番外編 きみに似合う大人になる魔法

プロローグ

 今年最初の粉雪がひらひらと舞い降りてきそうな季節。

 ガーゴイルやドラゴンをてっぺんにかたどった紺色の柵の奥には、白い壁と緑の丸屋根のある建物がある。いくつもついている窓には時折男の子たちがじゃれあいながら横切る姿がうつる。

 それもそのはず。ここは男の子たちの学校用の宿舎の前。

 わたしとももちゃんはかたくしまった門の前で、ある人を待っている。

 誰かって? それは――ないしょだけど、この宿舎に住んでいるももちゃんのカレなんだ。

「おそいなぁ……」

 門に背中をもたれかけてとんとんとかかとで地面をタップしながら、つぶやくももちゃんは、デートの待ち合わせだっていうのにどこか不安げで。

「もしかして、なにか心当たりがある?」

 そうきてみると、びくりと体を震わせて、かかとのタップがやんだ。

 うつむく親友のほっぺにポニーテールの後れ毛がかかる。

「……じつは今、ケンカ中でさ」

 そういわれて、納得した。

 おかしいと思ったんだ。

 デートの待ち合わせについてきてなんて。

「先週、いっしょに買い物行って。まんがとかアクセとかついつい衝動買いしてたら、お金は大事にしたほうがいいって言われて」

 うなずきながらちょっとだけ首をかしげる。ももちゃんには悪いけど、しっかり者のカレとその日その日を生きるタイプのカノジョのこのカップルにはいつものことのように思えるけど。

「……つい言っちゃったんだ。星崎王子や神谷先生ならそんなこといわずにさらっと買ってくれるって。そしたらなんか怒らせちゃったみたいで」

 あらら。

 なんだか想像がついて、思わず深い息がでる。

「そっかぁ」

 ももちゃんのカレのマーティンは、家族にお金をかけないように勉強をがんばっているまじめな子だ。 それを大人の人と比べられちゃうのは少し、つらいかもしれないな。

 その言葉を口に出すのを、わたしはやめた。

 親友の沈んだ表情や長いつきあいで悟れるものってあるよね。

「ももちゃんはもうわかってるんじゃない? どうすればいいか」

 それだけ言ってみると、タッとももちゃんのつまさきがもう一度だけ力強いステップをふんだ。

「うん。ちょっと寄宿舎のまわりまわって、彼を探してくるよ!」

 そのまま駆け出す姿に手をふる。

 ちょっと衝動買いもしちゃって意地っ張りなところもあるけど。 

 こういうところがももちゃんのいいところだ。

 さてさて、とわたしは門の前に広がる並木道を見つめた。

 わたしはどうしようかな。

 マーティンとももちゃんが無事に落ち合えたのを確認したら、すぐにでも帰ったほうがいいよね。恋の邪魔はできないし、それに。

 ふいに並木通りの角から漂ってくる優しい香りに鼻をひくひくさせる。

 今日は星降る書店もお休みで、星崎さんがマンションで待ってる。

 今のわたしの家族。前の家族といろいろあったわたしをひきとってくれた大事な人。

 あたたかなバターロールなんかお土産に買っていくのもいいかもしれない。

 もし、甘くてかわいい、そう、恋人に贈るようなジャムパンになんかしたら。

 わたしの気持ちに、少しは気づいてくれるかな。

 感謝や恩義だけじゃない、たまに切なくて苦しいほどのこの気持ちに。

 冬の日差しがポプラの木に隠れて影が落ちた、そのときだった。

「夢未、夢未……!」

 そのポプラの一つから声がした。

 ほとんど息だけの声。

 気づいてくれと懇願しているみたいな。

 なにより聞き覚えのあるその中低音に、わたしはつぶやいていた。

「マーティン……!?」

 案の定、そこからひょこっと顔を出したのは、わたしより頭一つぶん背が高い、焦げ茶色の猫毛と、同じ色の大きな瞳を持つ男の子だった。今日はブレザーなしの緑のセーターにネクタイをしめている。

「こんなところにいたんだ! 今ももちゃんが探しに――」

 その名前を出したとたん、彼は人差し指を口元にあてる。

「しーっ」

 そして、その目できょときょとと周りを見回すと、ばつが悪そうにわたしを見た。

「その。悪いとは思ったんだが、様子をうかがってたんだ」

「えっ」

 いったいどういうこと?

