⑩ 恋しはじめにぴったりのお話

 星崎さんは夜、星降る書店でお仕事があって、これから行かなきゃいけないんだって。カフェを出た時、思わずわたしもそこまでって勢いのまま言ってしまって、あわててつけたす。

「星降る書店で、本を見ていきたい、ので」

 もちろんそれは嘘じゃないけど、ほんとうは星崎さんと少しでも長く一緒にいたいからなんだ。

 星崎さんは悪いねと笑った。



「けど夢ちゃん。もしこのさき好きな人とデートするなら、『送ります』じゃなくて、『送ってください』って言わないとだめだよ」

 へ? とわたしは顔をあげる。

「どうしてですか?」

「甘えることもときには大切ってこと」

 甘える……?



 ね、夢ちゃん。

 囁くような、星崎さんの声がする。

 わたしは、猫みたいに大好きな人に頭をもたせかけてる自分を想像する。

 夢ちゃん、なにか辛いことがあったり、しないのかな。

 なんか、そんな気がするときがあって。

 え? 星崎さん、肩に手を回すなんて、そんなっ。

 恥ずかしいよ~。



「夢ちゃん?」

「はっ。ごめんなさい」

 えっと、何か訊かれたような気がするけど、なんだっけ?

 肩に手を回されるとこ妄想してたらわかんなくなっちゃった。

 考えていると、星崎さんは笑って言った。

「ううん。なんでもないよ。それじゃ夢ちゃん、今日はありがとね」

 はっ。

 気がついたら、目の前に見慣れた雑誌の棚があった。

 妄想しているあいだに星降る書店の自動ドアを通っていたみたい。

 「あ、いえ、わたしこそ。ありがとうございました」

 お辞儀をして、やっぱり寂しくなる。

 これで、初デートは終わっちゃうんだ……。

「それじゃわたし、お店の中見てから、帰ります」

 くるっと背を向けようとしたとき、

「あ、ちょっと待って」

 星崎さんに呼び止められた。



 星崎さんは速足でカウンターのほうに行くと、赤い生地にクリスマスリースとベルマークの描かれた包装紙で包まれた四角いものを持って戻ってきた。

 もしかして。

「これ。夢ちゃんにクリスマスプレゼント。今いそいで包んできたんだ」

 きゃーっ。

「開けてもいいですか?」

「どうぞ」

 なるべくきれいにテープをはがしてそっと中を見る。

 わぁ。

 わたしの好きな外国の本だった。

 スティーブンスンというその作家さんの名前は知っていた。

「『ジキル博士とハイド氏』の人だ」

『ジキル博士とハイド氏』は、正反対の二人、誠実なジキル博士と凶悪なハイド氏の謎を描いたお話なんだ。

「さすが夢ちゃんだ」

 えへへ、星崎さんに褒められた。

「この時期としてはオー・ヘンリーの『賢者の贈り物』かとも思ったんだけど、そういう有名どころは夢ちゃんならとっくに読んでいそうだから」

「はい。とってもすてきなお話だと思いました」



『賢者の贈り物』は、クリスマスのある夫婦のお話。旦那さんと奥さんは、クリスマスプレゼントにお互い相手に内緒で贈り物を用意するんだけど、それがちょっとおかしなことになってしまうの。それなのに、この旦那さんも奥さんも、読んでるわたしたちもとってもあたたかい気持ちになって……あ、だめだめ、この先は内緒だよ。手に取ってみてね。短いからさくっと読めちゃうよ。



