15.3人の実力

 蒼が初めて足を踏み入れたその建物は、いつも講義を受けている教室が10部屋は入りそうなほどに広々としていた。天井も2階建ての家が丸ごと入りそうなほど高く、障害物が何もないその建物は「実技棟」と呼ばれていた。


「今日から、呪学の実技に入る」


 呪学の教師、国母が蒼達生徒を見渡して宣言した。この実技棟は、まさしくその為にある建物だった。複雑な結界で周囲に影響を与えないようにしているが、更に念を入れて他の校舎からは離れたところに建てられている。


「お前たちにはここで〈言〉を使ってもらう」


 術の行使には、必ず〈言〉が伴う。〈言〉とは、つまり呪文である。〈言〉と呼ばれる所以は、音を響かせる「弦」、術の「源」、「幻」を「現」とする等の字が転じて〈言〉となったと言われている。


 龍世の文字は、大きく3種類に分かれている。ひらがな、カタカナ、そして現字である。〈言〉は、必ず現字で構成されている。


「〈言〉は現字のみで構成されているが、それなら何でもいいというわけではない」


 国母が、座学での復習も兼ねて説明している。


「例えば、水を溢れさせたいのに『洪水』などと〈言〉を唱えてもほとんど効果がない」


 〈言〉を用いて術を行使することを、一般的には「〈言〉を唱える」、または「〈言〉を紡ぐ」と言う。


「その理由は何だ、風端」


 国母からの突然の名指しに、周囲の女子が声もなく色めき立った気配がした。しかしそのどちらにも気にした様子を見せず、一鞘が「はい」と落ち着いた声で応える。


「一般的に会話で使われている単語は、それだけ呪力を伴わずに行使されているので呪力が薄れている為です」


 スラスラと答えを述べる姿に、男子も女子も感心の声を漏らした。確かに講義で習った内容だが、いきなり名指しされて、ここまで淀みなく言えるのは蒼もすごいと思う。思うの……だが。


(……むぅ)


 ……と、何となくなってしまうのが、今の蒼の心境であった。


 ――そうやって、すぐに謝るのやめた方がいいぞ。


 ――……もういい。


 数日前にそんな風に言われたことを、まだ引きずっているのだった。


 しかし、一鞘が優秀であることも、それをひけらかして周囲をバカにしているわけではないことも分かっていた。……いや、だからこそ「むぅ」に繋がるというか、


(……いや、だからいいんだってば!)


 せっかく楽しみにしていた実技なんだから! と教師に顔を向けると、国母が何故か意地悪そうな笑みを一鞘に向けていた。


 例によって悪意は感じないのだが、一鞘にさらに先を促しているように見える。「他にも知ってるだろ、吐け吐け」とからかわんばかりの。


(講義で習ったのって、ここまでじゃなかったっけ……?)


 自分がその笑顔を向けられたわけでもないのに、何となくわたわたしてしまう。だがそうしている間に一鞘が鬱陶し気なため息をついてから「……また、」と続けたので、蒼はえっとなった。


「『洪水』だと、現字同士の相性が良くない。『洪』の響きが『水』の響きを潰してしまっている。どっちも〈水流〉に属した現字だが、水を溢れさせたいなら〈地心〉に属した現字を使った方がより多くの水を出せる。あと最初の『洪』の響きが呪力と結びつきづらい」


 説明するのが面倒くさくなったのか、敬語じゃなくなっているし、ものすごくぞんざいな態度で早口であった。クラス中が、ぽかーんとそんな一鞘を見るしかない。


「そうそう、そのくらいまで言えないとな」


 国母がようやく、満足したようにうなずいた。そうして、今度は仏頂面になっている一鞘から、それ以外の生徒達へと先程までの意地悪な笑みを見せる。


「……お前らも」


 どうやらただ楽しいだけの授業ではないらしい、と蒼は血の気が下がるのを感じた。




「要するに、だ」


 全員の表情を見届けてから、国母が説明することには。


「〈言〉とは四礎に働きかけるものだ。現字ひとつひとつが、実は四礎のどれかに属している。が、ひとつだけとは限らない。〈焔〉だけに属している現字もあれば、〈大気〉と〈地心〉に属しているものもある」


