④ パリをらんでぶー

 車はスピードを上げて、さらに街道を走っていく。

「あの、ルパン、さん。わたしをさらってどうしようと……」

 運転席のその人に質問をなげかけているうちに、答えに思いいたって、わたしははっと口をおさえる。

「み、身代金とかは、かんべんしてください。星崎さん、このあいだも新玉ねぎが安く買えるスーパー見つけて喜んでたくらいで! だからそのぅ、むずかしいと思うんです」

ただでさえいっぱいお世話になっているのに、星崎さんに余計なお金は出してほしくない……。

「安心したまえ。今回のアルセーヌ・ルパンの目的は金ではないよ」

 ほっ。

 胸をなでおろしていると、運転席から片手が伸びてきて、すっと額に手が当てられる。

「その頭から、その人のことを追い出すことさ」

 秋の少しだけ冷たい風がびゅんびゅんと音をさせて髪をとおりぬけていく。

 さすが、オープンカー。

「……これから、どこへ行くんですか」

 ルパンさんのアジトとかに連れて行かれちゃうんだろうか。

 いつも誰もたどり着けない、彼のひみつのアジト。

 ぶるぶると身体が震える。

「そうだなぁ。まずはお互い親睦を深めるために、パリをランデブーなんていかがかな」

 わたしは思わず、目をぱちくりとさせた。

「ぱり? らんでぶ?」

 そのとき、きっという音を立てて、車が止まった。

「着いた。さいしょのデートスポットだ」

 降り立ったのは、マロニエが黄金色の葉っぱでアーチを描いている並木道。

 ルパンさんに手をとられ、いざなわれるように、おしゃれな黒い蔦模様の真鍮で組み立てられているベンチに腰を下ろした。

「はい。どうぞ」

 目の前に差し出されたのはホットサンド。

 黄色と白のボーダーの紙に包まれていて。

 こんがりやけたトーストに、黄緑のレタスやピンクの生ハム、真っ赤なトマトなんかがはみ出してて。

 いかにもおいそうだけど。

「い、いつの間に。ルパンさんが買ってるとこ、見なかったですけど」 

ルパンさんは、涼やかに笑って。

「とうぜんさ。盗んだんだから」

「ええっ!」

 大きな声を出すと、ははは、と笑い声が降ってきた。

「信じたかい? 数ユーロそこそこのものを盗むほど、怪盗ルパンは落ちぶれてはいないよ」

 じとっと、ルパンさんを見上げる。

 ほんとうかな……。 

 目の前には鮮やかな色をしたホットサンド。

 ぐぅぅ~っとお腹が鳴る。

 本の外にいたらもう、夕飯の時間だもんな。

 ここは、信じることにしよう。

 ぱくり。

「おいし~い! これ、いくらでした?」

 すぐにお金のことが気になるのがわれながら悲しい。とほほ。

「日本円に換算すると、百五十円くらいかな」

「えっ。ほんと!? 信じられない」

 このオトク情報、星崎さんに教えなきゃ!

 さくさくとレタスの食感とバジルの香りが鼻に抜けて幸せな気持ち。

「星崎さんとも、食べたいなぁ……」

 ほんとは今頃は、お月見してるはずなのに。

 メルヒェンガルテンのフランス文学地方の空は青く澄み渡っていて、夜の気配すらない。

 無意識に、ランドセルをあけていた。

 懐かしくなって、本人にもないしょで持ち歩いている写真。

 ときどきこっそり見てるんだ。

 斜めの角度の彼。髪も瞳もちょっと神秘的できれいにうつってるやつ。

「……あれ?」

 ない。

 星崎さんの、あの完璧なショットで撮った写真が。

「探しているのはこれかい?」

「あっ」

ルパンさんが人差し指と中指で、星崎さんの写真をはさんでいた。

「か、返して」

 猛烈にはずかしくて、なんとか奪いかえそうと手をのばすけど、軽くひょいひょいっと交わされてしまう。

「おことわりだ」

 ルパンさんは、すっと、その写真を口元に持っていて、

「しばらくは、彼のことを思い出させたくないからね」

 ふっと写真に息をふきかけたと思ったら。

 えっ。うそ。

 写真が、消えた?

