第5話 思い出したくない過去とヤキモチ弁当

「ただいまー!!」


はるかはその時12歳になり、その歳から中学へと上がっていた。だから、作った制服は身長が大きくなるのを想定して、ブカブカ気味である。


 まあ、部活もバスケ部に入ったので、身長が伸びるのは、ほぼ間違いないだろう。


その日も部活動が終わり、小学生の頃より大分帰りは遅くなってしまった。


 遥は、しずかを一人きりにしておきたくなくて、自転車にまたがり、途中のほとんどを立った状態で自転車を漕いで、家路に急いだ。


 その努力は間違いなく功を奏しており、帰りは坂が多いにもかかわらず、何と行きの時の半分の時間で、遥は家に着いていた。


 部活で、しごきに、しごかれてへとへとだったが、姉を思えば、遥は知らずにお腹の底から力が湧いて来て、気付いたらそんな、ちょっとびっくりするような事を可能にしていた。遥は本当にそういう出来事が多かった。


 何かがあれば誰よりも真っ先に、姉の閑は遥の応援に駆け付け、何か課題を仕上げれば、「ここがいい!」「これがすごい!!」と、本当に楽しそうに褒めてくれる。


 そんな彼女の期待に応えたくて、遥は、もっと彼女の言葉や笑顔を引き出したくて、つい、いつも張り切って、自分以上の力を出そうと頑張ってしまう。


 そうすると、今まで超えられなかった壁が、いつの間にか、ひょいっと超えることが出来、遥は昨日より上等な人間になっていた。


 家には、これまで遥が取った、数々の盾やトロフィーや賞状が、無数に飾られていたが。それは、しずかがいなければ、絶対得られなかっただろうと彼は信じていた。


『褒めてくれる』『期待してくれる』何より自分の行いを『見てくれている』存在というのが、こんなにも自分に力を与えてくれるという事に、遥は、きっと閑と姉弟きょうだいにならなければ分からなかったであろう。


 実に、大げさな物言いをするのであれば、閑は遥にとっての光であり、勝利の女神だった。




・・・そうして急いで帰って「ただいま」と言ったのに、今日は珍しく「おかえり」と返ってこない。


人の気配が確かにするのに、おかしいな?と遥は感じつつ。


 そこで、遥は靴を脱ごうとして、初めて玄関がいつもと違う形になっていることに気付いた。玄関は閑が掃除して、いつも通りまっさらと綺麗だったが。そこには、自分のでも、父親のでもない・・・高校生くらいの男子のローファーが揃えて置かれていた。


 遥は、何だか、急に嫌な予感が、胸にざわりと広がった。


 遥は、靴を脱ぐとそのローファーの脇に、自らのナイキのスニーカーを揃え。


 はやる気持ちを抑え、出来るだけ、足音を響かせないようにしながら、リビングに向かった。


 そして、リビングのドアに手をかけようと手を伸ばした際、ドアの窓越しに彼は、あるものを目撃して固まる事になった。それは、




見知らぬ男子に閑が、覆いかぶさられるようにして、キスをしている現場だった。




どさりと、部活カバンが勝手に、遥の肩から床に滑り落ちた。


その音に気付き、閑が「・・・遥?」と、自分の名前を呼ぶ。


けれど、気付いたら遥は玄関を飛び出し、無我夢中で走り出していた。


何でそんなことをしたのか・・・遥自身も訳がわからなかったが、とにかく逃げなくてはと、心の奥が叫んでいた。逃げろ、逃げろ・・・逃げろと。


「遥!」


しかし、そんな自分を


絶対に、追ってこないと思っていたのに、その人は追いかけてきた。自分より大分足が遅い彼女は、ちっとも距離は縮まらないというのに、懸命に追いかけてくる。


 慌てて、適当に履いたであろうクロックスがまた、やたら走りにくそうだが、閑は必死に腕を振り、前に前にと足を蹴りだしている。そんな姿に愛おしさを覚えるのに、遥は今はどうしても、彼女の手に掴まりたくはなかった。


