③ がんばれ、ブラックドールさん!
数日後。
わたしたちはメルヘンガルテンの最果てにある、さびれたビルを訪れていた。
がれきだらけの薄暗い一室には、打ち捨てられたような大量の本があって……その中をドールさんが無言で進んでいく。
ちなみに、わたしたち文学乙女三人は、部屋の外で、ピンチのときのためにアドバイスを書いて見せるカンペを準備してドアのかげで待機中。
「ルーシュン様、おひさしゅうございます」
本の山ががらがらっと崩れて、ぼろぼろの机に伏せる、銀髪に金の目のルーシュンさんが現れた。
「きみか」
「……」
「……」
ま、まずい。
きまずい沈黙。
ももちゃんがカンペをかかげる。
“『最近どう?』『なにしてた?』って、カレの近況を聞いて!”
さすが、ももちゃん。
ちら、とこっちろ見ると、ドールさんはルーシュンさんに向きなおった。
「ルーシュン様は、ここ数日、どのように時間を消費しておいででしたか」
「……」
「ちなみに、食事、洗顔、就寝などを除いた時間という意味ですので、それらの答えは不要です」
くしゃっと、ルーシュンさんは銀の髪を握る。
「わかってるよ。それくらい。きみ、ばかにしてる?」
わわっ。
ルーシュンさんの口調は投げやりで、怒ってるふうではないけど。
でも、まずいよね。
せいらちゃんがあわててカンペにせりふを書く。
“謝って。『ごめん。そんな意味じゃないの』そしてなるべくかわいく、『あなたのことが知りたくて。ふだんのあなたをちょっとでも知れて、嬉しかった』”
せいらちゃん、すごいな。
とっさにこれだけのアドバイスを。
さすが先生を振り向かせただけあるね。
ちら、とカンペを見たドールさんは続ける。
「いえ、決してそのようなことはございません。私的な好奇心からお尋ねいたしました。ルーシュン様に、このようになにもしないで日がな一日酩酊状態で過ごし、本に埋もれ、振り乱した髪の中埋没するご趣味があったと知り、好奇心の満足と、感銘とをうけております」
……もう、だめかも。
あきれたように、ルーシュンさんは言った。
「あのさ、きみいったいなにしにきたわけ?」
はっ。
チャンス、かも!
わたしはあわててカンペをせいらちゃんから受け取って、書きこんだ。
“お願いがあるって伝えて!”
でも、ドールさんはとまどったようにうつむいてしまう。
「そう考えることもないだろ。きみはもう僕の秘書じゃないんだから。ごらんのとおり落ちぶれたもと上司の機嫌なんかとる必要はない。違う?」
ぱちり、とドールさんの目が一回、まばたきした。
「つまりわたくしめが、ルーシュン様になんらかのご依頼をしても、今ならばさしつかえないという解釈で相違ありませんでしょうか」
めんどうそうに、ルーシュンさんは手をふった。
「あぁ、相違ないよ。ただし、必ず受けるとは言ってないけどね。面倒ごとはきらいなんだ」
よーし、今だ!
がんばって、ドールさん。
三人そろって、激励の視線を送る。
「では、お願いいたします。ルーシュン様。わたくしめとともに、してほしいことがございます」
ルーシュンさんの銀の眉が、怪訝そうにあがる。
「それは」
ふれふれ! 恋する乙女!
ごはん、一緒に行ってください。
その一言が言えれば、きっと恋は動きだす――。
「根菜類の咀嚼および留飲です」
だーっ。
三人そろってずっこけたので、雪崩みたくなっちゃった。
でも、そのあとだったの。
「そして、そのさい、おそらくは、銀食器から、食物を口内に運搬するさい、補助を行わせていただけたらと」
……!
わたしは真っ赤になった。
『星崎さん、あーん、してください』
『え』
『して、くれないんですか?』
『……わかったよ、夢ちゃん』
いただきます、っていって、わたしの持ったスプーンから食べてくれた彼。
あのあとのドールさんの言葉。
『うらやましいと、感じました』
ドールさん、あれがやりたかったんだ……!
「くだらないね」
その声にわたしまで冷や水を浴びせられたような心地だった。
ルーシュンさん、ひどいよ……!
「そんな行為になんの意味があるんだ? スプーン一杯の食物を運搬する能力くらい、僕にもあるんだけど」
すっと、ドールさんがルーシュンさんのもとにひざまずいた。
「ルーシュン様。それは、たしかに、母がまだ能力のない赤子にする行為です。それは恋人間でも行われることもあり、このような意味があります。『あなたに生きていてほしい』」
しん、とその場が静まる。
「……ふ」
声が、一つもれて。
「はははは」
笑い声が響いた。
「やっぱり、おもしろいね、きみ。地位もなにもかも失ったやつに、『生きていてほしい』か」
「ルーシュン様は、わたくしめを意義のある存在にしてくださるとおっしゃった。まだ、約束は果たされていません」
「いや、果たされたさ」
ようやくおさまった笑いを表情にたたえて、ルーシュンさんは言った。
「きみはもう、立派な書物大量記憶装置だ。星降る書店でもどこでも働いて、うるおせばいい」
「わたくしめは、ルーシュン様にとって、意義のある存在でありたいのです」
「……」
しばらく、彼女を見つめて、ルーシュンさんは言った。
「いいよ」
ドールさんの黒い目が、見開かれる。
「食物の運搬、したければすれば」
……!
にわかにがたんと立ち上がって、ルーシュンさんは歩き出す。
ちらばった本の中を数歩歩いて、ぽかんとしているドールさんを振り向いて。
「なにしてるの?」
質問の意図が解析できないのだろう、ドールさんは口をぱくぱくと動かした。
「食物を提供している場にいく必要があるよね」
ドールさんのかにさんのような口が、とまる。
「は、はい。仰せのとおりです。しかし、提供され受け取るためには、謝礼の金銭が発生――」
「きみのことだから、畑でも森の木の実でもいいって言いたいんだろうけど。じっさい僕も、どっちだっていいけど。まぁ」
ルーシュンさんが、かすかに目をそらす。
「久しぶりに公の食堂に顔を出すのも悪くない」
「……おとも、いたします」
ドールさんも顔を背けながら、そっと、好きな彼の腕に、手を添えた。
ふりむいて口パクでなにかを伝える彼女の頬は、ほんのり赤く。
もうそれは、人形のものなんかじゃなかった。
『感謝、もうしあげます。文学乙女様』
わたしたち三人は音がでないように、そっと手と手をあわせて勝利をわかちあった――。
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