 呪力を術へと変換する為に4つに属性を分けたものを、四礎と呼ぶ。四礎は、〈焔〉、〈大気〉、〈水流〉、〈地心〉の4つに分かれている。


「先生ー、四礎全部に属してる現字はあるんですかー?」


「あるにはあるが、使う機会はほとんどないな。難読現字だし扱いも難しい」


 男子生徒の1人が手を上げて質問し、国母が至極真面目に答えた。


「〈言〉は、現字同士の相性や画数、音の響き、そして四礎の属性によって効果を強めるものだ。基本的な〈言〉を覚えておくのが手っ取り早いが、上級の術者であればより効果的な〈言〉を自分で計算して作り出す」


 うへぇ、と蒼は思わず声を漏らしていた。暗記科目は大の苦手だが、計算云々も負けず劣らず苦手だ。蒼のそんな声が聞こえたらしい、国母とばっちり目が合ってしまった。にんまりと笑う口元に、更に嫌な予感がした。


「そんなわけで、基本的な〈言〉を叩きこんで再来週には実技と座学の試験をするからな」


 えぇー、とブーイングが飛ぶが、もちろん国母は涼しい顔のままだ。


「今日は基礎中の基礎、『水立』、『炎志』、『錬動』、『風打』を1人1人やってもらう。初等学校でやってきてるだろう」


 確かに、初等学校で習う数少ない術の中で、特に力を入れて教えられた気がする4つだ。『水立』は無から水を生み出し操るもの、『炎志』は無から炎を生み出し操るもの、『錬動』は土を操るもの、『風打』は無から風を生み出し操るものだ。どれも結構、力技の術である。


「じゃあお前ら、こっちに並べー」


 国母に促され、みんなで隅に寄る。誰もがトップバッターを嫌がった結果、1番前になったのは姫織である。「お前ら……」と国母が姫織より後ろの連中を白い目で見るが、皆そっぽを向くばかりだ。……人前で何かをやるのが得意でない蒼も、そっと前のクラスメイトの影に隠れた。


「ったく、仕方ない。狭見、この図形の前まで来い」


「……」


 国母が指差したのは、ツルツルの床に描かれた、巨大な円の図形である。ただ丸が描かれているのではなく、そこに三角やら直線やらもいろいろ交わっていて、複雑な図形と化している。現字もいくつか書かれているのだが、現代人が使っているものではなく何百年も昔の人達が使っていたという崩された文字なので、蒼には読めない字ばかりだ。


 国母が指差したもの以外にも、実技棟の床には、あちこちに複雑な図形が描かれている。これは初等学校の実技棟でも同じであった。


この図形は、いわば的だ。これもまた一種の結界で、「固定」「抑制」の効果をもたらす。必ずこの円の中心を起点に術を発生させ、それが行き過ぎた呪力であれば強制的に抑え込む。


 姫織は返事こそしなかったものの、その図形に素直に歩み寄った。


「じゃあとりあえず、この図に『水立』をやってみてくれ。天井にぶつけるつもりで水柱を作る。俺が許可したら終えていい。そんで1番後ろに並べ。2周目からは別の術の指示を出す」


 とりあえず、今は水立だけということらしい。間違えて違うの出さないようにしないと、と蒼は大真面目に拳を握り締めた。


 姫織はこくり、とうなずいたようだった。す、と両手をまっすぐ前に突き出す。クラス中が、あの二大問題児の片割れがどのくらいの実力なのか注目していた。蒼も小柄な少女を固唾を呑んで見守った。