 遥は、どうして自分が逃げ出したのか、自分でもわからなかった。


 無理もない。


 遥は、その時はまだ、閑を自分がどう思ているかという。その気持ちの正体を知らなかったのだから・・・。




「すみません。お先に失礼します。」


「ああ、帰り、気を付けてな?」


玄関で待っていると、遥がバイト先の人に挨拶をしてから。


「で、どこに停めてるの?」


と、バイト先の人への挨拶の声とは打って変わり、いつもの冷たいナイフのような物言いで言ってきた。


「えと、西口の奥の方。」


「あ、そ。」


うう、折角久々に一緒に家に帰るのだから、もうちょい、さっきのバイトの人に対してみたいに、優しい物言いでもいいと思うのに・・・。


 それから少し歩いて着いた駅の駐輪場で、遥はキョロキョロと軽く辺りを見渡し。


「・・・自転車ってあれ?」


と私の黄色い自転車を指差した。


「う、うんそう!」


すると、遥は、スッと番号を確認すると。精算機にスタスタと向かい、さらっと清算を終えてしまった。


え、えええ!!?


「え、あ、ごめん!とろくって、駐輪代・・・いくらだった?」


そう言うと、遥は冷たくギロッと私を睨んで。


「めんどくせーよ・・・。」


と、フンッと私が差し出した小銭を無視した。ええ~、なんで・・・?


でも、これ以上突っぱねると怒らせそうで、私は渋々小銭を財布にしまいます。はい、チキンです。ごめんなさい。


「鍵。」


そして、今度は私に向かい手を出して、自転車の鍵を要求した。私は、それに何事か言おうと思ったが、遥の目の無言の圧力に負け。


「・・・ど、どうぞ・・・。」


と、鍵を素直に差し出しました。はい、ヘタレです。ごめんなさい。


遥は鍵を受け取ると、私の自転車の鍵とチェーンを外し、ガシャンと駐輪場の自転車をはめてあるレールから自転車を下ろして、そのまま引いて行こうとした。それに私は、いよいよ慌てて。


「あ、私が押すよ。」


と申し出ると、今度はなぜか更に私の肩から私の荷物を奪い。自分の荷物とともに自転車の籠に入れて、さっさと前を歩きだした。


あの、え~とあのこ、これは一体、私はどうすれば・・・。


何故かわからないが、これではまるで、遥が私の荷物を全て請け負ってくれているような形になってしまう。い、いたたまれないのですが!!


「は、遥・・・なんかこれだと、すごく悪いような・・・。」


私が、しどろもどろと懸命に言い募ると、遥はムスッとしながら。


「・・・今日、6時間働いてないから、仕事で賄い出なかったんだよ。・・・お前が引くより俺が引いた方が速いだろうが。」


と、ちょっと棘を込めて返答してくる。・・・そう言われてしまったら、私も返しようが無いので。黙って遥のしたいようにさせるしかないよなあ。はははっ。


 こうなったら、前を歩く、遥の180cm強の背中を、私はそのまま見上げしかない。


それにしても・・・


「遥、すごいしっかり働いてたね。キビキビした動きで、返事も大きくて。見ててすごい気持ちいい働きっぷりでびっくりしちゃった。接客業ってすごい大変って聞くのに。」


遥は家になかなか帰ってこないから、何をしているのかとずっと心配していたが。まさかこんなに大真面目に働いていたとは知らなかった。


 私がラーメンを食べている間も、次々来店するお客さんの対応をし、注文を運んでは、片付け。一時も休まずにずっと動きっぱなしだったのだ。なんか・・・若いのに、すごいよなあ。


「・・・なんで?」


「え、なに?」


遥の、急な疑問形の反応に、私は戸惑う。


「なんで、あんたって何でもかんでも、そんなに褒めるの?昔ならいざ知らず。いまは、褒めたところで何にもなんないから?」


そう言い。遥は少し怒ったように振り返った。


「・・・無理に、褒めんな!」


そう言ってまた、前を向いてしまう。しかし、正直な話。私はその意図が掴み切れず、戸惑っていた。


「あの、・・・遥・・・私、何かを褒めたつもりはないのだけど?・・・思ったことはそのまま言いはしたけど・・・。」


私、遥が気に障るような、何かを果たして褒めたっけ?えーと、どうしよう・・・マジで分からない!


