④ かわいいランチと少女文学

 夢の親友ことこのあたし、園枝もも叶は、学校帰りに夢と別れたその足で舞姫公園に向かっていた。

 大きな花壇では、赤からオレンジ、オレンジから黄色、黄色から黄緑。チューリップが虹の輪っかみたいにグラデーションになってる。

 公園の花時計の前で、じつはカレと待ち合わせ。

 お花の形のハンドバッグから、一冊の本を取りだす。

 ふふふ。かくいうあたしも、サンジョルディの日にちゃんと大スキな人から本をもらっていたのだー。

 やっぱ嬉しいもんだよね。動揺しつつ幸せそうな夢があんまりかわいいから、さっきはついからかっちゃった。

 自慢じゃないけど、あたしのもらったやつも、なかなかのセンスだよ。赤い表紙にはレースで囲まれた窓が描かれてて、その中にはふんわりした花畑。長い髪の女の子が手を振ってる。

 それをくれた人がレンガの小道の向こうに見えて、あたしは本をバッグにしまうと、大きく手を振った。

「マーティン、こっち~」

 それに気づいた三つ年上のカレが、軽く手を上げて歩いてくる。

 大人っぽく笑う茶色の目にあたしはウインクした。

「もらった本、さっそく読んでるけど、おもしろいよ。今日はお返し持ってきたんだ」

 あたしは花時計がよく見える芝生の上(ベスポジ)を確保すると、さっそくそのお返しを広げた。

 くるくる卵焼きにたこさんウインナー、ミートボールにカラフルサンド。デザートにはミニドーナッツ。

 そう、ざ★お弁当!

 ママに教わりながら5時起きして作ったんだから。我ながら力作だと思う。

 だって、冷凍食品が一個もないんだよ? そんなお弁当、あたしだって食べたことない。

「すごく、おいしそうだ。それに、なんていうか――」

 マーティンは言葉を探すように青い空をにらむと、

「どれも、かわいい」

 ぷっ。

「食べ物にその褒め言葉は斬新だね」

 吹き出すと、マーティンはほんとにそう思ったんだって、ぷくっと膨れてる。

 でもそうかぁ。キャラクターとか本の挿絵とか、日本人はかわいいもの好みだって聞いたことある。ドイツのしかも本の中出身の彼にとっては、とうぜんの感想なのかも。

「それはちょっと違う」

 マーティンはまた大人っぽく微笑んで言った。

「このランチがかわいいのは、日本のお弁当だからじゃない」

 そうなの?

 マーティンは急に、小さな声になってうつむくと。

「もも叶が、作ってくれたから……」

「……っ」

 遠くの方で、小鳥さんが楽しげに歌う。

 呑気なもんだなぁ。こっちはなんて言っていいかわかんないのに。

 マーティンは時々、あたしの心をきゅっとさせることを言う。

 そんなときいつも、困っちゃうんだ。恥ずかしすぎてなんて答えたらいいの。

「か、かわいいっていえばさぁ!」

 あちゃー。

 あたしってばまた、照れて強引に話題チェンジしちゃった。

「マーティンのくれた本だよね!」

 これは本心だった。

 表紙だけじゃない。主人公の女の子が、すなおで一生懸命で、とってもいい子なの。

「あの本が? そうかな……?」

マーティンはきょとんとしたけど、すぐにまたさっと顔を赤らめて、

「思い切って選んだんだ」

へーぇ。

「でも、マーティンもああいうお話読むんだね。ちょっと意外。イメージと違った」

女の子の成長物語より、どっちかというと冒険ものや活劇が好きそうだったから。

「一応、自分の国の文豪のことくらいは、学校でも習うから、知ってるんだ」

 そっか。――ん?

 マーティンの言う自分の国って、ドイツのことだよね。

 あの本の作者さんってドイツの人だっけ?

 首をひねっているとさらにマーティンが言う。

「僕の気持ちにぴったりだって思って、贈ったんだ」

 さらに、んむ?

 あの本は主人公のローズっていう女の子が両親を亡くして、親せきの優しいおじさんにひきとられるところから始まる。ちょっと病弱で儚い感じの女の子と、いつもきびきびしてて自分の意見をはっきり言うマーティンが、いまいち重ならない。

 なんかおかしいなぁ……。

「もも叶、なに考えてるんだ。ぼけっとしてると、お弁当、なくなるよ」

 あっ。

 はっとしてシートの上を見ると、お弁当箱からたこさん2匹と卵ちゃん一名が既に犠牲になってる!

