㉒ 心を捧げた悪役は誰?

「そうか。答えの持ち主は彼だったか」

「心が外の世界に羽ばたく瞬間と、彼はそう言ったのね」

 ケストナーおじさんとモンゴメリさんに、わたしはうなずいた。

 今日の星降る書店での会議のメンバーは他にはももちゃんと、そしてマーティン。

 ナミダガラの滝についてのわたしの報告を兼ねて、栞町から本焼く炎を消す作戦を立てるため、引き続きの話し合いなんだ。

「夢未ちゃんが調査しているあいだにこちらもいろいろ調べてわかったことがあるんだ。マーティン」

 ケストナーおじさんに促されてマーティンは頷く。

「調査の結果、残念だけど、今回の火の元は夢未、君のお父さんに間違いないと思う。僕が本の中から飛びだしてきたのは、ほんとうは以前からそのことに気づいていたからなんだ。夢未のお父さんから、かすかに焦げ付くにおいがした。これは本焼く炎が燃え始めてるんじゃないかって危惧して、彼を仲間たちと交代でずっと見張ってた。結果出火を防げなかったことは謝りきれないけど」

「そんな。お父さんを見ていてくれてたってだけでも嬉しいのに」

 わたしが胸の前で両手をふると、マーティンは力強く頷いた。

「今は悔やむより、これからの最善の策を練ることに集中しようと思う」

 さすがは、『飛ぶ教室』の中でもみんなのまとめ役のマーティンだよ。進行役を任せていてすごく安心できるもの。

 ちらっとわたしはももちゃんを見た。

 やっぱり。

 赤くなっちゃって、ぽーっとしてる。

 ふふふ。わかる。恋心って場所を選ばないよね。

「これを見てくれ」

 マーティンは一旦席を離れて、ドイツ文学の棚から一冊の本を抜きだした。

 タイトルは『グリム童話集』。

 受け取ってぱらぱらめくると、びっくり。

 どの本にも空欄がいっぱいある。

 『白雪姫』からは、「お妃さま」の文字が、『シンデレラ』からは「お母さん」や「お姉さん」の文字が消えてる。

 わたしはいそいでめくったさきは、挿絵のページ――やっぱり。

 そこには、きれいに着飾ったお姫様や森の動物たち、カボチャの馬車なんかは描かれてるけど、黒い服の魔女や毒りんご、いじわるな顔をした女の人はみんな消えてた。

 これを見れば、なにが起きたかすぐにわかる。

「悪役が本の中から抜けだしたんだ。それでもって、人々の心をのっとって、本を焼かせてるんだね!」

 ももちゃんの指摘をケストナーおじさんが訂正する。

「のっとったというのとは少し違う。本なんて必要ないと思う人々が、本の中から悪役を呼び出して、心に溜まった本に感動した気持ち、すなわちブーフシュテルンの欠片を捧げている」

「自分から進んで悪役に心を渡して、のっとられてるってこと?」

 追及するももちゃんに静かにうなずいたのは、モンゴメリさんだった。

「そう思ってもらえればいいわね」

「なんでわざわざそんなことするの?」

 うん、それ。わたしも不思議に思った。

 ケストナーおじさんを見ると、悲しそうにテーブルに目を伏せていた。

「なにも珍しいことじゃないんだ。残念ながらそうしてしまう人はたくさんいるんだよ」

 そう言ったきり、ケストナーおじさんは黙ってしまった。

 マーティンが会議の舵をとる。

「では、夢未のお父さんも心を悪役に捧げてしまっているということですね。その心をもう一度取り戻すにはどうすればいいんですか」

 ケストナーおじさんは顔をあげてゆっくり答えた。

「物語を展開させることだ」

 わたしたち、頭の上にハテナマーク。モンゴメリさんが補足してくれる。

「お話の中で悪役はたいがい主人公に懲らしめられるでしょう。最後にはなにかのきっかけでよい人物に変わる場合もあるわ。夢未のお父さんが心を捧げたのがどの本のどの登場人物かつきとめて、物語の中でその人物をよい人物に変えたのと同じきっかけを与えるの」

 悪役が、いい人に変わるきっかけか。

「それには、また別の登場人物が必要なんじゃ」 

 パチンとモンゴメリさんが指を鳴らした。

「さすがは夢未ね。そこなの」

 モンゴメリさんはレースのハンドバッグから、あるものをとりだしたの。

 全部が金色で、てっぺんにどこかの国の国旗のような部分がある。その下に赤いリボンのついた長い棒の部分があって、さきっぽにクリスマスによく見かけるベルがついてる。

 高級レストランのテーブルの上に置いてあるような、メイドさんやボーイさんを呼ぶベルだ。

「これは、ディナーベル。まだ開発中で今は『秘密の花園』でお客様が使うただの呼び鈴に留まっているけれど、じつは別の用途もあるの。ベルの部分がブーフシュテルンから作られていて、本の世界から、登場人物を呼び出すことができるのよ」

