6.後方支援部

 5月になって、早くも1週間が過ぎようとしていた。桜の余韻がすっかり失せた木々は、その緑を一層と茂らせ、季節の移り変わりを知らせている。夕方であっても身を震わせるほどの寒さはなく、日が延びていることを如実に物語っていた。そんな放課後。


「えぇ~、蒼ちゃん、後方支援部のこと知らないで戦闘科入ったの?」


 バカにした様子もなく、しかし大層不思議そうに首を傾げたのは、布であった。


「うぅ……はい、そうなんです」


 肩身が狭く、蒼としては敬語で肯定せざるを得ない。縮こまったままカップのアイスをつつく蒼に、「何で敬語?」と友誼が即座に突っ込んできた。


 訓練後に梓達にからかい混じりに声をかけられたのは、一昨日のこと。それから何かと雑談したり、お昼を一緒に食べるようにもなった。


座学だけだった今日は、ヘトヘトとまではいかないのでこうして放課後にのんびりとお喋りできる。中庭のベンチに4人くっついて座り、アイスを堪能中だ。


「じゃあ、戦闘員第一志望なんだ」


 と言ったのは梓。アイスを掬った木のスプーンを口に運んでいるところは年相応のかわいらしさがある。


 夏の気配にはまだほど遠いが、ここ最近は夕方でも喉が渇く。売店で買って来たアイスが、蒼達学生のご褒美だ。


「うん。……みんなは違うの?」


 てっきり、戦闘科の生徒は全員戦闘員志望だと思っていた蒼だ。素直に尋ねると、「私は後方支援部志望だよ」とまず梓がうなずいた。「あたしは戦闘員か後方支援かなー」と言ったのは友誼。布は、「私は調査員がいいんだ~」とにこにこしている。


「ご、ごめん、説明プリーズ……」


 これはもう自分の頭では処理し切れない。早くも白旗を上げた蒼に、梓と友誼が笑い声を上げた。


「えーっと、じゃあ、後方支援部から説明しよっか」


「梓、説明頼んだ」


「ちょっとは友誼も手伝ってよ」


 早々に仕事を投げた友誼を、梓が軽く小突く。だが、友誼はアイスキャンディーにかじりついて聞こえないふりだ。梓は蒼に肩をすくめてみせてから、口を開いた。


「戦闘局は、大きく分けて2つの部で構成されてるの。1つが戦闘部で、もう1つが後方支援部」


「戦闘部と、後方支援部」


「後方支援部は、まぁ、文字通りといえば文字通りなんだけど。戦闘員が前線で戦う、そのバックアップをする部署だよ」


「バックアップ?」


「うん、本当にいろいろ。戦闘での補佐もあるし、後は物資の補給とか、戦闘員が妖退治に行く場所の下見とか。だから後方支援部の中で、更に部が分かれてて」


 完全に初耳の情報に、蒼は目をぱちくりさせた。晦日が完全な戦闘員だったから、戦闘局にはそういった人しかいないのだと安易に考えていたのだ。


「梓ちゃんは何で後方支援部に入りたいの?」


 と訊いたのは、まだその部に実感が湧かないからだ。梓が、照れ笑いのような表情を浮かべた。


「うーん、術が好きだから……かな?」


 少し困ったように小首をかしげるところが、かわいらしい。だがそれに素直に見惚れかけた蒼は、遅まきながら答えを理解してまた瞬いた。


「ほら、初等学校で少しは術のこと習うでしょ? でもそれだけじゃ物足りなくて、そういうの詳しくなりたいかなー……なんて」


 初等学校では、呪学の講義で術の基本的な使い方を習う。簡易結界の張り方や、魔除けの方法、術の源となる呪力の制御……。言われてみれば、確かに表面的に薄く掬い取るだけの授業だった。


「戦闘科が、1番いろんな術のことを勉強できるなって思ったの。戦いたいんじゃなくて、術のこといろいろ勉強できて、仕事でもそれを活かせるのがいいなって……それで」


「あー、体術の訓練って最初の2年頑張ればいいしねぇ」


 と口を挟んだのは、すっかりアイスキャンディーを食べ終えていた友誼だ。アイスを口にしていた蒼は、そちらをふり向いた。


「そうなの?」


「うん。最初の2年は必修で、3年からは志望職によってはやんなくていいんだよ」


 もちろん戦闘員はずーっと必修だけど、と友誼が笑う。


「はえ~……」


 間抜けな声を漏らして、蒼は改めて梓を見る。


 同い年とは思えないぐらい美人で、見た目も言動も大人っぽい。と思ってはいたが、今のでますます大人に思えてきた。


 戦闘員一筋の蒼は考えもつかなかったが、確かに術は妖に対抗するものがほとんどだ。人が呪力を有するのは、妖力を持つ妖がいるからだという。そうして龍世の均衡を保っているのだとか。それが本当かは蒼にはさっぱりだが、戦闘科が1番術を学べるというのは、確かにその通りだと思う。