その手も、目線も、図形の真上を捉えている。姫織の唇が、〈水流〉に働きかける〈言〉を紡いだ。


「――水立」


 静かな〈言〉であった。蒼は目を見開く。姫織の〈言〉に、その円の図形からどっと水柱が上がった。円の直径と変わりない、太い水の柱。


 瞬間的に立ち上った水柱は、溢れて数瞬後には天井にぶつかる――かと思えば、そうはならない。実技棟には特殊な結界が組み込まれている。天井スレスレで呪力が相殺され、濡れることも床に反射させることもなくそこで呪力の水は消えるのだ。


 蒼が驚いた点は、2つある。


 まずは、姫織が〈言〉を静かに唱えていたこと。水立はかなりの力技だ。自然、力が入ってもっと叫ぶように唱えてしまう。自分も周囲の友達もそうだった。教えてくれた教師は蒼達ほど大声を上げてはいなかったが、それでも多少は声に力がこもっていた。しかし姫織はまったく声を荒らげることなく、滝が逆流したんじゃないかというほどの太い水柱を難なく出現させた。


 もう1つは、彼女の呪力であった。蒼は、人の呪力にも敏感だ。〈言〉を唱えたと同時に広がった呪力は、激しい水柱に反して、こちらもやはり静かなものだったのだ。例えるならば、波ひとつ立っていない水面に、雫が1滴落とされたような。そしてその波紋が広がっていくような。そんな感じ。


 それなりに出力を求められる術だ、呪力も多少なりとも荒ぶるのが普通である。しかし姫織は、それをまったく力まずにやってのけたと言っていい。


(……すごい)


 蒼は、思わず息を呑んだ。1年生とは思えない知識量以外にも、こんなにも突出したものがあったとは。


「よし、もういいぞ」


 何事かをメモしたらしき国母が声をかける。姫織は、やはり無言のまま解呪した。呪力の余韻で水飛沫が起こるのが普通だが、実技棟の結界の働きだろう、水柱の喪失と共に上がりかけた水飛沫もふっと霧散する。


(消し方も綺麗)


 これにもまた、蒼は目を見開かざるを得ない。呪力で具現化したものは、完全に消失させるのが難しい。その呪力がしばらく空気中に漂うのが普通だ。徐々に薄らぎ、消えていく。だが姫織の生み出した水は、あっという間に綺麗に無に帰していた。


 当の姫織は、やはり何の表情も浮かべずに列の後ろへと回り込んでいる。特にすごいことをやったわけではないというあの感じ。大物過ぎる。


「それじゃあ次……は、風端か」


 2番目の生徒を確認し、国母はやはり「だからお前ら……」とそれより後ろの生徒達に半眼になる。ですよね、ごめんなさい、と思いつつ、蒼はやはり先程のようにその視線をやり過ごした。


 一鞘は肩をすくめてみせてから、先程まで姫織のいた位置にまで歩いて行く。そうして両足でしっかりと床を踏みしめるようにした後、


「――水立!」


(……はい⁉)


 ギョッとしたのは蒼だけではない。クラスメイトが皆唖然としているのが分かる。それはそうだ。だって、――……手もかざさずにやりますかね⁉


 理論上、術の行使に必須なのは〈言〉だけだが、やはり動作を伴った方が方向を定めやすい。この場合であれば、円に手を向けるのが一般的。姫織だって両手を標的に向けていた。しかし今の一鞘は、両手とも下ろしたままなのだ。


 円から洪水のごとく溢れた水柱は、容赦なく天井へとぶつかっていった。もちろん相殺されているが、その結界さえもいつか破壊してしまうんじゃないかというぐらいに力強い。それでいて正確だ。姫織もそうであったが、円の形を綺麗に維持したまま天井に吸い込まれている。


(……こんなタイプもいるんだ)


 蒼は水柱を見上げ、唖然とした。


 一鞘の「水立」は、一見パワー型のそれだ。元々人よりも多く呪力を備えているタイプ。しかしそういった人達は、基本的にコントロールが苦手だ。溢れかえる呪力を持て余してしまう。