 わぁっ、すごい。

「これがあれば、本の中から助っ人を呼んで、一挙解決だね!」

 ももちゃんが手をたたいた。

 だんだん糸口、見えてきたよ。

 その人物に物語を展開させてもらえばいいんだね。

 ところがモンゴメリさんは素早く指を振る。

「ただし、使い捨てにつき一回勝負よ。原料が星屑だから、音を鳴らすために一度ゆらすと星がばらばらになってメルヒェンガルテンに帰ってしまうの。助けてくれそうな人物をよく考えて使わなくてはいけないわ」

 緊張に、みんながまたしんと静まり返ってしまう。

 ここでもまた、マーティンが議題を進めた。

「それにはまず、夢未のお父さんにとりついた悪役が誰なのか知らないとはじまらない。彼は、自分の心に近い悪役を呼び出して心を捧げているはずなんだ。お父さんの心に近い悪役――夢未、心当たりはないか」

 えっ。

 わたしは急に振られて、たじたじ。

 お父さんの考えてることなんて、一番わかんないよ。

 かわりに叫んだのはももちゃんだった。

「まさにこれでしょ!」

 ももちゃんはびしっと、机の上に広げてある『グリム童話集』を指さした。

「白雪姫とかシンデレラの継母! 子どもを傷つける親って意味で、似てるじゃない」

 うーん……。

 わたしは首をひねる。

 ちょっと違う気がするなぁ。

「……子どもをいじめたいっていうのがお父さんの一番奥にある本当の性格だとは思えないんだ」

 わたしが言うとももちゃんはすぐに次の案を出す。

「じゃ、『ジキル博士とハイド氏』のハイド! 人間の悪の側面だけを切りとった男。絶対これだよ」

 わたしは考え込んだ。

 殺人犯のハイド氏、か。

 確かに、殴られたときには殺されちゃうかもって感じるほど怖かったけど。

 冷静なマーティンの声がその場の空気を一変させる。

「子どもをそこまでのひどい目に合わせる周到な親も確かにいるが、話を聞く限りでは夢未のお父さんの場合、夢未を殴ったのはかなり突発的な感情だったという印象が強い」

 出鼻くじかれたって感じで、ももちゃんはマーティンをじろり。

「マーティン。またむずかしい言いかたしないで、わかるように言ってよ」

 マーティンの代わりに指南役を買って出てくれたのはケストナーおじさんだった。

「夢ちゃん。つらいことを思い出させてすまないが、お父さんが君を殴るのは、計画的なことかな」

 わたしは首を横に振った。

「そういうときは、いつもお父さんがかーっとなったときなんだ」

 アパートにくるとき、お父さん、どこかいつも冷静じゃなくて、病気の人みたいな目をしてて。

 ちょっと変になってるんだよね。

 きっと、心の底からわたしを傷つけたいって思ってるわけじゃないと思う。

 そう伝えると、ケストナーおじさんは笑ってうなずいた。

「僕もその見解に一票だな」

「マーティンも、人を傷つけることがお父さんの本質じゃないって言ってくれてるんだよね」

 そう訊くわたしに、マーティンは頷いた。

「ありがとう。わたしも賛成だよ。そうやって、わたしが信じたいだけなのかもしれないけど……」

 わたしの言葉にマーティンは冷静に言う。

「今回はその可能性にかけていこう。夢未のお父さんにとりついているのは、グリム童話の継母やハイド氏のような、根っからの悪じゃない。つまり、彼を変える方法があるはずだ」

 わたしは机を見つめて考えた。

 そう。

 きっと方法はある。

 でも。

 お父さんがどの物語の誰に心のブーフシュテルンを渡しちゃったのかわからない以上、どうすることもできないよね……。

 わたしは、席を立って発言した。

「わたし、お父さんに会う。会って、考える。お父さんからどうして炎が出たのか」

 ももちゃんが続けて勢いよく立ち上がる。

「無理しちゃだめだよ。今夢がお父さんに会ったら危ない」

 そんなももちゃんを安心させるようにマーティンが立ち上がってそっとその背中を支える。

「もちろん、二人きりで会わせはしない」

 ケストナーおじさんも、モンゴメリさんも立ち上がった。

「僕らもこっそりお供しよう」

「もちろん、異論なしよ」

 マーティンが呟いた。

「絶好のチャンスがある」

 うん。

 わたしも心でうなずく。

「ただし、これは敵方にとってもまたチャンスだ。本を燃やしつくそうと勇んでくるのは間違いない」

 モンゴメリさんと、そしてケストナーおじさんと、わたしは無言で目を合わせる。

 一人きょろきょろしているのはももちゃん。

「なに、みんなして。わかってないの、あたし一人だけ!?」 

 わたしは微笑んで、ももちゃんに教えた。

「明日の、ケストナーおじさん生誕百二十周年祝賀会に、お父さんも来るはずなんだ」

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