⑥ 怪盗の涙
町の人たちの言うことをきいたら、元の場所にもどってきてしまった。
ベンチの前に立ち止まって、わたしは一人、考える。
もしや。
本で読んだルパンさんのたくみな家来たちのことを思い出す。
ホテルのボーイやときには警察側の人間にうまくまぎれてスパイする、有能な部下たち。
ルパンさんが獄中にいるときも、あの手この手で彼の元へ情報を渡してくれる。
どこにいるかわからない謎の家来。
「わたしが道をたずねた人たちはみんな、ルパンさんの家来……?」
ぱちぱちと、背後で音がした。
「ご名答」
振り向いたそこには――。
「ルパンさん」
「逃走劇、おつかれさま」
現れたルパンさんは、ちょっと悲しそうに首をかしげた。
「寂しい想いをさせてすまない。でも、約束する。いずれは僕がその心のすきを埋めてあげるからね」
そして大げさに手をふって、
「あぁ、きみをこんなにも駆り立てる恋敵を、いますぐ八つ裂きにしてやりたい!」
おどけてそんなことを言う。
「……そんなこと、しません」
ルパンさんの両手がとまった。
「ルパンさんは、しません」
その瞳が、こっちを見つめてくる。
西日をうけて、ちょっと物憂げに。
「……なぜ、そう思う」
にこっと、わたしは笑った。
「わたし、アルセーヌ・ルパンシリーズが大好きだから、わかるんです」
刑事さんやパリの民衆のみんなを惑わす、ルパンさんはいつだってわたしたちの一枚上手をいくイメージだけど。
ほんとうは誰よりも、人生に苦悩してる人だって。
報われない恋に、その生い立ち。
苦しむ彼もちゃんと、作中には描かれている。
娘さんに会えなくて。
愛する女性を失って。
時に彼は涙を流す。
わたし、思うんだ。
だからこそルパンさんは女性や子どもに優しくできる。
ぜったい殺しはしない、義賊なんだって。
「はは。ははははは」
ルパンさんはお腹をかかえて笑いころげていた。
「なんて愉快な。誘拐されておいて、おもしろいことをいう子だ。きみは」
そのしなやかな手が、わたしの頭をなでる。
その目尻に、かすかに涙の粒が光っていた。
「デートの最後に、とっておきの場所に案内するよ」
そう言って、車でルパンさんがわたしを連れてきたのは、あの有名なルーブル美術館の前だった。
ピラミッド型のガラスでできたたてものが、まわりを白亜のお城のような建物にかこまれて鎮座している。
「今日は中には入らないよ。もっとすてきな美術品を手に入れたからね」
どういうこと?
「まさかルパンさん。また盗みを……」
ルパンさんは黙って下を指さした。
「ごらん」
――あっ。
沈む夕日に照らされて、ガラスのピラミッドが、そして周りのお城のような建物が下のタイルにそのまま映り込んでる。
まるで魔法で地上に現れた湖のような、幻想的な光景だった。
「きれい……!」
「ノン。きれいなのはその景色じゃない。――きみの、足元」
耳元で囁くように言われて真下を見ると。
「わたし?」
そこに、わたしが映っていた。
肩につかないほどの髪とサイドの三つ編み。
不安と、期待に頬を少しだけ染めて。
いけない、髪が乱れてる。
さっきあれだけ走ったもんな。
「なにより美しいのは、壊れやすいきみの心さ」
どきっ。
不覚にも音を立てた胸を抑えながら、想う。
怪盗ルパンさんって、本を読んだかぎりだと、恋愛経験豊富なんだよね。
女の子を喜ばせるのがうまいんだな。
「はじめはただ、その心の持つブーフシュテルンの貴重さにひかれてた」
ふいに響いた静かな声が、思考を中断させる。
ブーフシュテルン……本に感動する人の心に宿る、星屑。
私の持つそれは、数億カラットの輝きらしいということは、過去に本の中の悪役さんたちにねらわれたことで、知っていた。
ルパンさんが表情を消して、わたしを見つめていた。
その瞳からはなにも読み取れない。
さっきまでは優しく微笑んでいたのに。
「でも、いっしょにすごしてみて、確信した。きみの真価は、やはりブーフシュテルンではない。――きみ自身だ」
……。
「そんな。またまたっ」
思わずそんな言葉が口をついてでてしまう。
「だって、わたしは本を読んでルパンさんのこと知ってるけど、ルパンさんはわたしのことなんて知らないはずです」
ルパンさんは、ゆっくりと首をふる。
「本の中から、僕は見ていた。きみが、僕たちの物語のどんなところに注目し、涙していたか。きみの心の声は残らず、僕に届いている」
……それってもしかして。
本の中の登場人物に、わたしたち読者の声って、ダダ洩れってこと?
わっ。
上気する頬を両手で覆う。
「はずかしい~っ」
本を読んでいるとき、わたし、ルパンさんかっこいいって何度も思ったもん。
猛烈にはずかしくて、一人顔をふっていると、また涼やかな笑い声がそよ風のようにこの身を包む。
「きみはすてきな女の子だ。僕に自分が泥棒であることを悔やませるほど」
え?
パリの秋の絵の具の混じったような香りが、あたりを包んでいって。
気が付いたらわたしはまた、ルパンさんの車に乗っていた。
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