友人

約束の時間に1時間以上も遅れて、俺の友人である綾瀬隆志あやせ たかしはやって来た。

全力で走って来たのか、膝に手を付いて肩で息をしている。

その額からは汗が滲み出ており、頬から顎を伝って地面に落ちた。


「ごめん!早瀬と今日約束してたのすっかり忘れてたわ」


両手をパンッと音を立てて合わせる。

眉間に皺を寄せながら目を瞑って頭を下げる姿を見て、本気で怒れるほど俺も鬼じゃない。


「ああ…俺とお前との友情は所詮こんなもんなのか…」


俺がわざとらしくそう言えば、「悪かったって」と綾瀬が笑った。

どうやら、俺が自分を許したと汲み取ったらしい。

そもそも、たかが1時間の遅刻ほどで怒る程、俺は器の小さい男ではないのだ。


「それで?一体制服のままどこをうろついてたんだよ」


見慣れた制服を着たままの綾瀬の姿に疑問を持った俺は、綾瀬に尋ねた。

学校帰りの姿のままうろついていたのなら、それなりの大事な用があったのかもしれない。

だとすれば、急用よりもこちらを優先してもらっては申し訳ない。


「え?まあ、ネットで知り合った人に会いにな」


しかし、その俺の考えは綾瀬の意外な言葉により儚く崩れ去った。


…今なんて言った?

ネットで知り合った人に会いに行ったって言ったのか?


俺が信じられずに綾瀬の顔を見ると、何食わぬ顔で綾瀬もこちらを見ていた。


「ちょ、おま…。聞いて呆れた。馬鹿だろ」


俺はそんなことの為に約束をすっぽかされて、待ち惚けを食らったのか。

どうにも解せない。


「別に、女の人だったし。大丈夫かなと思って」


いや、決してそういう問題ではない。

男だから危ないとか女だから危ないとかそういうことを言っているんじゃない。

まず、ネットでの知り合いと俺とを天秤に掛けた時に何故ネットでの知り合いを取ったのかを切実に知りたい。


「けど、俺の大事な貴重な時間が無駄になったかもなー。残念。これなら最初から早瀬と遊びに行けばよかったよ」


そして、これまた爆弾発言だ。


「いやいや、そこは最初から俺を取れよ!何で、リアルの友達である俺がネットの知り合いに負けてんだよ!?」

「まあまあ、そう怒らずに」


どうどう、とまるで暴れ馬でも宥めるかのように綾瀬が俺の肩をポンポンと優しく叩く。

本当に理解に苦しむ。

どう考えても俺の考えは正常なはずだ。


「しかも、何だよ。貴重な時間が無駄になったって。まさか、その女と付き合うつもりだったけど予想外な女だったからやめたとか?」

「…なんでそうなるんだ」


そう言ってすぐに綾瀬は「ああ」と何か思いついたように口角を上げた。


「お前、女好きだもんな。結構綺麗な人だったけど、会う?」

「誰が会うか!それならナンパするわ!」


ナンパの方が、姿形も性格もわからないようなネット上の人物と会うよりも何倍かマシだ。

ネットなんて、性別すら本当かどうかなんて怪しい。

プロフィール画像が貼られていても、加工でどうとでも出来る時代だ。

信用なんてとても出来たものじゃない。


「ナンパも一緒だってー。見ず知らずの人に『ヘイ、彼女~。今から俺と遊ばな~い?』みたいなこと言うんだろ?そっちのが馬鹿だって」


一昔前のようなナンパの台詞に、俺は思わず吹き出した。

誰が今時そんな風に声を掛けるのか。

そんな台詞を吐かれてついてくる女性なんて皆無だろう。


「今時そんな口説き方するヤツいないって…」

「あれ?マジで?やばいなー、俺時代に取り残されてんのかな」


お前いつの時代の人間だよ、昭和か?

それはさておき、俺との約束を忘れてまでもその女性と会って、何を話していたのかが気になる。


「それで?そのネットの人と何話してたんだよ」


俺がため息を吐きながら綾瀬に尋ねると、綾瀬は「あー…」と目線を俺から反らした。

その目は地面を見つめてから、再びゆっくりと俺の目線へ戻る。


「あんまり、お前には聞かせたくないかな」


…何だ?俺には言えないような内容なのか?