 もしかして、仲直りしたいんだけど、しづらくて、とか。

 とっさにそう思ったけれど、それだと少しおかしいことにすぐに気づく。

 さっきまで様子を見てたなら、ももちゃんが謝ろうとしていたことはわかるはずなのに。

 もう一度まじまじとその顔を見たとき、マーティンははっとするほど真面目な顔つきになっていた。

「きみに、相談したいことがあって」

 マーティンがわたしに?

 驚いたけどこれは一大事だ。うん、いいよと答えて、少し歩いたところにあるベンチに腰を降ろす。彼の一言目は思ったとおり、もも叶のことなんだけど、というものだった。

「……だいたいのことは彼女が話していたとおりだ。あのときはむっときて、けんかになってしまったんだけど」

 でも、続く言葉は予想外だった。

「後でよく考えたら、もも叶の言うことにも一理あるって」

 ……ええーっ。

 カレがすごく優しいって日ごろから親友からきいてはいたけど。

「待って、マーティン、どう考えても今回はももちゃんが悪――うう(自主規制)」

「いや、考えてみてくれ」

 横からまっすぐなまなざしが問いかけてくる。

「もし星崎さんだったら、夢未が本を物欲しそうに見ていたら、どうする」

「え、星崎さんだったら? うーん」

 考えた結果はすぐにでて、仕方なく白状する。

「ほぼ百パーセント買ってくれる……」」

 それがわかっているから、なるべくそういうそぶりはださないようにしてるんだ。

 そう言うと、がくりとマーティンは肩を落として。

「やっぱり」

「でもでも、お金はやっぱり大事だし、わたし、マーティンがまちがっていたとは思わないけどな」

 必死に考えを伝えようとするけど、マーティンは寂しげにふっと笑って、

「ありがとう。でも、金銭的なことだけじゃなくて。もも叶にはあらゆることに余裕のある大人な男性のほうが、ふさわしいんじゃないかと思うんだ……」

 そうか。

 そんなふうに悩んじゃったんだ。

 しばらく腕組みしてうーんと考える。

 カレがカノジョより大人だったら、問題は解決するのかな?

 そういう例ならまさにここにあるけど。

 わたしより十三歳年上の、大好きな人とのことを考えてみる。

「……でも年の差があるっていうのもけっこう大変なんだ」

 わたしがお願いをがまんすると必ず彼が言う言葉。

『きみはオレにとって娘でもあり妹でもあるんだから、遠慮しないでなんでも言いなさい』

 星崎さんの優しさはわかるし、その気持ちはとっても嬉しい。

 でも、少しだけ、フクザツだと思ってしまう自分がいる。

 わたしがなりたいのは、カレの娘や妹じゃない……。

「なるほど……。そういう悩みもあるのか……」

 マーティンも膝の上に肘をついてその上にあごをのせ、深く考えてしまう。

「そうだ」

 ふいに彼が立ち上がったので驚いて見上げると、

「夢未。いっしょに海の魔女のところにいかないか」

「えっ。人魚姫にでてくる海の魔女さんのこと?」

 うなずくマーティンを見てさらに面食らう。

 海の魔女さんって、前にももちゃんとマーティンにひどいことをした人だよね。

「たしかあの魔女が持つ薬棚の中に、期間限定で大人になれる薬があるはずだ。あれを飲めば僕はもも叶にふさわしい大人になれるし、夢未も大人になって、星崎さんとの距離が縮まるかもしれない」

