⑥ ひきとりにきたメリー・ポピンズ

「マーティンあの、起きて」

 なんか……よくわかんないけど、どきどきする。

 彼が上にいるってだけで。

 ちなみに赤ちゃんはあたしたちの頭の先で見事着地に成功し、おもしろそうに笑ってる。

 人の気も知らないで……!

 マーティンは、何も言わない。

 え。

 なに?

 そのまま彼が顔を屈めてくる――。

 ひえっ。

 そして、耳元で囁く。

「どかない」

 ええっ?

「ももかがわからないこと言うから。ずっとこのままでいる」

 静かな時が流れる。

 それって困るけど。

 でもどうしてだろう。

 心のどこかで嬉しいって思ってるような……?

 不思議な気持ちに戸惑った時、視界の端を、信じられないものがかすめたの!

 高い天井から、黒い傘をさしてゆっくり降りてくる人影が見えたんだ。

 その人影はだんだん近くなって、ついに、あたしたちのすぐ近くに舞い降りた。

 ぴしっとした黒いコートに、まとめ髪。おしゃれなお花のついた帽子。

 手にはなんと、重そうな乳母車を押してる。

 その女の人が口を開いた。

「ジョン、お二人から離れなさい」

 厳しい声に、ジョンって呼ばれた赤ちゃんは後ずさりしてる。

 とんっと、女の人が閉じた傘で床をたたくと、赤ちゃんは急いではいはいして、女の人のところに行った。

 彼女は赤ちゃんを抱きかかえて乳母車に戻すと、

「赤ん坊を拾っていただきありがとう」

 にこりともせず事務的な口調で言ったの。

 そして乳母車の中をぎろりと見ると、

「散歩中にわたしの魔法の方位磁石をいたづらして。帰ったらどうなるか、わかっているでしょうね、ジョン」

 よく見ると、乳母車にはもう一人、赤ちゃんが。

 きゃっきゃと面白そうに二人は声を合わせて笑う。

 黒いコートってファッションに、傘で空を飛ぶ人。

 どの世界にも行ける方位磁石。

 そして、子どもたちの、愛想のない、けど優秀な世話係。

 あたしにも、赤ちゃんとそして女の人の正体がもうわかっていた。

「メリー・ポピンズさん。あなたが世話をしているご家庭のお子さんでしたか」

 さすがに立ち上がって、そう言うマーティンの言葉に、メリー・ポピンズさんは礼儀正しく膝を折る。

「ご迷惑をおかけしました。ほんのおわびですが」

 差し出されたのは、星のマークのついた入れ物だった。

「大人用のキャンディ・キスです」

 大人って、あたしたちもまだ子どもだけど……。

 そして、パッケージが英語で読めない。

 マーティンが横から囁いてくれる。 「日焼け止めクリームって書いてある。もも叶が使えばいい」

 日焼け止めクリーム?

 あたしは首を傾げる。

 キャンディ・キスって、『メリー・ポピンズ』シリーズに出てくるお菓子だって、夢とせいらが言ってたような?

「あなた方のおかげで助かりました。それでは、お夕飯に間に合わなければいけませんので、これにて失礼します」

 メリー・ポピンズさんは、懐から金の方位磁石を取り出すと、頭の上にかざしていった。

「西の、バンクス家へ」

 強い風が吹く。

 ここは水族館の中なのに……!

 風が止んだ後、そこには赤ちゃんやメリーさんの姿はなくて。

 もとの水槽たちがそこにあるだけだったの。


 もも叶とマーティンのデートのラストも気になるところですが。

 ここでちょっと、バンクスさんのお宅に帰っていく途中のメリーさんたちにフォーカスしてみましょう。

 メリー・ポピンズさんはさくら街通りを乳母車を押して歩いています。

 乳母車の中から声がします。

「ジョン、いいなぁ。わたしも見たかったな。二人のデート」

 お留守番をくらった双子のかたわれ、バーバラです。

「二人ともさくら色の気持ちが周りに漂ってたよ。魚たちがみんなはやしたててた。しまいにはお互いに似た赤ちゃんを想像してけんかしちゃってさ。あの大きなシャチなんてじれったそうにしてたよ。好きなら好きって言えばいいのにって。僕もそう思う。成長した人間ってよくわからないや」

 冒険をしてきたジョンがぼやいています。

「ねぇメリー・ポピンズ。あの二人になにをあげたの?」

 うきうきを抑えられないといった様子でバーバラが訊きました。

「お詫びの品です」

 にべもなく、メリー・ポピンズさんは答えます。

 代わりにジョンが答えました。

「大人用のキャンディ・キスの効用、僕知ってるよ。つけたところにキスすると、キャラメル・キャンディの味がするんだって。メリーも意外とおせっかいだよね」

「お黙りなさい。それ以上喋ると、今夜のお休み前のキャンディはなしにしますよ」

 ぴしゃりと言って、メリーさんはバンクス家に入って行きました。

 奥様に、赤ん坊のお散歩をつつがなく終えた報告をするために。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る