 しかし、一鞘の呪力は火山が噴火するかの如く激しく噴出しながらも、完全に自分の意志で御していた。


 龍能を肌で感じた時とはまた違う感じだったが、どちらにせよ彼が優秀なことが再確認されたのであった。




 ――そうして順番は巡り、とうとう蒼の番になった。


「次、静井」


「は、はい!」


 いざ名前を呼ばれると緊張する。国母の指示のままに、蒼は図形の前へと歩み寄った。


(うわあぁ、すっごく視線を感じる……‼)


 みんなが見ている、というのもあるが、その中でも特に強い視線を感じ取り、蒼はひえぇと悲鳴を上げたくなった。こんな時ばかりは自分の敏感さを呪いたいと思うところなのだが、……絶対2人の視線が強いせいだコレ。


「どうした?」


 両手を図形へと突き出したまま冷や汗をかいている蒼の顔を、国母が覗き込んできた。


「い、いえっ! ……『水立』、ですよね‼」


「……あ」


 という国母のつぶやきが、耳に届いた時には。



 ――ドオオォォォォォォォ……!



 間欠泉が湧き上がったような音が、実技棟にこだましていた。……蒼達がいるのとは、真逆の方向から。


(……え……?)


 蒼は恐る恐る、そちらの方をふり向いた。


 クラスメイトは今、実技棟出入り口のあたりに並んでいる。蒼と国母は、そこから数メートル離れたあたりに。つまり、全員が出入り口から見て手前側にいるということになる。


 しかし今や、全員が実技棟奥を見ていた。実技棟の床には、今蒼の目の前にある図形以外にも、様々な図形が描かれている。それはもちろん、奥の奥にまで……、


「……何でそっち⁉」


 驚きのあまり、蒼は絶句を全力で声に出していた。――蒼がたった今口走ってしまった〈言〉に反応し、何故か実技棟最奥の三角形をいくつも組み合わせた風車のような図形から、水が噴き上がっているのだ。


「……。ぷっ」


 と吹き出す声が、間抜けな水の音に混じって確かに聞こえた。……そこから先はもう爆笑の嵐である。


「すっげぇ~! 何で今ので術出るんだよ!」


「しかも1番奥って……ぶふっ」


「『何でそっち』って、『何でそっち』って……!」


「いやそれこっちが訊きてぇわ!」


 遠慮容赦のない笑い声が響き渡る間も、遠方の水柱は噴き上がりっ放しである。ひーっと男子連中が苦しそうになっている。


「静井っ、もうやめてくれ! 腹痛ェ‼」


「水出しっぱなしやめろ!」


「水道代! いくら払えばいいですか!」


「ひど――――――――――っ⁉」


 全力で叫ぶも、誰も真っ赤になってる蒼のことを思いやってなんかくれない。こっちだって止めたいのだが、気持ちに引っ張られてまったくコントロールできないのだ。


「……しかもアレ、1番的として使うのが難しいやつじゃないか……ぶふっ」


 国母が余計なことを言って自分で吹き出し、それがさらにみんなのツボを容赦なく突く結果となった。




 ……多分、10分は爆笑に晒されただろうか。長い。長過ぎる。しかもほぼ全員がもう1回笑おうと思えば笑えるぞという気概でいる。あまりにもひどい。


「いやー、これでお前も立派な三大問題児の一員だな!」


 国母にすっかりイジられ、蒼は教師陣にもそう認識されているのかと撃沈した。爆笑を勝ち取った水柱もようやく消え失せてくれていたので、やっと列に戻れるワケだが。


(……もう!)


 蒼は、列にいる2人組が目に入り、心の中で憤慨していた。蒼の水柱に、いの一番に吹き出していたのはあの2人――姫織と一鞘だったからだ。


 あの二大問題児があんなに笑うところなんて、初めて見た。でもだから何だ。何なのだ。


 蒼にしては珍しくプンスカしながら、その日の講義は何とか終えたのであった。

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