④ 小公女子、登場
朝。
星崎さんの部屋から自分の部屋に戻って来たわたしは着替えの途中で手を止めて唸ってた。
下着の留め金がなかなか止まらなくて、ここのところいつも苦労するんだ。
やっとのことでホックを引っ掻けて、長袖シャツとセーターを着るんだけど。
やっぱり気のせいじゃない。
胸が苦しい。
なんでこんなものつけなきゃならないのかな。
わたしなんかこんなことしたって、きれいに見えるわけじゃないのに。
頭にちらりと、スリムできれいなパンツルックが浮かんだ。
……小夏さんみたくなれるんだったら、いくらでもつけるけど。
ああいう人のことを、スレンダーとか言うのかな。
星崎さんも、そういう人の方が好きなのかな。
そこまで考えて、今度は別の意味で胸が痛む。
落ち込んだ自分の顔がふいに目の端に見えて――。
んん?
はっとして、目の前の姿身の前にダッシュ。
……なんかわたし、変?
ちょっと前よりどことなくまあるい感じ。
もしかして。
太った!?
がんっと殴られたような衝撃を受けた。
そういえば三学期の始めにあった身体測定で、体重ちょっと増えてたような。
保健の先生に、なにも問題ないって言われたし、あのときは全然気にしなかったけど。
待って。他にもなにか先生言ってなかったっけ。
そう。
毎日の食事を記録して提出する栄養チェックを見て、言ってたんだ。 「前は少し栄養状態が心配だったけど、今は問題ないみたいで安心したわ」って。
星崎さんとここで暮らすようになってから、いつもおいしいものたくさん作ってくれて。わたしも、いっぱいの野菜や調味料でお料理できるのが嬉しくて、たくさんお手伝いして、たくさん食べて喜んでたけど。
そうしてたら前より太るの当たり前だよねっ。
どうしよう。
このままじゃわたし、雪の道を転がってく雪だるまみたくどんどん太っちゃうんじゃっ。
もしそれで、星崎さんに嫌われちゃったら。
そのとき、トントン、と部屋をノックする音が聞こえた。
「夢ちゃん。そろそろ支度できた?」
星崎さんの声だ。
あわてて時計を見ると、わっ、もう行かなきゃ遅れちゃう! わたしはがばっとランドセルをつかんだ。
❤
教室に先生が入ってきて、みんなに言った。
「今日から新しくみんなの仲間になる子がいます」
とたんにみんなざわざわ。
一月も終わりのこの時期に珍しいな。
どんな子だろう?
入って、という先生の声とともに教室に入って来たのは。
「失礼いたします」
という、すごく丁寧で大人びた声だった。
その子が登場したとたん、教室がしんとした。
外見もすごく大人っぽい子だったの。
クリーム色のニットに茶色のプリーツスカート。
つやつやの黒髪が腰まで垂れてる。
「父の仕事の都合で、隣町から参りました。露木せいらと申します」
その子はしずしずって感じでお辞儀する。
「はい、みんな仲良くしてあげてね。じゃ露木さんは、6班さんに加わってください」
わっ!
わたしと同じ班だ。
「それでは一時間目の学級会を始めます。今日は各委員会からの提案を順に聞いていこうと思うの」
まず最初に提案したのは体育委員会だった。
「今日から昼休みは毎日、クラスでドッジボールをやろうと思います」
男子の大部分や、運動の得意な女子から歓声があがる。
でも、運動が得意じゃないわたしはどんより……。
いやだなぁ。
「待ってください」
次に手を挙げたのは、音楽委員の白石さんだ。
「昼休みは、三月の感謝の会に備えてみんなで合唱の練習をするように、あたしたち提案するつもりだったんだけど」
そっかぁ。
音楽委員、熱心だなぁ。
でも、音楽が苦手な男子からはブーイング。
「みんなで仲良くなるためには一緒にドッジボールをするのがいいと思います」
「先生たちやお父さんお母さんたちに聴いてもらう感謝の会でいい演奏ができれば、団結力も高まると思うんですけど」
みんな自分のやりたいほうの意見を押して、一向にまとまらない。
そんなとき、スッと白い手が上がった。
「恐れながら、それはどちらも非効率ではないでしょうか」
みんなが、手を挙げた子を見た。
その子はわたしのすぐ前の席にいる、今、教室の仲間になったばかりの、露木さん。
「ヒコウリツってなにー?」
素直な男子の質問に頷いて、露木さんは立ち上がる。
「お聴きしたところ、どちらの提案も目的はクラスのみんなが仲良くなるためとお見受けしましたが、わたくしの見解に相違はありませんか?」
なんとか意味をくみ取った体育委員と音楽委員が頷く。
「それを達成するためにはどちらの提案も、効率的ではないと申し上げたのです」
わたしも思わず、耳ダンボ。
どういうことだろう?