「ちょっとマーティン、いつから食いしん坊になったの」

 ちょっと考えると、めちゃめちゃ真面目な顔で、彼はこう言って、

「このお弁当の一口目を食べた時からだと思う」

 またあたしの胸をきゅっとさせたんだ。

 お弁当を食べた後は、公園を回って、ボートに乗って。

 夕陽が緑の芝生を染める時間にはそろそろマーティンとお別れ。でもまだ帰りたくなくて、あたしは白いベンチの彼のとなりに座ったまま動けずにいた。

「もも叶。そろそろ、帰ったほうがいい。送っていく」

「だいじょうぶ。一人で帰れるよ。マーティン疲れたでしょ。本の中にこのまま帰って」

「……そういう、わけには、いかない……」

 ほらほら。お昼にお弁当食べ過ぎたせいだよ。

 すでに瞼が落ちかかってますけど。

「もも叶。……次は、僕の街に、おいで」

「うん。行く」

「見せたいものが、たくさん……」

「ありがとう、楽しみにしてる」

「きっと、気に入る……」

そこから先、彼の言葉は続かなかった。

代わりにすーすーっていう息と、右肩の辺りに重みが。

……えぇっ!

もしかして今、マーティンがあたしの肩にもたれてる?

そのとき、ポケットの中の手鏡がひとりでに飛び出してあたしの膝の上でジャンプした。

フタが開いて、ミラーの奥からいく房もの巻き毛の華やかな女の人がこっちを見てる。

「幸せそうね、本の外のお姫様?」

 この人は、鏡に宿る、有名な女流作家さんなの。

「オルコットさん。見てないでなんとかして」

はすっぱな感じのその人はあたしのヘルプもさらっと流して、

「わが主人公のローズがあんたのお気に召したようでなにより」

 そう。

 マーティンがくれた本『ローズの季節』を書いたのが、なにをかくそう、このオルコットさんなんだ。作者の名前を見た時はあたしもびっくりした。

「うん。ローズもいい子だけど、あたしはどっちか言うと、『若草物語』のジョーみたいな元気な女の子がもっと好きかな?」

 ローズみたいないかにも少女小説の主人公ですってタイプは、憧れるけど、どうも自分とは勝手が違うところもあるんだよね。

 夢ならきっと似たタイプだから、すんなり入っていけそうだけど。

 と、あたしはそこで、オルコットさんに訊こうと思っていたことを思い出した。

「オルコットさんて、ドイツの人なの?」

 手鏡の中のその人は露骨に、きりりとした眉毛をひそめる。

「はぁ? あんたも文学乙女なら、天才女流作家、ルイザ・メイ・オルコットの出身くらい覚えときなさいよね。思いだしなさい。ジョーは最後、作家になる夢を叶えるためにどこに行くのよ」

「……確か、ニューヨーク。でも」

 ニューヨークって、どこだっけ?

 オルコットさんは大袈裟に溜息をついた。

「自由の国アメリカ。若草物語はれっきとしたアメリカ文学よ」

 ああ、やっぱり。

 たしかに、『若草物語』も『ローズの季節』も、ドイツのイメージじゃないなって思ったんだ。

 でも、それなら、やっぱりおかしい。

 マーティンは、自分の国――ドイツの作家さんの書いた本をあたしにくれたって言ってた。

 数日前、確かに彼その人から手渡されたこの本。

 それなのに『ローズの季節』は、マーティンがくれた本じゃない……?

「変だよ。それなら、マーティンのあたしへのプレゼント本は、どこにいっちゃったの?」

「事件の香りね」

 鏡の奥でオルコットさんが、挑戦的に赤い唇をほころばせた。

 あたしは、肩にかかる彼の茶色い髪に触れた。

「ごめんね、マーティン」

 せっかく一生懸命選んでくれたのに。その本が行方不明。

 なんとしてでも探し出すから。そして、今度こそほんとの感想伝えるからね。

 眠っているマーティンにあたしはそう約束した。

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