どんな内容なんだ、逆に気になってしまう。

しかし、本人が言いたくないと言っているなら、それを無理強いは出来ない。


「…ならいいや。じゃあさ、これだけは教えてくれ!お前まさか…本名教えてないだろうな?」


これはネット社会を生きていく上でとても重要なことだ。

中には本名を名字から晒している人もいるが、俺には怖くてそんなことは出来ない。

いつどこで個人情報がネットに漏れるかもわからないのだ。

しかし、俺の取り越し苦労だったようで、綾瀬の目がギロリと俺を睨みつけてきた。


「はあ?お前な…俺をどこまで馬鹿にすんだよ。本名なんて教えるわけないだろ。ちゃんと"秋人"って名前で行ったよ」

「あー!良かった!お前が馬鹿じゃなくてよかった!」


綾瀬は大きな吊り目を更に吊り上げた。


「早瀬…、あんまり俺を馬鹿にしすぎると後悔すると思うなー?」

「心の底からすみませんでした」


綾瀬の低い声に、俺は間髪入れずに頭を下げた。

何だかんだ言って、綾瀬は俺の謝罪をすぐに受け入れてくれる。

つまり、とても優しい。

口の悪さが玉に瑕だが。


「それより、これからどうするんだよ。このままだとずっとこのくそ暑い中で立ちっぱなしだろ」


確かに、まだ初夏を迎えたばかりだというのに、気温は例年を上回る程に暑い。

綾瀬も俺も半袖の服に袖を通している。

このままでは熱中症になってバタリなんてのもあり得ない話ではない。

俺は首を傾げて「どうするかな」と悩んでみたが、ふと、先程の話が頭を過った。


「よし、じゃあナンパ行こう!」


瞬間、「っは」と綾瀬の鼻が鳴った。

綾瀬の口が弧を描いたが、その目は決して笑っていない。

多分、俺のことを馬鹿にしている。

いや、絶対に馬鹿にしている。


「お前さ、ナンパして成功したことある?ないだろ?」


正論をぴしゃりと言い放つ綾瀬に俺はぐうの音も出なかった。

しかし、綾瀬は「まあ…」とため息交じりに言った。


「暇つぶしに付き合ってやってもいいけどさ」


意外な綾瀬の言葉に俺は目を見開く。

綾瀬がこの話に乗ってくるとは思わなかった俺は、思わず綾瀬の手を両手で包み込んだ。

相も変わらずひんやりとした手だが、そんなことはどうでもいい。


「マジか!お前…見かけによらずいいやつだな…、泣けるぜ!」

「あー…、手を離せ。きもいぞ」


綾瀬が俺の手を離そうと、身を捩った。

その左手はとても綾瀬には似つかわしくない古傷がある。

「その傷、どうしたんだ?」と聞くことは決して難しいことではないが、聞いてはいけないような気がして、俺はその傷跡が何が原因なのかは知らない。

綾瀬自身もそれに触れてこないところを見れば、恐らく、話したくないのだと思う。


「…何黙ってんだよ。キメエ」

「お前、本当に口悪いよな」


俺が綾瀬の傷のことを考えていると、冷ややかな表情の綾瀬から暴言が飛んできた。

…俺はお前を心配してだな。と言いたいのを堪える。

すると、綾瀬は端末の画面を確認した。


「もう5時か…。早瀬ー、ハンバーガー奢れよ」

「は!?ナンパは!?てか、何で俺の奢り!?」


俺が二つの疑問を綾瀬にぶつけると、綾瀬の口角が不敵に吊り上げられた。


「腹減った。腹が減っては戦は出来ぬっていうだろ。お前の奢りなのは、俺を馬鹿にしたお詫びってことで」


そもそも遅刻してきたのはお前なんだから、ここは普通お前の奢りなんじゃないの?

