崩壊-1-
あれから私は頻繁に秋人くんと会うようになった。
私が通う高校と秋人くんが通う中学校が近い位置にあるというのと、通学路が途中まで被っているということもあって、待ち合わせに困ることはなかった。
秋人くんは私の顔を見るといつも、
「真由美さんはまだ自殺したいと思ってる?」
と尋ねてきた。
私は決まってこう答える。
「まだ思っている」と。
今日もその会話から始まった。
話す場所はいつもの河川敷。
秋人くんは妙にこの場所を気に入っているようだった。
「秋人くんはもう受験生だよね?高校は決めた?」
「俺はねー、須浦高校受けようと思ってるよ」
須浦高校は偏差値が70を超える超名門校だ。
私の通う成貴高校もこの近辺ではなかなかの偏差値を誇ってはいるものの、須浦高校には足元にも及ばない。
「勉強出来るんだね、すごい」
私は秋人くんを純粋に凄いと思ったが、秋人くん自身は神妙な面持ちだった。
「そんなにだよ。俺は兄貴に負けるのが嫌だから、成貴高校より上を志願してるだけだし」
わかってはいたが、秋人くんは相当な負けず嫌いらしい。
特に兄である綾瀬には絶対に負けたくないと話した。
「いつかギャフンと言わせたい」と笑う秋人くん。
彼と話をしていると、私は心が安らぐ気がした。
未だに学校では無視され続け、登校する度にストレスが溜まる。
しかし、こうして秋人くんと会話をしていると、それが嘘のように頭から離れて行った。
――ああ、私は秋人くんのことが好きなんだな。
そう思った。
しかし、同時にこの想いを告げることが出来ないことも気が付いた。
何故だかわからないが、秋人くんのことは決してそういう目線で見てはいけないと思ったのだ。
「最近さ…」
秋人くんが制服のネクタイを少し緩めた。
「体操服を忘れる夢をよく見るんだよ」
下唇を軽く舐め、口元を一の文字に結んだ。そのまま少し下を向く。
笑い話なのかと思ったが、秋人くんの面持ちを見る限り、違うらしい。
「調べてみたら、やりたいことを我慢している暗示らしくてさ」
秋人くんがゆっくりと顔を上げ、こちらを向いた。
目と目が合う。秋人くんの目尻は少し赤かった。
風邪を引いて高熱が出ているときの、心細い目のようだ。
「…俺さ、ずっと我慢してることがあって」
「我慢してること?」
コクリと頷き、眉間に皺を寄せて目を細める。
秋人くんは深く深呼吸をした。
何か、覚悟を決めたように口を開く。
「…昔々、あるところに隆志という男の子がいました」
…なに?昔話?
私は話が掴めず、疑問に思いながらも秋人くんの話に耳を傾けた。
秋人くんはそのまま話を続けた。
「男の子は、酷いいじめに遭っていました。机に落書きをされ、黒板消しを投げられ、顔を踏まれ」
――私と、似てる?
「男の子は思いました。復讐してやる、と。やがて男の子は中学生になりました。男の子は人が変わったかのように、昔のクラスメイトを殴る蹴る。自分をいじめていたヤツを自分と同じ方法で復讐しました。しかし、男の子は元クラスメイト全員に復讐する前に転校しました。…男の子は、自分の周りの人を傷つけられたんだ。だから、転校した」
秋人くんは古傷のある左手を右手で撫でた。
何とも言い難い表情の秋人くんを、私はただ見つめることしか出来なかった。
「…真由美さんと、少し似てるよね」
秋人くんが眉を下げて笑った。
確かに、されたことは似ていた。…私はやり返そうだなんて考えたこともなかったけれど。
やり返したところで、どうにかなるとも思っていなかったから。
「けど、正反対のことが一つある。そいつは自殺したいだなんて思ってない」
「…そう。強いんだね、その子」
秋人くんはじっと私を見つめた。
まるで、私を射るように見つめてくる彼の目は、何かを訴えかけてきているようだった。
瞬間、すごい青嵐が吹き、秋人くんと私の髪を靡かせる。
髪が頬に引っ付く不快感が気にならない程、私は秋人くんから目を離せなかった。
「わからない?」
私をじっと見つめたまま、秋人くんが言った。
「何…が?」
夕暮れが、秋人くんの瞳を茶色に輝かせていた。
瞳の中の虹彩が小さくなっている。
光が長い睫毛を反射して、光の粒子が飛び交った。
「俺だよ。隆志…、綾瀬隆志は」
まさかの発言に私は目を見開いた。
同時に思考が停止する。
秋人くんが、隆志くん?
いじめられていた?
転校した?クラスメイトに復讐した?
