⑤ ドキドキの温泉宿

「うわ~ぁ」

 きれいな施設にわたし、思わず感嘆。

 正面にかわいい木の屋根の温泉があって、隣にはうって変わっておしゃれなガラス張りのカフェがある。二つの建物の周りは赤と黄色に染まった木々で囲まれてて、すっごく癒やされる~。

「お昼までまだ時間があるし、先に温泉に浸かろうか」

 星崎さんの提案に、

「「さんせいーっ」」

 ももちゃんとハモるけど、

「……ごめんなさい。わたし、喉が渇いたので、紅葉カフェで休んでから行きます。お気になさらずに。みんなは温泉に入ってきて」

せいらちゃんが、一人で歩いて行っちゃった……。

「待って! せいら」

 それを追って駈け出しかけたももちゃんの肩に星崎さんが手を置いた。

「時には一人になりたいこともあるんじゃないかな」

「でも……」

ももちゃんは止まって、星崎さんを見た。

「やっぱりあたし心配。夢。星崎さん。先行ってて。あたしはせいらの様子見てきます」

「そう。そこまで言うなら、止めはしないけど」

「ももちゃん。大丈夫……?」

ももちゃんはいつものパワフルスマイルを見せてこそっと言ったんだ。

「こっちは任して。夢は星崎王子とラブラブなときを過ごしなって!」

どんっとわたしの肩をたたいて、つんのめるわたしを残して、ダッシュで走って行っちゃった。

それを合図みたく、星崎さんが歩き出した。

「それじゃ、行こうか、夢ちゃん」

「は、はい」

ももちゃんとせいらちゃんが気になるけど、ひとまずわたしは歩き出したんだ。

これが、困っちゃう事件の始まりと知らずに。

「どうしたの? 夢ちゃん」

「星崎さん……ここ、入口ですか?」

 わたしたちは、木の扉をくぐった先の、大きな赤い暖簾の前にいた。

「そうだよ。それがどうかした?」

 どうかした……って。

 どうかしたどころじゃないような。

「あの、なんで温泉の入り口がひとつだけなのかなって」

星崎さんはちょっと不思議そうにわたしを見ると、しばらくなにか考えてるみたいだった。それから思いたったみたいに言う。

「夢ちゃんの知ってる温泉は違うのかな」

「えっと、小さいころ家族で来たときは、お母さんと入って、お父さんとは別々だったから……」

星崎さんが息をついた。

「夢ちゃんが住んでたところではそうなんだ」

 えっ。

「だいたいそうだと思います」

 思わずつっこみ。

「栞町の温泉では、みんなで一緒に入るのがふつうだから、なんの疑問も持たなかったよ」

 ……。

「えぇぇぇぇ!」

 栞町って、本や物語が盛んですてきな街だってばっかり思ってたけど。

 まさかこんなところにわかりあえない要素があるなんて!

「なにかおかしい? 夢ちゃんも栞町で育ったらよかったのにね。そうすればそのときも家族みんなで楽しめたのに」

「いえ、あの、そういうことじゃなくて」

「でも、今日は寂しくないからね。安心してくつろいでいいよ」

……安心どころが、心臓がどっきんどっきん言って、死んじゃいそうです。

星崎さんはためらいゼロで暖簾をくぐろうとする。

どうしよう。このままじゃ。

「ほ、星崎さん。わたし、星崎さんと一緒に入るのはちょっと」

「……そうか。いきなり違う文化に慣れろって言われても難しいよね」

星崎さん。ちょっと傷ついてそうなのが気になっちゃうな。

「夢ちゃんが隣にいてくれたら、疲れがよくとれると思ったんだけど」

 うぅぅ。そんな切なげに言われても。

 困ったよぅぅ。

「星崎さん、そんな寂しそうな顔しないでください」

 彼が顔を上げた。

「それじゃ」

すっごく優しくきれいに笑って。

こういうのって……誘惑、っていうのみたい。

「一緒に入る?」

 ぷしゅ~って、頭から湯気が出そう。

 まだ温泉に入る前なのに、完全にのぼせちゃった。

 わたしの気持ちを知ってか知らずか、星崎さんはさらに続ける。

「夢ちゃんの住んでた花(はな)布(ぎれ)でも、きっと夫婦が家で一緒に湯船に浸かるのはおかしくないよね」

「え? ……それは、多分、そうだと思います」

星崎さんは目を細めて微笑んだ。

「ならどっちにしろ、この先一緒になるんだから、問題ないと思うんだけど」

 ひぇっ。

 うしろに、ひっくりかえりそうになるのをなんとか持ち直す。

「ご、ごめんなさい。星崎さん。き、気持ちは嬉しいんですけどやっぱり」

 今すぐ一緒にっていうのは。

 わたし冗談じゃなく、ゆであがっちゃう!

 ほんとにごめんなさい。

 お断りの言葉を言おうとしたそのとき。

 頭の上から、こらえかねたみたいな、笑い声がふってきた。

 見上げると、星崎さんがすごく楽しそうに笑ってる。

「残念だな。さすがに了承は得られないか」

 へ……?

 笑いが収まると、彼はさっきみたくちょっと危ない感じで微笑んで、

「ごめん。ちょっとからかいすぎた」

 もしかして。

「冗談、だったんですか……?」

 また彼がくすって笑う。

「ここはただ受付につながってるだけ。温泉はこの後でちゃんと二つに別れてるよ。それにしてもほんと、騙しがいがあるよね。夢ちゃんって」

 ぼっと、顔に血が上るのが自分でもわかった。

 もうっ。

 思わず、叫んでた。

「星崎さんの、いじわるっ」

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