拳を叩きこめ!

 観客の怒号が最高潮に達した。


「オウケェイ♪ 皆の熱い思いは伝わったぜ。さあオレの名を称えろ! 」


 俺は……。


「「「第一王子! オルクス神の使徒! 」」」


 失ってしまうのか……?


「「「オーク様の血筋を引く漢! 時期君主様! 」」」


 何も出来ないまま……?


「良いねえ良いねえ盛り上がってるねえ。じゃあ早速素敵なショーの開幕だァ! 」


 奇しくもその声が聞こえたと同時に俺は駆けだしていた。


 恐らく大会のルールに反する行為だ。


 俺は棄権きけん扱いになって大会優勝の報酬、姫廻ひめぐり 絇鎖理くさりを助ける事は出来なくなる。


 一度でも顔を合わせて、それも助けると約束した人を裏切ることになる。


 それは命の危機なんて知らず、のほほんと生きてきた俺にとっては辛い事だし、どうかしてしまいそうだ。


 でも、目の前で仲間を殺されるわけにはいかない。


 素性も知れず、異世界から来たなんてふざけたことを言う俺と仲間になってくれた。


 ……彼女を見捨てる訳にはいかない。




 闘技場入口が見えた!


 二メートルを超える巨漢は彼女の首根っこを掴んで持ち上げ、ニタニタと笑みを浮かべる。


 間に合えええええええッ!!


 彼女に貰った炎の呪符をフリスビーの要領で投げる。


 直前、彼女の目が開いた。


「君はまだその選択をする時ではないよ」


 極度の緊張で研ぎ澄まされた俺の耳には確かにそう聞こえた。


 そでの中から禍々しい札を取り出し巨漢の額に張り付ける。




「『大叫喚地獄だいきょうかんじごく』」




 ……前にテレビで見たことがある。


 火事現場でまれに起こる現象。


 火の神のいかり狂うさま彷彿ほうふつとさせる、人類にはまだ扱いきれぬ炎の恐ろしさを感じたあの映像。


 火災旋風かさいせんぷう、それを何倍にも強めたものが巻き起こった。


 あまりの高熱に男は手を離した様で、紅白くれはは風に身を任せて上空高くに吹き飛ばされる。


 猫は着地に失敗しないと言う事を聞いたことがある。


 紅白くれははふわりと地面に降り立ち、




「降参する」




 両手を上げてそう宣言した。


 俺含め、見た者達が目を見開く。


 しかしすぐに理解する。


 その言葉が終わる瞬間には彼女の顔の数ミリ前で拳を停止する巨漢があった。


「勘の良いクソ猫が」


 大男はそう言い捨てて闘技場入口へと戻っていく。


「はあ……死ぬかと思った……」


 そう言ってへなへなと倒れ込む。


「たった一撃でこれだ。一応太極拳の真似事で衝撃は抑えたのだがな……」


「でも、良かった……。生きていてくれて……。たった一人の仲間に死なれたら、俺は……」


「……今はそんな事を考える時ではないぞ。奴には出来る限りのダメージを与えた。今から作戦やら色々を伝えるから、完璧にこなしてくれたら五分五分なはず……、とりあえずソファーかベッドに寝かせてくれ……」




                  *




 三回戦で俺が当たる予定だった人はこの巨漢、王駒おおく 飛角ひかどと戦うのは恐ろしすぎると棄権した。


 司会のハイテンションな声が戦いの始まりを宣言する。


「おうおう、随分とチビなガキだなァ? オレが一発でも殴ったら消しとんじまいそうだぜ」


 身長165の俺からだと見上げる形になる。


 230ぐらいはあるんじゃないだろうか。


 圧倒的威圧感……、鍛え上げられた筋肉のよろい、ただ筋肉を無駄に付けただけではない、ただならぬ密度で、人を殺すための形をしている。


「俺の事本当に馬鹿にしてますね。傷付きますよ……。貴方全身に大やけど負って、ボロボロだって言うのに。ほら、出来る物なら俺のココ殴って消し飛ばしてみてくださいよ」


 頭の斜め上を指でトントンとつつく。


「へェ、随分と強気な態度じゃねえの? だが膝が笑ってるぜェ? だっせえなァ! 」


 ガハハと品の無い笑いが会場を揺らす。


「そりゃあそうでしょう。俺なんてこの参加者全員の中でも一番貧弱ですからね。でもださいって言うのは違いますよ。最弱たる俺が、最強の貴方に立ち向かって、そして倒すって言うのが最高に恰好が良いんですよ! 」


「言うじゃ無ェかよォ! じゃあお望み通りその頭ぶっ飛ばしてやるぜェ!! 」


 軽く関節を鳴らし、


 消えた!?


 いや、目で追えないだけ!


 そしてそれでも問題は無いッ!