「…嘘」
「…嘘なんかじゃないよ。実際、俺はいじめに遭ってたし、前の学校ではクラスメイトに復讐してた」
秋人くん…いや、隆志くんは大きく息を吸い込んで、黙った。
空を仰ぐ彼は、涙を堪えているように見えた。
私は頭が事態を呑み込み切れずに、何も言えなかった。
彼はいじめとは一生縁がない人だと勝手に思っていたからだ。
しかも、被害者側だなんてとんでもない。想像も付きそうにない。
「俺はずっと我慢してた」
隆志くんの表情を見れば、彼が何一つ嘘など吐いていないことは容易にわかったが。
「大切な人を傷つけられたから仕方がなく中断したんだ。…あんなことがなかったら俺は転校なんてしてなかったし、今も復讐を続けてた」
遠くで烏の鳴き声が聞こえた。
もう夕方か、家に帰らないといけない。そんなことを考えている余裕なんてなかった。
外からは何も見えない。
隆志くんが何を思って、何を抱え込んでいるのか。
「許せないんだ、俺は…。どれほど耐えたと思う?ノートを破かれたり、机に落書きされたり。それだけならまだよかったよ」
だが、塞き止めていたものがなくなったように全てを話す隆志くんは、少し無理をしているように見えた。
「この傷、前の親友にやられたんだ」
隆志くんは左手を私の方へ伸ばした。
時間が経って、白い痕になっているそれは、今でも痛々しい。
私は思わず生唾を呑んだ。
隆志くんの左手が私の頬の傷に触れる。
「…どう頑張っても中々心は癒えてくれない。だから、真由美さんの痛みはよくわかる。真由美さんも…辛かっただろうから、消えたいって思うのもわかる。でも、俺はどうしても、"何であんな奴らの為に自分が死ななきゃならないんだ"って考えてしまう」
「でも、それはあなたが強いから…」
隆志くんの手が私から離れた。
「…多分、俺はやり返しておかないと…復讐しないと、満足出来ないんだ。心が満たされないんだ」
「けど、もう復讐なんてしてないんでしょ?それは、転校する前の話でしょ?」
隆志くんは黙る。
川の流れる音が五月蝿いくらいに聞こえてきた。
同時に、部活帰りの学生の笑い声と自転車の音が一緒になって耳に届く。
「隆志くん…?」
私は隆志くんのことを何一つ知らない。
知らないから、何も言えない。
相変わらず涙を堪えた表情をする隆志くんが儚げに笑った。
「言っただろ。…俺は我慢してるだけなんだ。まだ、復讐は終わってない」
「でも、そんなの、復讐なんて」
「復讐なんてよくないよ」と言いたかった。
言いたかったのに、舌が絡まって上手く言葉に出来なかった。
私だって、この状況が打開出来たら、と考えたことぐらいある。
だけど、仕返しをすることは負の連鎖だと言うことも知っている。
だから、私は自分の命を絶つことしか考えられなかった。
やり返したところで、どうにかなることじゃないから。
「…真由美さんは優しいんだろうね」
私の言いたいことが伝わったのか、隆志くんがポツリとそう言った。
「そんな人が死ななくて良かったよ。…死ぬべき人間は他にもっと沢山いるんだから…さ」
「だけど、隆志くんが手を下さなくたって、先生がどうにか…」
私の言葉を聞いた途端、彼の表情が変わった。
この世に絶望した、叫び出しそうな、恐怖に染まった顔だ。
ヒュッと息が鳴ったのが聞こえた。
「…真由美さんが、いじめに遭ってるとき…先生は助けてくれた…?」
助けられたことなんてない。
教師なんてそんなものだ。
それは私がよくわかっているのに、とんでもないことを口走ってしまった。
…本当に私は馬鹿だ。
彼を見る限り、隆志くんだってそうだったはずだ。
「…俺は助けてなんてもらえなかった。何ならその逆だった。一番許せないんだ、あいつが。だって、俺が転校してこの町の学校に来たのはあいつの近くに居るためだから」
隆志くんが手を震わせていた。
額から汗が噴き出ている。
「た、隆志くん、ごめ…。私、こんなことを言いたかったわけじゃなくて…」
「…弁解なんていらない」
隆志くんは顔を膝に埋めた。
体育座りをして、ぎゅっと身体を小さくする。
「…隆志くん、あの…」
「…俺は、小4からいじめに遭ってた。4年から担任が3年連続で同じやつだったんだ。自分のクラスでいじめなんて面倒だから見て見ぬふりをしてるのかと思ってた」
顔を膝に埋めたまま、くぐもった声で隆志くんが話す。
「でも、違った。あいつは楽しんでたんだ。まるで、見世物みたいに。…それを知ったのは、卒業の日だった。それから、俺の糸が切れた」
ズズッと鼻を啜る音が聞こえた。
もしかすると、泣いているのかもしれない。
私は只管、隆志くんの話に耳を傾けた。
「中学入ったら、絶対に全員に復讐してやろうと思った」
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