2.早すぎる再会
『人の心の声が聞こえる』という忌々しい特殊能力は生まれつきではない。高校二年生の頃から徐々に聞こえるようになっていった。
最初の頃は実際の声と心の声の区別がつかなくて心の声の方に返事してしまうこともあった。当然会話が噛み合わなかったり、場合によっては相手に引かれるときもあった。気持ち悪いって思われたんだろうな。
何故相手は気持ち悪いと思ったのか。
表に出したくないことを知られてしまったから。大多数の人はこれだったんじゃないかと思う。
次第に理解していったが俺に届く『心の声』とは正確に言うと『胸の内の独り言』なのだろう。多分だけど。
うんと幼い子どもならともかく、高校生くらいならもう本音と建前を使い分けている。そして好きで建前を使うときってあまりない。何か煮えきらなかったり不満を抱えていたりするから仕方なく心の中で本音を零す。だから結果的に嘘が見えてしまうことが多かったんだろうなってのが俺の解釈だ。
実際の声と心の声の違いがわかるようになったのは確か能力に目覚めてから一週間後くらい。
心の声は風呂場で歌ったときみたいに反響して聞こえる。あとは相手の表情がヒントとなる。笑顔で暴言を吐く者はなかなかいないだろう。そういうことだ。表情と言葉が噛み合わないときは大抵そこに嘘が存在する。
ネガティブな言葉が聞こえて傷付かなった訳じゃない。だけど何が聞こえても余計なリアクションをとらないことが俺にとっては一番の自衛になった。
大体自分の身体から見て約1.5メートル以内にいる人の心の声を感知していることもわかった。この発見は出来るだけそれ以上の距離をとればいいという対策にはなった。
しかし同じ家にいる家族にその対策をとるのは難しくて、結局物理的に距離を置かざる得なくなってしまった。
そしてついには、かけがえのない居場所と大切な存在を失った。俺が一年浪人した理由だ。
ショックのあまり神経は限界まですり減ってほぼ自室にこもって療養せざるを得なくなった。
悲しい記憶。胸の奥にしまってあるこれは、決して忘れられないし忘れてはいけないと思う。
でも俺がいつまでもこうしていることをもしかしたら
多くは望まない。それでも何か出来る範囲でいいから前へ進もうと思うようになった。マッチに灯した小さな炎、そんな感じのわずかな意欲だとしても、まだ残っているうちに動いておかなければと。
そうして入学を機に一人暮らしを始め、今の学部、学科を専攻している。
進路については俺なりに真剣に考えはした。この専攻を選んだ場合どんな企業へ就職できる可能性があるか。どんな人生設計が立てられるか。
だけど勉強はしていてもやる気と呼べるものなのかはわからない。小さな炎のまま何も変わってないというか、何か熱意が足りなくて未来は漠然としている。そんな不安は正直あった。
これも昔の夢を諦めてしまったせいなのか。
だけどもう二度とその道は目指せないと思うから考えても無駄だとわかりきってはいた。
一日の授業を終え、俺はややゆっくりと荷物をまとめた。今日は午前中のみだ。
人と距離を置いて歩きたい。だから急ぎの用事でもない限りはみんなより遅れて教室を出ていた。ちなみにサークルなどにも入っていなかった。
人のざわめきが遠い。
階段にさしかかったところで俺はヘッドホンをつけようとした。
そのとき上の方からガタガタッと音がして俺はそちらを見上げた。
なんだ? 何かが滑り落ちたような……?
それなりの重量を感じさせるような音だったからまさかと思って上の階へと登った。
「…………っ」
言葉が、すぐには出てこなかったと思う。
階段の踊り場にはちょうど窓があった。そこから射し込む昼の光が床へ横向きに倒れた女子の全身を真っ直ぐと照らしていた。菱形の光の欠片がちらついていて。
全体的に白っぽい服装だったせいでもあるのか。確かに人の形をしているのに何か人ではない神聖な存在が舞い降りたかのように見えて、不謹慎ながらも俺は束の間見惚れてしまったのだ。
とは言ってもさすがにずっとそうしていた訳じゃない。我に返った後はすぐに駆け寄った。
「大丈夫ですか」
自分から人に触るのは何年ぶりだったろう。でも頭を打っているかも知れないからやむを得ないと思って軽く肩を揺すりながら呼びかけた。
彼女は何度目かでやっと小さく動いた。
「ごめん、なさい。足捻っちゃったみたいで、痛すぎて声が……あいた! いたたたた!」
「無理して動かない方がいい。頭は打ってませんか?」
「だ、大丈夫です」
「今誰か呼んできます。とりあえず下まで運んでもらいましょう」
「ありがとうございます……!」
俺が立ち上がろうとしたときに彼女が顔を上げてこちらをしっかり見つめた。
子犬のような大きな目が涙目に……
「あっ」
あまりにも記憶に新しかったからすぐに思い出せた。
よく見ると服装も今朝見たまんまだ。靴下と靴を履いていること以外は。
今朝、俺の顔面にネグリジェを落とした少女。いや、でもここにいるということは俺と近い年代だったのか。とにかくあの彼女で間違いなかったのだ。
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