⑩ 幕間 霧雨と問答

 塾から出たところで、秋雨が降っていることに気づいた。

 鞄を傘代わりに駅前の道を行くと、ショーウインドーの前に傘をさして佇む少年が見える。

 思わしげなその顔が見知ったもので、驚いた。

 こいつは、せいらの友達の、もも叶ちゃんの。

「雨の中、こんなところでどうした。彼女に会いに来たのか」

 マーティンというその少年は傘の下からじっと挑むようにこっちを見上げてくる。

「なんだ。今日は一段と好戦的だな」

「……神谷先生」

少年は勢いよく、正面に向き直る。

「もも叶から聴きました。今夜、せいらは船上パーティーに出席します」

「そっか。お前も行くのか? 楽しんでこいよ」

「彼女はそこで、恋人を発表するんです」

耳障りな雨音が、鈍くなったように感じる。

喉の奥から、笑いが漏れる。

「せいらにも、彼氏ができたか。おめでとうって伝えといてくれ」

「もも叶と夢未は心配して様子を見に行くそうです」

しびれをきらしたような少年の声と畳んだ傘をレンガに叩きつける音が、雨音をものともせずに響く。

「それなのにあなたは、黙ってこんなところにいていいんですか!」

黙って、傘を拾うと、少年の上にさしてやる。

「……せいらはオレの教え子だ。それ以上に親しくしたら色々と問題があるんだ。せいらの身にも」

「あなたは、それでいいんですか」

耳を劈く雷鳴がとどろいた。

オレがそれでいいかだと。

考えたこともなかった。

必要もない。問題にすべきは――。

三年前、教室で小さくなって泣いていた少女の面影が蘇る。

その次には、それが嘘のように、海を背景に大人ぶって笑う、彼女が。

「伝えることは、伝えました。あとは任せます」

 少年は傘を受け取ると、まっすぐに商店街を歩いて行き、やがて雨の中に見えなくなった。

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