「ね、私が何をどう褒めたのか、ヒントだけでも貰えない?どうにも、本当に見当がつかなくて・・・。」


「・・・・・・。」


遥は、真顔でもう一度こちらを振り返った。何だか私の顔を見て、少し驚いているような気もする。


「えと、感想は言ったけど・・・えと。」


「マジかよ。」


「へっ?」


遥は、眉根をキュッと寄せると、一瞬じっと考えるように俯いて、また前を向いてしまった。


そして、一言。


「この天然。」


と言われ、ますます私は、遥が何を考えているのかが分からくなった。




 遥が自転車を押してくれると、確かに帰りはスムーズだった。いつもより身軽だったためか、心無しか私も早く歩けた為、家に着くのもなんだか早い。


「ただいまー!」


恐らく父も母も帰ってはいないが、私はつい、いつも「ただいま」と言ってしまう。


そう言うことで、私は、自分が家に帰ってきたのだと。誰にも迎えられなくても自覚する為かもしれない。


 私は急いで、靴を脱ぎ揃え、遥から荷物を取ると、すぐに手洗いうがいをした。


 そして、サッとエプロンを肩に引っかけて、後ろの紐をキュッと結べば、フライパンと水と出汁の素を入れた片手鍋を、ガス台に乗せ上げ、火を着けて温めを開始する。




 鍋類を温めている間に、本来は私も食べる予定だった。


 今朝、下拵したごしらえしておいた、鮭のレモンバター醤油のホイル包みを冷蔵庫から出し、そのままフライパンに乗せて蓋をして、蒸し焼きにする。


 その間に、冷蔵庫から、お味噌汁の具として、事前に皮をむいてラップしてあった玉ねぎと半分にしてある葱を出し細切りし、鍋に投入する。


 で、後から入れる予定の油揚げを電気ポットのお湯で油抜きをして、細かく切っておく。


「・・・おい、何やってんの?」


「?何って、遥の夕飯の準備だよ。お腹すいたから急いで帰ってきたんでしょう?大丈夫。すぐ出来るから、遥もうがい手洗いしたら、座って待ってて!」


「いや・・・何で?別にカップ麺かなんかで適当に済ませるつもりだったんだけど・・・。」


おおっと、それは聞き捨てならない!


「そんなの駄目よ!ほんとに、そんなに時間はかからないから。


 遥は疲れてるだろうし、よけいに温かいご飯を食べさせたいの!!」


ご飯は、余分に炊いていて保温にしているから、これから炊く必要が無いのは、時短する身には助かった。


早炊きでも、20分は確実にかかってしまうもんね~。


 火にかけたフライパンからは、徐々に徐々に、鮭とバター醤油の香ばしい臭いがしてきたし。お味噌汁の具はさっき全部入れたから、後は、今日忘れずに買ってきた麹味噌こうじみそを入れるだけ。


 冷蔵庫から、いくつかある常備菜を皿に移せば。もう夕飯はほとんど完成と言えるだろう。


「・・・何か手伝う。」


「そう?じゃあテーブル拭いて、お箸出しといて!」


そう言うと、遥は黙って、サッと私の脇を通り、ダスターと箸の入った専用の入れ物を引き出しから出し、テーブルを拭きだした。・・・あ、なんかこの感じ、すごい久々・・・。


・・・昔は、よくこうして二人協力して、夕飯の準備を夕方の子供番組を観ながらしてたっけ。




 私は、メインをお皿に盛り付け、おみそ汁をお椀に注ぐとキッチンのカウンターに置いた。すると、私がカウンターの前に回る前に、遥がそれを取り、自分でテーブルに並べていく。