「それは本来の自由時間であるお昼休みにみんなに同じことを強制するという点です。自分と同じ行動を他の人に押し付けている、その時点で、クラスの人間関係は平等とは言えません。昼休みには、各々好きな事をやって、お互いにそれを尊重しあうというのが、ほんとうの意味で仲良くなるには最良の方法だと考えます」
みんな、シーン。
す、すごい……!
パチ、パチと音がした。
それを慣らしてるのはわたしの手だった。
思わずって感じで、拍手しちゃったんだ。
その拍手はいつの間にか教室全体に広がっていた。
❤
その日の給食の時間。わたしは勇気を出して、転校生の露木さんに話しかけることにしたの。
給食の時間は班ごとに机を向い合せにして食べるから、大チャンスだよ!
でも、なかなかきっかけがつかめない。
みんなその大人びた空気に圧倒されちゃって気安く話しかけられないかんじ。
肝心の露木さんは一人でも平気ってかんじで黙々と給食食べてるし。
どうしようかなって考えてると、突然。
「大丈夫?」
うそっ。
露木さんの方から、わたしに声かけてくれたっ!?
「あなたは、ええっと、本野さん、よね」
わたしはあわてて隣を見て笑顔を作る。
「うん! そう。本野夢未だよ。よろしくね」
「本野さん、さっきから気になってたんだけど」
露木さんはそっと、わたしの給食を指さす。
「そんなに食べる量減らして。具合悪いの?」
うっ。
気づかれてた!
さっきそっと、パンとシチューを配膳に戻したの。そのとき視線を感じてはっと教室の隅をみたけど、気のせいだったみたいで、ほっとしてたのに。
「ちゃんと食べないと、身体によくないわ」
あれ……?
ずばっと物を言う、はきはきした子なのかなと思ってたけど。
ほんとは優しいのかな?
「ありがとう。そ、そう。えっと今日はちょっと、風邪気味で」
ほんとは太ったのを気にしてるんだけど……。
「まぁ」
露木さん、嘘ついてごめん。
「お大事にね。この時期の風邪はしつこいから」
なんだか嬉しくなってわたしは思わず、ずっと思ってたことを言った。
「露木さんの名前、聞いた時ね、いいなぁって思ったんだ」
驚いたように露木さんはシチューをすくう手を止める。
「小公女セーラと一緒なんて、すごくおしゃれ!」
露木さんは微笑む。
そうしてるとほんとに、本に出てくるイギリスの女の子みたい。
「文学にお詳しいのね」
「うんっ。大好きなんだ! 露木さんって、名前だけじゃなくてなんかもう全部が小公女みたいだよね。わたし感激しちゃって」
『小公女セーラ』は、イギリスの小説の主人公。まさに、露木さんってかんじの上品で気高い女の子なんだ。
「実は、あの本、母の愛読書なの。わたしにもああいう女の子になってほしくてこの名前をつけたんですって」
「そうなんだぁっ。わたしも、あの本大好き!」
目が輝くわたし。
「そうね。セーラの行動やポリシーはわたしも喜んで参考にするけれど、小物やファッションまで同じものを強要してくる母には辟易だわ」
へ、辟易?