 もらった本のタイトルは、『南海千一夜物語』と書いてあった。目次をめくってみると、たくさんのタイトルがぎっしりつまっている。

「これも短編集?」

「うん。この中にとっておきの話が入ってるんだ。誰かを好きになりはじめの女の子にいいかなと思って」

「えー」

 そんなふうに言われたら気になる。

「どれなんですか? 星崎さんのとっておきのお話って」

 星崎さんの長い指が、そっと口元にあてられる。

「それは読んでからのお楽しみ」

「えぇーっ」

 すぐにでも読んで探りたくなるよ。

「感想楽しみに待ってるよ」

 それじゃと手を振ってレジの方へ行く星崎さんにわたしは手を振り返した。



 わたしはまじまじと、その本の表紙を見つめた。

 ヤシの木や砂浜が描かれている。常夏の島が舞台なのかな。うん、タイトルにも南海ってあるし、それっぽい。

 この中に、星崎さんのとっておきのお話がある。

 誰かを好きになりはじめた子に、ぴったりのお話って言ってたけど。

 それはこの本のどのお話のことで、どうして、星崎さんはそんなことを思ったんだろう。

 はやく知りたいな。

 読書ってもともと大好きだけど、この本にはいつもの楽しみともう一つ、おまけの楽しみがもれなくついてる気がしたんだ。

 豪華なパフェのてっぺんに乗ったピンクのさくらんぼみたいに。

 わたしはおやつのあとよりもずっと満腹な気持ちで、その本を抱きしめた。

 胸にかけた小瓶の中の青いジュースがちゃっぷん、と弾んだ。


 「恋する乙女には、ついてけませんなぁ」

 翌日の放課後。

 教室で星崎さんとのデートの報告をするわたしに、ももちゃんは両手を広げた。

「一晩で読んじゃったの? その、星崎王子からもらった本」

 まただらしなくほっぺたがさがるのを感じる。

 ももちゃんがふきだす。

「夢は正直でよろしい」

 ううっ。ときどき思うんだよね。ももちゃんや、ほかの同い年の女の子に比べて、わたしって単純なのかなぁ……。

 でも、やっぱり、嬉しいものは嬉しいや!



「もうね、星崎さんの言ってたお話がどれかすぐわかっちゃったんだ!」

「タイトルは?」

「『瓶の悪魔』」

「えっ。なんか怖そう」

「そう思うでしょ~? それが、違うの。とってもすてきなお話なんだよ」

 わたしはわざと咳払いをして、いつものように夢中になって話しはじめちゃう。



「ハワイに住む主人公のケアウェはある日一つの小瓶を買うの。悪魔の入った不思議な小瓶で、持ち主の願うことは永遠の命以外ならなんでも叶えてくれるんだ」

「マジか。あたしなら百万円欲しいな」

 ももちゃんらしいなぁ。

 でもこの小瓶には落とし穴があるんだよ。持ったまま死んでしまうと、悪魔に地獄に落とされちゃう(ここでももちゃんが、なにそれこわっとほっぺを押さえた)。だから、買った時の値段より安く売らないといけないんだ。

「ふぅん……それなら、簡単そうに思えるけど」

 ふっふーん。

 ももちゃんに、わたしはわざと意味深に笑って見せた。

「そう。ケアウェはお花いっぱいの豪邸に住みたいっていうお願いを叶えたあと、瓶を友達に売るの」

 これでめでたしに思えるでしょ?

 でも物語はここでクライマックス。ケアウェには好きな人ができるの。その女の子の名前はコクア。二人は両想いになるんだ。それなのになんと、ケアウェは治らない病気にかかってしまうの。コクアと一緒にいたいけど、それだと病気をうつしてしまう。そこで、ケアウェは小瓶の悪魔をもう一度買い戻して、病気を治してもらうことにするの。



「よかった。それで病気を治すんだね。晴れてラブラブな新婚生活突入」

「ところが!」

 びしっと人差し指をももちゃんの前に突き立てる。

「小瓶の値段は一セントになっていたの。もうこれ以上、安く売ることはできないよね」

 ももちゃんは、口を大きく開けて、ほっぺたを両手で挟んだ! む、ムンクの叫び?



「そうじゃん! 地獄行きだ!」

「その通り。でも、ケアウェはその人から小瓶を買い取るの――!」

 ホラー映画でも語る感じの渾身の怖い顔を作って言ったわたしの腕をももちゃんはたたいた。

「ええっ、それからどうなるの?」

「ここからがすてきなんだぁ。あぁ、思い出したらまた読み返したくなっちゃった。ももちゃんも続きは絶対自分で読んだほうがいいよ!」

「えー、なんだそれ、気になるー」

「わたし、今日は帰ってもう一回読み返すから。それじゃぁね」

 ご機嫌でわたしは回れ右をしたんだ。

「うわー、教えてよー、夢の意地悪ー」

 背中からももちゃんの声が聞こえてきたけど、気にしないもんねっ。

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