「な、なに今の? 魔法?」

 くっくとルパンさんは笑った。

「ちょっとしたトリックさ。さて」

 ルパンさんが見上げたのは大通りを挟んだところにある堅牢な牢獄のような建物。

 華やかなパリの街の中で異質だ。

「ちょっと、ここで待っていてくれるかな。夢未くん。少し仕事を片付けなくてはならないからね」

「え、あ、はい……」

 去って行くルパンさんのすらりとした背中を見て、ふいに思う。

 あれ?

 これってもしかして、逃げ出す絶好のチャンス?

 うん。

 その背中が遠ざかるのを待って、だっと、わたしは駆け出した。


 目指すは本の外! 星崎さんのところへ。

 駆け出して数秒後、ぴたりと止まる。

 でも、どっちに行ったらいいんだろう。

 パリの道は複雑に入り組んでいて、どこに通じているのかまるでわからない。

「お嬢さん、みかけない顔だね」

 話しかけてきたのは、フランスパンが二本入った袋を持った紳士のおじさん。

「迷子かい?」

「あ。あの」

 そうだ。

 道に迷ったときは動き回らないで、人にききなさいって、星崎さんが言ってた!

「ふ、フランス文学地方を抜けて、本の外につながるパレ駅に行くにはどうしたらいいですか」

 おじさんは白いひげをいじりながら、

「ふむ。それなら、この道をまっすぐ行って、その先を――」

 親切にこたえてくれる。

「ありがとうございました」

 わたしは言われたとおりに道を進む。

 しばらく行くと、噴水のある広場に出た。

「号外号外~!!」

 ものすごい大きな声がして、なにかと思ったら、赤い帽子をかぶった男の子が新聞を配っていた。

「漆黒のナイトの仲間、逮捕だよ~」

 道行く人たちがこぞって新聞を受け取っていく。

 漆黒のナイトの仲間って……いったいだれ?

 わたしもみんなにならって、新聞を受け取る。


 本の中新聞号外


 かねてより、指名手配が下されていたブラックブックスの漆黒のナイト。その罪は自分の咎だと自白する仲間が今日未明に逮捕された。

 その名はマーティン・ターラー。

 だが警察当局はこの逮捕は漆黒のナイトの罪が消しさる効力があるものではないとするルパンの証言をとりあげ、ひきつづき、漆黒のナイトを追っている。

 イギリス文学地方より功名なる名探偵、シャーロック・ホームズにも協力をあおぐもよう。

 名探偵の登場による、ルパンと漆黒のナイト、一挙両得の予感に、当局および国民の期待が高まっている。


 さぁっと、血の気がひいていくのがわかる。

 マーティンが、とらわれた?

 なんで?

 自首したって書いてある。

 彼はブラックブックスとはなんのつながりもない、むしろ本を取り返そうと戦っていたのに。なんで。

 それに、漆黒のナイト――つまり、星崎さんが追われてる……。

 ふら、と倒れそうになるからだを、なんとか支えようとして、でも、できなくて――。

 誰かが、抱き留めてくれた。

 ふわりいい香りがする。

「あなた、だいじょうぶ?」

 かごの中に色とりどりの花をつめて――それを売っているのかな? 町娘ふうのおねえさんがそこにいた。

 とぎれとぎれの息で、それでもわたしはきいた。

「あの、すみません。パレ駅にはどっちに行ったら――」

 わたしを立たせてくれながら、おねえさんはきれいな眉をひそめた。

「かわいそうに。迷っちゃったのね。歩ける?」

「はい、もうだいじょうぶです。ありがとうございました」

 心配そうにわたしを見つめたあと、おねえさんは言った。

「よくきいてね。パレ駅には、まずここを曲がって、それから次は二本目の化粧品やの角を左に。そして、大きな公園を―抜けるといいわ」

 そのきれいな声にたちまち活力がわいてくる。

 親切な人たちがいてよかった。

「おねえさん、ありがとう!」

 ぺこりと頭を下げると、言われた通りの道順を必死に思い返しながらたどる。

 おしゃれな化粧品や。そして、大きな公園を抜けて――。

 噴水とチューリップがきれいな公園だった。

 でもほんとうに大きくて、抜けるまでに二十分くらいかかっちゃった。

 でも、これでパレ駅にでられるはず!

 やった。助かったんだ!

 そこでわたしは、呆然とした。

 目の前にあったのはパレ駅なんかじゃなく――さっきルパンさんとホットサンドを食べたベンチだったんだ。

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