(テキストチャット! )


 俺の頭上斜めに『|』がびっしりと表示されたテキストチャットを展開する。


 この大会で俺はステータスオープンしか使っていない。


 さらに宣言の上でしか。


 俺が斜め上に出現するテキストチャットを宣言なしで出す事が出来るとは知らないだろう。


 さらに俺は頭の上を指さして攻撃を誘導した。


 気の短い奴の事だ、馬鹿正直にそこを、テキストチャットの表示される所を通って攻撃するだろう。


 テキストチャットの所に拳が現れる。


 先端が触れた瞬間に減速した様だがもう遅い。


 あれほどの速度、あれほどの巨体だ、腕一本はひき肉だろう。


 ……俺は守るべきものを間違えない。


 敵に情け容赦して、守ると決めた物を失うなんてことはしない。


 今の俺に物語の主人公達よりも出来る事があるとするのならば、一度も彼らの様にすくった水をこぼす事はしない事だ。


 拳の位置を計算して俺は既に動き出していた。


 仮にも『拳法家』たる俺がすべきことでは無いのだろうが、なんといってもこれは何でもありの大会。


 禁じ手の一つ『金的きんてき』(睾丸を攻撃する事)だ。


 念のため頭を下げながら足を蹴り上げ、敵の急所に一撃する。




 ……しかし、ここで俺は大きな誤算をしていた。


 奴の拳はテキストチャットにほんの少し食い込み、恐らくパンチは出来ないだろうが腕までのダメージは無い。


「おっとォ知らねェのか? オレ位の猛者になるとよォ、痛みなんざでひるむこたァねえんだよォ」


 訓練の成果もあり、俺の蹴りは普通の木なら折ってしまう事が出来る威力だ。


 それを急所に喰らってもこの男はびくともしない。


 更に片手の指が何本か取れていると言うのに、怒りすら示さない。


 怪我の無いもう一方の手で俺の足が掴まれる。


 ……これはチャンス、迷うなッ!


 ステータスオープン!


 掴まれた足を曲げ向こうに近づき、腕を思い切り振ってスワイプする。




 切れぬ物など無い二次元の刃は、巨漢の片手首と共に俺の足首を切り飛ばした。




「へェ、さっき馬鹿にしたのは撤回するぜ。お前、覚悟してこの場に立っているな。……だがよォ、まだ誤算があるなァ。オレは戦闘のプロだ。つまりは商売道具たる体を破壊されるとマズいから、多少怪我させたら〈これ以上の危険を冒す必要はねェ。それにこの大会の報酬もそこまでのモンじゃねえしなァ〉そう考えて棄権するんじゃねェかって魂胆こんたんだろォ? だがなァ……、オレには金がある。この程度の負傷なんざ数週間で治せる専属医師だってんだ。戦闘は続行するぜ」


「……は、はは……。貴方みたいな強い人に認めてもらえて嬉しいですね……。こっちは足が痛くて痛くてたまりませんがね」


 言いながら紅白くれはがくれた呪符を足元に貼り、傷口を焼いて塞ごうとする。


「治療なんかさせるかよォ! 」


 再び彼が視界から消える。


 ステータスオープン! テキストチャット!


 それと共にウィンドウを最大限広げる。


 テキストチャットが出現するのは俺の頭上右だ。


 戦闘のプロたる彼ならば障害物の少ない俺の左側からの攻撃を無意識に選択するだろう。


 即座にステータスウィンドウを閉じ、左側に展開する。


 これすら予測される可能性もある。


 下をくぐった蹴りを警戒して事前に飛びのく。


 足が来た!


 しかし切り落とされた右足も使って着地、激痛が走る。


 この程度耐えろ俺!!


 思い切り下唇を噛み、肉が食いちぎれる。


 しかし転倒は防いだ!


 俺がどこにいるのかは向こうからは確認できないため、ウィンドウをそのまま下に降ろされる危険性を防ぐために足が引っ込められる。


 そこから考えるに、あいつは今崩れた体勢。


 俺は痛覚信号を無視して真上に飛び、足元にウィンドウを展開。


 噛みちぎられた下唇とぬめる血を吐き出し、崩れた体勢のあいつ側の面に滑らせるように投げる!


 ステータスウィンドウは俺の肉体でないと操作できない、つまり俺の肉なら……!


 かなりの速度で二次元の刃は延びる。


 このままいけば首が飛ぶ。


 だがそう簡単に行くと思う程にあいつを舐めてはいない。


 崩れた体勢のまま飛んで避けられた。


 だが崩れた体勢の跳躍には無理がある、更に足元のウィンドウには血液!


「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!! 」


 気付いた時には俺は叫んでいた。


 痛みを誤魔化すためだけではない、勝利を掴むために!


 敵は眼前!


 今すぐに殴れる!


 しかしどこを殴ればダメージが通る?


 金的ですら効果が無い、筋肉の鎧を通す事など不可能としか思えない。


 しかし鍛えても唯一弱いままの部分、それは目、そして脳!


「おるああああああああああああああッ!!!!! 」


 転倒した奴の顔面に拳を叩きこむ!


 空間に完全に固定されたウィンドウには衝撃の逃げようは無い。


 俺の拳のエネルギーはほぼ完ぺきにこいつの顔面に伝わる。


 だがまだだ勝ってはいない、まだ降参の声は聞いていないッ!


 拳が擦り切れても、足と口から血がだらだらとこぼれ落ちようとも!


 眼球を、鼻を、歯を、脳を!


 全てをめちゃくちゃに殴り続けるッ!




「降参だ! 降参する! 」




 その声が俺を現実に引き戻した。


 感覚的には何分間も、何時間も拳を振り続けた気がする。


「ヒュー! やれば出来るじゃねえかよガキ! スッキリさせてもらったぜ! 」


「その四角い奴でぶっ殺しちまえばよかっただろうが! 」


「最高だ! それを見たかったんだ、この景色を見に来たんだよ! 」


 今度の観客達には俺に好意的な声が多い。


 それが意味する事は……。




 足から大量の血が流れている。


 拳の血も俺のものの方が多いのかもしれない。


 気が……遠のく。


 人間は体内の三分の一の血液を失うと死ぬ、そんな事をテレビで見た事を思い出した。




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 次回、『手の平で救えた水』

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