⑬ エピローグ

 悪役たちを捕まえて本の中警察に引き渡し次第、わたしたちがヒロインさんに借りていたドレスを脱いで速やかに持ち主に返したのは、いつも物語ドレスを着てる影響かもしれない。

「社交界の華の大女優マルグリットさんのドレスでも、革命政府につかまるのはごめんだわ」

「あなたなら、政府の攻撃もかわしきってしまいそうだが」

 ジーパンスタイルに戻ったせいらちゃんの前に歩いてきたのは、パーシーさんだった。

 ホストのチャラスタイルを返上して、黒いコートをワインレッドのシャツで、傍らに愛しい妻。すっかり物語のヒーローになってしまった彼を、せいらちゃんは軽くにらむ。

「パーくんが聞いてあきれるわ。頭脳明晰な正義のヒーローだったのね、あなた」

「てへへっ。せいらちゃんの前では~、チャラ男のパーくんでいたかったんだ☆」

 そう言ったあと、パーシーさんは咳払い。

「というのは冗談だが、思わずからかいたくなるほどには、きみは魅力的だったよ。迷惑かけたね、聡明な才女さん」

「……なんか調子狂うんだけど」

 げっそりするせいらちゃんに、正義の味方スカーレット・ピンパーネルの妻、マルグリットさんがその肩にもたれながら言う。

「夫を許してあげて、せいらさん。頭が軽いふりをするのは、敵をあざむくためにずっとやっていたからこの人のくせみたいになっているの」

「おやこれは手ひどい。でもちゃんと知っているんだよ。ばかなときの僕も、きみはきらいじゃないだろう?」

 仲睦まじく、口づけをかわす二人。

 それを見ながらぶつぶつなにかつぶやいている人が一人。

「ったくまぎらわしいことしやがって。愛する妻のためにやってんだったらさいしょっからそう言えよ。一人で超ムキんなってオレバカみてーじゃねーか」

「神谷くん、だったかな」

 パーシーさんが、こほんと咳払い。

「きみも仮にもヒーローならさ、真のライバルを見抜く目くらい、やしなっときなYoちぇけら☆」

「あああーっ。そのラップ調はらたつーっ」

「だが、愛する人のために牙をむくきみの姿を、僕はけっして忘れない」

「うわああやめろー。もうそのことに触れるな!」

 真っ赤になるせいらちゃんたちに、

「オーボアール。すてきなカップルさん」

ヒーロースカーレットピンパーネルはウインクを投げて、マルグリットさんと一緒に、本の中に歩みだした。


「やれやれ。ようやくおさまったか。パーシーやシドニーにつきあわされて、やってらんねーよ」

そうぼやくのはエドワード。『王子とこじき』に出てくる王子のほう。庶民のトムと入れ替わり、貧しい民の暮らしについて思いをはせる、思慮深き王子。

 ももちゃんがその彼に言う。

「でも、それもみんな、それぞれの好きな女性のためだったんでしょ。ん、待てよ。てことはさ、人質だったジェーンさんは、エドの恋人なの?」

 そこで耳をとがらせたのはマーティンだ。

「なんだって? きみは特定の相手がいながらもも叶にあんなことをしかけたのか。答えろ」

 エドワードさんはわざとらしく肩をすくめた。

 代わりに答えてくれる人がいた。

「あら、エドとわたしはただの遊び友達よ。きっと、義務感からほかのヒーローたちに協力したんだと思うわ。彼、びっくりするほど真面目でお堅いの」

 ジェーンさんの言葉に、エドワードさんは苦虫をかみつぶしたような顔になる。

「よせよ。ここで見つけた自分も、けっこう気に入ってんだからさ」

 同じような顔になったのはマーティンだ。

「ぼくにはわからない。人間真面目がいちばんだ」

「そうかな? あたしはちょっとワル入ってる人って魅力的だと思うけど」

 茶目っけをきかせて言うももちゃんに、マーティンの眉が、ヘの字にまがる。

「そういうこと言うと……ちかいうちに、ほんとに悪さしてやるぞ」

 ちょっとおどろいたように。ももちゃんがマーティンを見る。

 軽やかな口笛が吹かれた。

「言うじゃん。マジでしてやれよ。でなきゃかわりにオレがするから」

「なっ」

 マーティンが反応したときには、エドワードさんは片手をあげて、お辞儀をしたジェーンさんと一緒に本の中に進んでいってしまっていた。


「夢未さん。僕には似合いませんが、心から、謝罪させていただけますか。愛する人がいるくせに、あなたの恋心を奪おうとするなんて、まったく僕に似つかわしい、最低な愚行ですよ」

「そんな。それは、悪役さんたちに脅されていたからで……」

 そういうシドニーさんをわたしは見れなかった。

 だって、このあとの彼の運命は――。

 うつむく顔が彼の手であげられる。

「ほんと言うとね、あなたと話した一瞬だけ、僕はなにもかも忘れました。理不尽な使命も、叶わぬ恋も、悲劇に向かう、自らの運命すら」

 シドニーさんのその顔が、涙にじむ。

 少し向こうでは、このさきに待ち受けることなど知らずに、シドニーさんと自らの無事を無邪気に喜んでいるルーシーさんがいる。

「シドニーさん。わたし、『二都物語』のラストを読んだとき、あやうく泣くところでした。人の心を大きく揺さぶることができる、シドニーさんはすばらしい人です」

 伝えられたことは、それだけ。

「ありがとう。無垢な天使様」

 最後に、ささやくようにそう言うと、彼は背を向けて帰って行った。

 自分の物語の中へ。

「あの本のラストをはじめて読んだとき、オレは半信半疑だったんだ。好きな人の恋人のために身を投げ出す。至高の愛には違いないけど、そんなことがほんとうにありうるだろうかって」

 横を見たら星崎さんが遠い目をして、シドニーさんが去った方向を見ていた。

「でも今は、よくわかる」

 なぜかぶるると寒気がして、わたしも急いでドレスを脱いだ。

 マネットさんのドレスを着ていたら、すてきな人が、ほんとうに自分のために命を投げ出してしまう気がして。

 『二都物語』の本のように。

 ぎゅっと、彼の袖のすそを握った。

「星崎さんは、わたしが危険な目にあっても、かわりに犠牲になろうなんて、思わないで……」

「それ以外に、どうしろって言うんだい」

 わざと思いつめた顔をしてくる彼に、笑いかけた。

「思いっきり叱って、おしおきしてください。『夢ちゃん、二週間外出禁止だ』って」

 おかしそうに、星崎さんは笑った。

 優しく肩に回される彼の腕に手をかけて、わたしはそのぬくもりに、じんわりと浸った。

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