と、胸の内で突っ込みを入れる。

口に出したりなんてしたら鳩尾を殴られるかもしれない。


「う…、セットとか頼むなよ」


肩を落とす俺の背中を後ろから押しながら、綾瀬は近くのファーストフード店へ軽やかな足取りで向かった。

自動ドアが俺たちを招き入れた途端にポテトの匂いが鼻を掠める。

この匂いに何度誘惑されたかわからない。

匂いを嗅ぐだけで小腹が空いてくるのだから、この匂いはもはや凶器だ。

「早瀬の奢りだから何でもいい」と言う綾瀬の言葉に甘えて、俺は一番価格の安い定番のハンバーガーを二つ注文した。

ドリンクはセルフサービスの水だ。文句は言わせない。

ポテトは…大分迷ったが、金欠なこともあり、今回は我慢することにした。

数分で用意されたトレイに乗ったハンバーガーを持ち、席に座ると、余程腹が減っていたのか綾瀬の手が早々に伸びてきた。

包みを剥がして早速、口に放り込んだが、綾瀬は一口だけ齧ったきり口を動かさなくなった。


「それさー、不味い?」


疑問に思った俺は尋ねる。

だが、前に来たときはそんな微妙な顔はしていなかったはずだ。

…バーガーの種類によるのかもしれないが。


「ん、美味いよ」


意外な返答が返ってくる。

しかし、その返答とは裏腹に二口目は水で流し込んだようだった。


「おいおい…、水で流し込んだだろ今。せっかく俺が奢ってやったんだからもうちょい味わってくれよ」


もしかすると、口に合わなかったのだろうか?

だとしたら、勝手に選んだのは申し訳なかったか?と思ったが、そもそも無理矢理奢れと言ってきたのは綾瀬の方なのだから、俺が罪悪感を感じる必要は一切ないわけで。

しかし、折角ご馳走しているのだから、もう少し美味そうに食ってほしいというのも本音だ。


「何か足りねえ」

「足りない?」

「ああ、何か味が物足りない」


俺は綾瀬と同じものを食しているが、決して味が薄いなんてことはない。

…綾瀬は濃い味派だったか?

いや、これも大分濃い味だ。

このままのハンバーガーは食べる気がしないのか、綾瀬はトレイに乗せたハンバーガーを俺の方にずらした。


「やる」


ご馳走してあげたものを「いらない」と言われてしまっては、流石の俺もいい気はしない。


「ケチャップとかもっと塗ってもらえば?」

「…そういうことじゃないんだよ。何か物足りないんだよ」


綾瀬は眉間に深い皺を刻みながら言った。

こうなった綾瀬はもはや何を言っても聞く耳を持たない。


「お前も我儘に育ったな…」

「我儘で結構」


仕方なく、俺は綾瀬の食べ残しを口に含んだ。

ケチャップとピクルスの酸味とハンバーグの肉感が口の中に広がる。

…綾瀬は何が物足りないんだろう。

普通にいつも通り美味いじゃないか。

俺は早々にハンバーガーを平らげた。

口直しに水を飲み、「ぷはー」と風呂上りにビールを飲んでいるオヤジの様に声を出すと、綾瀬に笑われた。


「出るか?」


俺の言葉に綾瀬は「おう」と頷き、立ち上がる。

そして、店内に掛けられてある時計を見た。


「もう6時半か。ナンパする時間ねえな。帰ろう」


綾瀬がしてやったりと笑顔を零す。

…ああ、そういうことか。

綾瀬は最初から俺とナンパする気などなかったのだ。

腹が減っていたのは事実だろうが、時間稼ぎの意も込められていたのだろう。

残念な気持ちに俺は肩を落とした。


「あぁ…さようなら、俺のナンパ…」






同日 午後11時

一人の少年が暗い道でバイクを飛ばしていた。

誰もいない道を只管バイクで走行する。

少年には3歳下の弟がいたが母は少年だけを溺愛し、弟には冷たく当たっていた。

だが、少年は弟をとても愛していた。

歯車の合わない家庭に息が詰まったとき、少年はいつもツーリングに出ていた。

今日がその日だ。

すると、前方にスーツを着たサラリーマン風の男の姿が見えた。

何か落ち込んでいるのか、顔は俯けられており、目線は道路を見つめているようだった。


(珍しいな。こんな道で歩行者がいるなんて)


途端、男が少年が走行している車道へと飛び出した。

少年が慌ててハンドルを切るが、時すでに遅し。

男はそのまま2,3メートル程飛ばされた。

道路を滑るように吹き飛んだ男の後に血の絨毯が広がる。

少年はそんな光景を目の前に、動じる様子もなくバイクを降りる。


「…やっちまったな。即死か?…すげー血。てか、何で飛び出してくるんだよ。意味がわからない」


少年はアスファルトに広がった赤い液体を見つめた。

血特有のニオイが鼻を掠め、少年は眉を顰める。

ゆっくりと手を地面に伸ばして液体を指に絡め取り、そのまま口に含んだ。


「…お前が言ってた"足りないもの"。やっとわかったよ」


少年はそう言いながら含み笑いをする。

まだ少し、ほんのりと口に鉄の味を残したまま、少年は再びバイクに跨り、エンジンを掛ける。

------自ら轢いた男を乗せて。

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