 赤く染まる空にきらりと一番星が、まるでそのときまさに現れたかのように、わたしの頭の上できらめく。同時に、はっとする。

 大人になってカレとお話できる。

 元気に育てなきゃって思わなきゃいけない、頼りない年下の子としてじゃなくて。

 わたしのこと、同じ目線で見てくれる。

 頼りがいがあるなって、しっかりしてるなって思ってくれるかもしれない。

 ううん、もしかしたら、すてきな人だって思ってもらうことだってできるかも。

 そう思った時には腰をベンチから離していた。

「行く。行きたい」

「そうと決まれば善は急げだ!」

 マーティンは寄宿舎の前までかけよっていくと大声で手をふって合図する。

「マッツ! いるか!」

 すると、ボールをかかえた体のおおきな男の子が、寄宿舎のかげからでてくる。

「おーマーティン。なんだ、今日デートだって言ってなかったっけか」

 見覚えのある愛嬌のある顔にほっとして笑いかける。

「こんにちは、マッツ」

 そうするとどうしてか、マッツは動揺したようにあたふたと手をじたばたさせたの。

「ああっ、夢未、ちゃん……」

 ちょっと赤くなって首をひっこめちゃった。

 うん? とわたしは首をかしげる。

 マッツとはさいきん友達になったんだけど(番外編『マッツの恋』参照)会うといつもこんな感じなんだよね。

 それにはかまわずにマーティンは続ける。

「もも叶に会ったら伝えてくれ。僕は急用があってでかけると。明日、星降る書店の前で仕切りなおそうって。朝の十時だ。まちがえずに頼む」

「お、おお、そりゃいいけど」

 ずんぐっとマフラーから頭を出しながら、マッツがききにくそうに口にする。

「急用ってその、夢未ちゃんとの用事なのか?」

 わたしはうなずいた。

「そうなの。マッツ、おねがいできるかな?」

 そう言っただけなのに、やっぱりマッツはまた大きく動揺したみたいで、

「ええっ。マーティンと、夢未ちゃん……。そりゃオレみたいな力自慢とマーティンじゃ、女の子はマーティンのほうがいいかもだけど……でも」

 そんな大きな彼に多少いらいらしたように、マーティンは言い渡す。

「なにぶつぶつ言ってるんだ。それじゃ、頼んだぞ!」

 マーティンの合図に従って、わたしも歩き出す。

「またね、マッツ!」

 マッツはどんぐりのような目をぱちくりとまたたかせてこっちを見た後、またマフラーの中にひっこんでしまった。


 メルヒェンガルテンのキルヒベルク駅から、北東の深海の駅につく。

 色とりどりのサンゴやシャボン玉あふれる中をぬけると、不気味な深海魚や海藻たちがゆらめくエリアにでる。

 いよいよきた。もう後戻りはできないって感じだね……。

 そのエリアの最奥、紫の天幕の向こうの魚の骨でてきた王座に海の魔女さんが座ってる。

 あいかわらずの巻貝帽子にイアリング。今日は虎柄のワンピースを着てる。

 わたしたちの顔をみるなり、その真っ赤な唇がひきつった。

「いいっ、またあんたたちかい。かかわるとろくなことがないからね。出てった出てった!」

 あまりの剣幕にびくっと身体をふるわせるけど、マーティンは平静そのもの。

「今日は、商品をわけてもらいにきた」

 それをきくと、魔女さんはむき出しの肩をすくめて、

「あんたらも懲りないねぇ」

 よ、よし。

 わたしも負けじと、一歩前に進み出る。

「お願いします、魔女さん。わたしたち、大人になれる薬が欲しいんです!」

 事情を説明するあいだ、魔女さんはしばし濃く紫に塗った瞼をおろし、あきれたような視線をこっちに向けていたけど、その口の端がふいにあがった。

「ふぅん。……まぁいいだろう」

 たこさんのヒレをついーっとおよがせて、その一つでわたしのあごにふれる。

「あたしは優しい魔女だからね。彼氏彼女にふさわしくなるために大人になりたいなんて、いじらしいじゃないか」

「……ほんとうにそう思っているのか?」

 マーティンはジト目だけど、魔女さんは余裕だ。

「あっはは、当然さね。こりゃおもしろそうだから、恋の邪魔してやろ♡ なーんて一ミリも思っちゃいないさね」

 ……。

「マーティン、信じていいのかな」

「あぁ。やめておこうか」

「あーうそうそ! 邪魔なんてしないよぅ。しかも、快く薬をわけてやるよ」

 ぐるぐるとそのたこの足でわたしたちの周りをまわり、棚へ行くと魔女さんは二つ小瓶をもってわたしたちに手渡した。 

 わたしとマーティンは無言で、目線を交わしあう。

「ただし、使用期限は一日ぽっきりだ。二十四時間後。つまり、明日の真夜中の十二時。あんたらは子どもに戻る。いいね?」

 わたしたちは同時にうなずく。

「さぁ、その薬を飲みほすんだ。おう、いい飲みっぷりだね。もう少し、もう少しであっという間に明日の朝。あんたたちは大人になる――」

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