「体動かすの自体嫌いじゃないしね」


 梓が取り繕うように付け足した。


「私は、後方支援部の中の探究部に入りたいの」


「探究部」


「術のことを研究する部っていうか。今使われている結界よりももっと効力のある結界を作れないかとか、呪力そのものについて研究したりとか、実験したりとか」


 そんなことをしている人達がいたのかと、蒼はまた驚く。そして確かにそこでなら梓の好きな術にかかわっていられるな、と納得もした。


「それで、布が言ってた調査員っていうのは、後方支援部の中の情報部のことで……ほら、今度は布が調査員の話して」


梓に水を向けられ、カップのアイスをのんびりと口にしていた布が、ゆっくりと顔を上げた。「うわ、布まだアイス半分じゃん」と友誼が軽く目を剥いている。情報部はね~、と布がにこにこしながら話し始めたので、蒼は真面目にそちらに向き直った。


「戦闘局の中で、情報を取り扱うところなんだぁ」


「……う、うん?」


 それでもう満足したように、布はアイスをまた堪能し始めている


「布、雑雑」


 もう瞬くしかない蒼に代わって、友誼が突っ込みを入れてくれた。


「妖退治の依頼が来るでしょう?」


 見かねたらしき梓が口を挟んだ。


「その依頼が入る先が、情報部なの。それで現地調査して本当に妖がいるのか確認したり、周辺の街での聞き込みをしたり。あと、妖の生態? ……なんてあるのか分からないけど、そういうのを調査する感じ」


 蒼はぽん、と手を打った。


「それが、調査員」


「そうそう、梓ちゃん説明上手~」


 思わずつぶやいた蒼の隣から、布がにこにこしながら梓を称賛した。「もう」と梓は苦笑いだ。


「人と話すの好きだし、少しでも元気づけられたらなぁ~って」


「……あぁ、依頼を受けたり現地の人に聞き込むやつがやりたいのね」


「そうそう」


 友誼が付け足してくれたので、ようやく蒼にも理解できた。なるほど、人と関わりたくてそういった部を希望することもあるのか。


「友誼は戦闘員か後方支援部って言ってたよね?」


「うん。体動かすの好きだし戦闘員かなーって思ってるんだけど、後方支援部にもいっぱい部があるから、そっちも考えてみようかなって。決めるまであと2年あるし」


 蒼がふり向くと、友誼は意外にも真面目な回答をしてくれた。


 そういえば、と蒼は思う。研修学校に入る前、李花が「戦闘員希望の女子は少ない」というようなことを言っていた。てっきりクラスに2,3人くらいのものだと思っていた蒼は、しかし入学してみたら全体の3分の1もの割合の女子がいて、驚いたのだ。何だ、結構いるじゃないかと思っていたのだが、その中で戦闘員を希望している女子はごく少数だったということらしい。


「蒼は戦闘員一択なワケ?」


 1人納得していた蒼の顔を、友誼が覗き込んできた。


「えっ? あぁ、うん」


「他の部は考えてないの?」


「考えてないよ」


 次に梓が問いかけてきた声に、反射的に返していた。蒼ははっとして、3人を見る。3人ともが、蒼のぴしゃりと跳ねのけるような言い方に、驚いているようだった。


「――やっ、ごめん‼ その、戦闘員になる気満々で入ったから、つい……」


 蒼は慌てて弁明した。何やってるんだ、あたし。サナに言われたわけじゃないんだから。


「いや、まぁ、そりゃそっか!」


「いきなり選択肢増えたら、困るよね」


「わたしはのんびりいけばいいと思うよ~」


「……アンタはもうちょっとキビキビしようね⁉」


 3人が、元気づけるように空気を変えてくれる。蒼はそれに、あはは、と笑って、アイスの最後の一口を口にした。


 溶けかけのアイスは、蒼の口の中をべたつかせる。

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