これまでの兵士とは違う。顔を見ようとする俺にそんな暇も与えず突進してくる兵士。それを[攻撃]で迎え撃とうとした結果、振りかぶった剣の威力で兵士の腕からは血が飛び散った。

 俺は彼を殺さないように[攻撃]を止めた。

 ところが。

 兵士は俺を倒そうと足を摑んでこんしんの力を振り絞る。それも腕からは出血したままだ。

 正直、驚いた。

 たくえつした実力を持っているわけではない。だが、闘争心がじんじようではなかった。戦場だったら手足を失っても敵に飛びかかって行きそうな勢いというか。

「そこまで!」

 兵士に向かって叫んだ。もしかすると、攻撃された怒りで感情のコントロールができずに飛びかかってきたという可能性もあるから。理性を保てない闘志は必要ない。

 しかし、この兵士はそういうわけでもなかった。

「申し訳ありません、領主様! 面目ないです!」

 男は俺の腕にしがみついて勇ましく叫ぶ。

 そう。これが本物の闘志だ。彼はまさに本物の闘志を持つ男だった。

 システムを使っておきながら、俺がこんな本物の男を評価するのもおかしいが、生き残るためにはこういった人材が必要だ。

「君、名前は?」

「ベンテと申します! 領主様! 私のような愚か者と対決してくださり光栄です!」

 俺はすぐに[情報]を確認した。

 数値が全てではないが、やはり数値は噓をつかない。


[ベンテ]

[年齢:25歳]

[武力:49]

[知力:38]

[指揮:82]


[所属:エイントリアン領地軍の十人隊長]

[所属内の民心:94]


 何だこれ? 指揮が82? 民心が94だと?

 目をく数値だった。武力は高くないが、[指揮]がなんとB級だ!

 A級、S級の武将がレアであることを考えればB級の能力値を持つ人物は重要だ。

「クククククッ、プッハッハッハッハ!」

 俺が急に笑い出すと周りの兵士や隣の侍従長たちまでもが怯えた顔で互いに目を合わせる。悪徳領主が笑うと必然的に何か悪いことが起こるからだろう。

「ベンテ!」

「は、はいっ!」

「君は今日から百人隊長だ!」

 領地における領主の人事権は絶対だ。さらに、自分勝手に振る舞う領主の命令に真っ向から反論する者はいなかった。それがいくら破格の昇進だとしても。


    *


 戦闘システムもあのゲームと同じだった。あのゲームでは自分の武力値以下の敵の攻撃では死なないようになっていた。この世界で命を保障してくれるのはやはり武力だ。

 ひとまず、システムを読み込んで自分のステータスを確認した。やはり、何の変化もなかった。つまり、実戦ではないこのような訓練ではレベルは上がらないということ。この闘いはそれを確認するためのものだったというか。

 とにかく俺はベンテを手に入れた。

 ハディンは昔の部下を全員復帰させ、ベンテは手駒にしていた十人隊の兵士たちを自分が指揮する百人隊の十人隊長にそれぞれ任命した。

 いくら指揮の数値が高くても急な昇進や復帰で軍をしようあくするには時間が必要だ。だから、今までの部下はつけてやらないと。不満を持つ者が出てくるかもしれないが、そんなのは領主の悪名で抑圧すればいい。その都度、平和的な解決をしている時間はない。

 もうタイムリミットだ。

 余裕がない。

 まさに、今からが戦争だ。

 俺は集結した兵士の前に立って明日の戦争に備えた戦略を細かく説明した後、指揮官に命令を下した。兵士たちの顔色が変わる。それでも、露骨に不満を漏らす者はいない。これがまさに領主の力だ。

 俺の命令に従って、すぐに全軍が慌ただしく動き出した。

 兵士たちは全員同じことを思っているだろう。

 領主が戦争ごっこを始めたと。

 領主は普段からごっこ遊びが好きだった。当然といえば当然の評価だ。

 俺はそんな兵士たちの考えを訂正する気はなかった。

 今の状況からすると、かえってその方がましかもしれない。本当に敵が攻め込んでくると知ったら兵士たちはむしろ逃亡するだろう。士気が20しかないのだから。

 それなら、遊びと思わせたまま落とし穴を掘らせて待ち伏せまでさせた方が逃げられるより何倍もましだ。

 とにかく命令どおり動き出したならそれでいい。


 俺が立案した作戦はこうだ。

 ナルヤ王国の主力部隊は北方に集結する。それを隠すための囮部隊が、ルナン王国の西の国境となるこのエイントリアンに現れる。

 この囮部隊の進路は明白だった。

 ナルヤ王国とエイントリアン領地の間には巨大な山脈が立ちはだかっている。

 そもそも、内戦が起きてエイントリアンを境に国が分裂した理由も、エイントリアン領地とナルヤ王国の間にあるこの山脈によるものだった。

 この山脈は険しく越えるのは極めて難しい。唯一、山と山の間の道には関所が設置されていた。

 だから、軍隊が国境を越えるにはこの関所を通るしかない。

 ポエニ戦争でアルプス山脈を越えたハンニバル将軍のようにけわしい山を越えるという選択肢もある。もしくは、時間をかけてかいから攻め込んでくるか。

 しかし、ゲーム内の歴史にそんな記録はない。ナルヤ王国軍は最も手っ取り早い関所を越えて攻め込んできたはずだ。

 囮部隊の目的は耳目を集めること。だから、わざわざ人目を避ける必要はない。それに、エルヒンの無能さはすでにナルヤ王国軍の間にも知れ渡っているはず。

 だから当然一番早く攻め込めるこの道に入ってくるだろう。歴史を知っている以上、他に考える必要もない。

 この道さえ注視すればいい。

 もちろん、普通なら関所で戦いが勃発する。

 だが、この関所は前領主時代に地震で崩壊したまたま放置されていた。

 侍従長から聞いた話では、王国が支援したしゆうぜんをエルヒンが懐に入れたらしい。

 だが関所が無事でも、むしろ人を配置せずにこの山岳地帯を利用した方が賢い。

 兵士たちの士気と訓練度を見ると、いっそ待ち伏せをして遠くから攻撃した方が白兵戦よりもずっとましだ。

 だから、関所を越えてエイントリアン領の平地まで抜けるこの山岳地帯で決着をつけるつもりだった。

 関所を過ぎてエイントリアン領の平地まではかなり長いきようが続く。絶壁の下の狭路は待ち伏せするには絶好の場所となる。

 敵がいつどこから来るのかを知っているのにそれを利用しないなんてもってのほかだ。

 狭路では待ち伏せを。

 そして、狭路から平地に抜ける入口には落とし穴を仕掛ける。

 これが今回の戦略の始まりだった。

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