本にたまに出てくる。確か、うんざりとかいう意味だよね。
ちょっと意外。
露木さんに小公女ファッションはすごく似合いそうだし、それにわたしだったらセーラみたいな服や持ち物買ってもらえたらすごく嬉しいのにな。
「露木さんも、本が好きなの?」
「えぇ。よく読むのは歴史ものだけど」
「えっ、ほんと? なにが好き?」
それからわたしたちは夢中で話し込んだ。
少し離れた席から、ももちゃんがちょっと怒ったような顔をしてたのに、気付かなかったんだ。
❤
帰りの会にはほめあいタイムっていうのがある。
その日、がんばってるなと思った人、いいことしてた人を発表するんだ。
わたしも、発表したいなと思うことはあっても人前で話すの苦手でなかなかできなくて、いつもその日見たがんばってる子たちにごめんねって心で謝ってるの。
でも、誰かのいいところ聞くのって気持ちいいし、ときには学校だけじゃなく、だれだれが空手で段をとりましたとか、ピアノのコンクールで金賞でしたとか、外のことも知ることが出来て、わたしもなにかがんばりたいなって思うの。
今日のほめあいタイムも、いろんな子の名前があがった。
みんなすごいなって思っていると、最後に、それを上回る驚きの発表があったの。
先生から名前を呼ばれて立ち上がったのは、白石さんだった。
「園枝さんが、ジュニア雑誌の来月の読者モデルに選ばれました!」
教室中がわぁっとどよめく。
うそ。
ももちゃんが、読者モデル!?
辺りに沸き起こる拍手。わたしもあわてて手を打つ。
そうしてるうちに徐々に納得した。
そうだよね。
ももちゃん、すごくかわいいもん。
それにおしゃれのセンスもいいし。
白石さんが胸を張って言ったのもわかる。
わたしにとっても自慢の友達だもん。
「すごいわね。園枝さん、撮影はいつなの?」
先生に言われるももちゃんを見て、あれと思った。
なんかあんまり嬉しくなさそう。
うつむいて、小さな声で言ったんだ。
「たいしたことないです。親が応募して、たまたま受かっただけだし」
ももちゃんらしくない。
いつもならみんなの声援受けて、のりのりでピースやウインクまでしそうなのに。
どうしちゃったの?
わたしはもう一つ、大切なことに気づいた。
ももちゃんが読者モデルに選ばれたこと、わたし聞いたの初めてだ。
白石さんには言ってたのに。
どうして、わたしには話してくれなかったんだろう?
まだ盛り上がっているみんなの声が耳の遠くで鳴っていた。
❤
それから数日、なんとなく気まずくてももちゃんとは話さない日が続いた。
ももちゃんは気にしてないってかんじで白石さんや他の子と話してる。
時々ちらっと目が合うけど、前みたいに笑ってくれないですぐ逸らされちゃう。
やっぱりこんなのは寂しい。
わたしは放課後思い切ってももちゃんとの沈黙を破ることにしたんだ!
「ねぇ」
ランドセルをしょって帰ろうとするももちゃんに声を掛ける。
「ももちゃん。その。一緒に、帰らない?」
ところがももちゃんが言ったのは、
「露木さんと一緒に帰れば」
冷たい一言だった。
そしてぽつんと言ったんだ。
「最近夢、露木さんのことばっかり」
そ、そうかな。
「ほらわたしも、去年の冬に転入してきたでしょ? 季節外れの転校ってすごく心細いの。だからなんか、他人事と思えなくて、力になりたいっていうか」
話してるうちに、いいことを思いつく。
「あ、それじゃ、ももちゃんも露木さんとみんなで一緒に話そうよ! 絶対楽しいよ」
ももちゃんは帰りの支度を続けながら言った。
「正直、あんま気が進まないんだ」
え?
冬にこの学校にきたわたしにも唯一、話しかけてくれたのはももちゃんなのに。
誰とでも楽しく話す子がこんなこと言うなんて。
「気づいてる? 露木さん、クラス中の女子に笑顔であいさつするのに、あたしにはこわばった顔して会釈だけなんだ」
え。
そうだったの……?
「あたし多分嫌われてると思う」
そんな。
ももちゃんはこう見えてすごく傷つきやすいんだよね。
わたし、露木さんと仲良くなろうってことばっかりで、そんなことこれっぽっちも気がつかないで。
大事な友達のこと忘れるなんて、いやな子だな……。
なにも言えずにいるとももちゃんはランドセルを背負って一人、教室を出てしまっていたの……。
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