第6話 注意すべき相手

「アルス、森で迷子にならない為の対処法を教えたが、今度は動物や生き物の話だ」


ゼストはある場所で腰を降ろし、アルスと同じ目線で話し始めた。


「今からあげる三つは見かけたら、兎に角逃げろ!」


ビクッ!


ゼストが語気を荒めた事で、一瞬硬直してしまうアルス。普段、比較的温厚な父の顔とは違い、今は真剣そのものだった。


「それは、クマ、イノシシ、ハチの三つだ」


クマ……。


昨日、麓の村で毛皮を見たばかりなので、アルスの記憶にも鮮明に残っている。母マーレも言っていたが、村で見たクマの毛皮は明らかに父より大きかった。


昨日は、お父さん、すご~い! と、喜んでるだけだったが、実際クマが目の前に来たら、アルスは泣いて逃げ出すだろう。


いや、泣いていようが逃げ出せるんならまだ良い。恐怖のあまり足がすくんで、動けなくなるとしたら最悪だ。


なので、次に話す内容は特に重要な話だった。


「アルス、イノシシ、ハチは分かるか?」


「……うん。イノシシは前にお父さんが持ってきたのを見たから分かるよ」


イノシシの肉は意外と固いという事で、記憶に残っていた。


「ハチも時々、家の近くで見たりするけど……」


(家の近くで見るハチとは違うのかな?)


「クマは昨日見せたが、その大きさが問題なんだ。相手がお父さんでも、クマに殴られたら、怪我だけでは済まないかもしれない」


父でさえ危ないって話を聞き、段々と事の深刻さが分かってくるアルス。


父がクマに殴られてる姿を想像してしまい、冷や汗がほほを伝う。


「イノシシはスピードがやっかいだ。あいつらは怒ると真っすぐ走って体当たりしてくるんだ。そのスピードは、お父さんが全力で走るより全然早い」


実際問題、イノシシは真っすぐにしか走らない為、慣れれば躱せるようになるが、イノシシに走って来られたら恐怖で動けなくなるだろう……。


「森でハチを見かけた時は、近くにハチの巣がある可能性が高い。例え、アルスにそのつもりがなかったとしても、ハチが巣を守ろうと襲って来たとしたら、あいつらは仲間を呼ぶからな……。その時は、何百匹って数のハチに襲われると思った方がいい」


数の数え方は先日マーレに教えて貰った。


実際、アルスはまだ百まで数字を数えられない……。


逆にいうと、その数えきれない数のハチに襲われるという事であった。


「当然、森には他にも危険な生き物はいっぱい居る。ただ、今上げた三つは特に注意する事。ここでその話を持ち出したのは足跡を見つけたからなんだ。これがイノシシの足跡だ。爪の形が残るのが特徴だな」


そう言って、ゼストにイノシシの足跡を教えて貰う。


(お父さんがいうみたいにホントに危険なら、忘れないようにしないと)


アルスは忘れないように、ジッと足跡を見つめていた。網膜に焼き付けるが如く。





「-----------」


!!!!


「お父さんっ! 何か来る!!!」


「なにっ!?」


ゼストはアルスの声に反応して、辺りを警戒する。


アルスは前方の林の茂みをジッと睨んでいた……。


「イノシシの足跡はそっちに向かっているが、まさか……ホントにイノシシか? だが、今話題に出したばかりだぞ? そんなに都合の良い話が……」


前方の茂みが不規則に揺れる。


この感じは風ではない。実際、今は無風だった。


茂みの揺れはどんどんこちらに近づいてきていた。


「アルス、念のため模造剣を構えて、俺の後ろの少し離れた場所に居ろ!」


(模造剣……。そうだ、お父さんに言われて模造剣を持ってきてたんだった)


 アルスは腰の帯に差してある模造剣を慌てて構える。


 木で出来た模造剣を強く握りしめ、ゼストに対し意思表示をする。


「お父さん! 僕も一緒……」「何をしている! 早くしろ!!!」


「やだっ! 僕もお父さんと一緒に戦う!」


「ダメだ! お前はまだ戦えるような歳でもない。お父さんを困らせるな! 頼む。お前に怪我をさせたら……、お前に怪我をさせたら、後でマーレに怒られる!」


 母の事を持ち出されては、アルスも従うしかない。


 何も出来ない自分が悔しかった。


 アルスは下唇を噛みしめる。唇から血がにじんでいる事に全く気付かず、更に強く唇を噛みしめる。


 その表情は、泣くのを我慢しているように見えた。


「……お父さん、……頑張って!」


 アルスは後ろに下がり、木の幹の後ろから見守ることにした。


 ゼストはアルスが後ろに下がった事を確認して、再び前を見つめる。







 ゼストは、深く息を吐く。


 思ったよりも身体が強張こわばっている。


 ゼストの普段の武器は弓だ。自分自身が自然に溶け込む事で獲物を捕らえてきた。


 今日は後ろに、愛する息子がいる。


 普段と同様のやり方で挑む訳にはいかなかった。


 余り使い慣れてるとは言えない剣を構えなおす。


(この感じ。見られている……)


 距離はまだそれなりにあるようだが、確実に『見られている』という感覚があった。


 それは、普段のゼストのやり方に近いからこそ、気付けた事だった。


 直ぐに襲ってくるかと思われたのに、待たされる側に立つ今の状況が、焦りを誘う。


(イノシシではない?)


 イノシシにそんな知性があるとは思えなかった。






(お父さんが武器を構えて、どれ位経ったんだろう? 数秒? 数十秒? 分からない)


 アルスは無意識の内に、呼吸が浅くなり、早くなる。


 いつの間にか、木の幹にしがみ付いていた……。







 流れる汗がほほを伝い、あごから落ちる。


 ゼストは、言い知れぬ不安感を感じ始めていた。


(この相手はヤバい……)


 ゼストは本能からそれを悟る。


 後ろにアルスが居るこの状況では、自分から打って出ることも出来ない。








 ゼストは剣を地面に突き刺し、弓を構える。


 この場から攻撃を加えられる手段は弓しかなかった。


 ゼストは矢を一本、口に咥え、新たな一本をつがえる。


(これで、チャンスは二度)


 だが、こちらから攻撃を加えるような事はせず、更にジッと待つ。


 時々、吹く風が木々を揺らす。









 どれ位経っただろうか。


 いつの間にか不穏な空気は鳴りを潜めている。


(いつの間にか居なくなっている?)


 ゼストは構えている弓を降ろし、剣を片手に警戒しつつ林に近づいていく。


「お、お父さん!!!」


「お前はそこに居ろ!」


 林の中の茂みをかき分けてみたが、やはりいつの間にか居なくなっていた……。


 注意深く、茂みの地面を観察する。


 すると、やはりようで、地面を踏み荒らした跡が確認出来た。


(この足跡は、二足歩行の動物?)


 ただ、地面に付いている足跡は、かなりの大きさである。


(今回は命拾いしたって事なのかもしれん。アルスが居なかったら……。今頃、返り討ちにあっていたか?)


 言いようのない不安だけが、心の内に渦巻く。






 ゼストはアルスを引き連れ、家への帰路に着くことにした。


 かなり後ろ髪を引かれる思いのまま……

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