 私は、軽くそれに目を見張りつつも。その間に遥のお茶碗にご飯をよそぎ、同じようにカウンターに、常備菜の副菜と共に置いていく。


 遥はそれも、さも当たり前のように、自分で並べた。そうして、遥の夕ご飯の準備は整った。


「遥、お疲れ様!飲み物は麦茶でいい?」


「ああ・・・。」


我が家は365日、夏でなくとも麦茶が常に常備されている。


私は麦茶を大き目のグラスに注ぐと、遥のテーブルに持って行った。


「おかわりが欲しかったら、言ってね?」


「・・・・・・。」


そう言い、私はキッチンに戻る。・・・よしよし、次は明日のお弁当の準備である!


な・に・を・つ・く・ろ・う・か・な~♪とお。


「あ、そうだ!遥、お弁当を遥の分も作ってもいい?」


「・・・は?」


「今から、明日のお弁当の準備をするんだけど。作ったら、遥も食べてくれる?」


それに、遥は無表情のまま私を見つめた後、そのまま下を向いて、おかずを小皿によそいつつ。


「・・・作るんなら、別に食ってやるけど。」


と、ボソッと呟つぶやくように返してきた。その答えに、ぱあっと私は、嬉しくなり。


「!じゃあ、遥の好きなおかずを、いっぱい入れるね!」


気持ちがふわふわした。・・・と、いけないいけない!これは、そもそも先輩へのお返しでした!


でも、そういえば。


「・・・先輩って、何が好きなんだろう?」


思わず、小声で疑問をつぶやく。


「・・・先輩?」


だが小声は、私が思っていたより大きかったのか、遥の耳にまで届いてしまった。


「あ、うん。実は財布忘れて、この間ランチ奢ってもらっちゃってさ・・・一人暮らしだから、人の手作りのご飯が嬉しいみたいで。自分のお弁当も毎日作ってる事だし、一人分も二人分も変わらないから、お礼に持って行く約束したんだ。」


「・・・女の?」


「ううん、男の先輩なんだけど。イケメンでモテるのに私みたいなのにも親切で・・・ほんと、何でもできるし、優しいし。ある意味住む世界が違う人って言うか・・・。たまたま、今は彼女がいないけど。いたらそれこそ、彼女さんは通い妻になるくらい、ぞっこんになると思う!うん、絶対そう!!」


「ふーーーーん。」


「まあ、私はしがない後輩だから、その美しい顔を拝んで、ありがたや~って言ってるだけで十分だけど?あ、そう考えると、これはお供え物になるのか!うーん、じゃあ彩りとかをもっと工夫するべき??」


そうやって頭をひねって考えていると・・・あれ?なんか、箸が止まってる気配がする・・・。


私は、準備の手を止め、顔を上げてテーブルを見ると。何か、めちゃめちゃ怖い顔で遥がこっちを睨んでいた。


「きっ、きゃー!?」


思わずその眼力に、私は軽く悲鳴を上げる。


「ななな・・・何でそんな睨んでるの!?」


心臓をバクバクさせながらそう言うと、遥は更に眉間の皺を深くした。いいいい、いったいぜんたい、私今なんかしました?!


その私の心の声を、遥は察したのか。


「麦茶。」


「へ?・・・」


「麦茶、腐ってる。」


そう言われ、私は、ざあっと青ざめた。


急いで、冷蔵庫を開け、麦茶の中身を改めて確認する。・・・ほんとだ、わずかだがぬめりを感じる。そんな気がする・・・!!


「ごごごごごご、ごめんなさい!!」


ああああ、折角の久々のこんな貴重な時間に、何やってんのよ私いぃ!!私は大慌てで、麦茶を片付けだした。


 そんな様子を遥はつまらなそうに眺め、はああああっと長めの溜息をついたのだった。

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