33.大灰色狼の異変
錬金術試験から三日後、朝というには遅い時間の頃。
月の輪亭の退去が目前と迫ったスレイの元に、意外ともいえる来訪者が現れた。
それは出来れば、もう一度顔を合わせたいとは思っていたが、まさかこんな早く再会出来るとは思っていなかった人物である。
「……ごきげんよう。スレイ」
「……フレデリカお嬢様。どうしてここに」
目覚めが悪く、食堂で遅い朝食を取っていたスレイの目の前には、ドリルのような金髪をしたノースフィールド公爵令嬢フレデリカの姿があった。
錬金術師試験の時に着ていた優美なゴシックドレスではなく、白を基調としたワンピースと帽子といった非常に清楚な身なりである。
品の良さを感じさせながらも、身分の高さを強調しないスタイルだった。
隣には普段と同じく護衛の女性、クロエを同伴している。
「……スレイがこの宿に滞在していると、錬金術協会の受付の方がおっしゃっていたので、合格証書の受け取りのついでにうかがってみましたの」
淡々と
そしてスレイは合格証書の存在を失念していた事を思い出した。記憶が正しければ試験三日後の今日からの発行である。それがなければ見習い錬金術師のバッジは効力を及ぼさない。
「ああ、忘れてた。後で取りにいかないとな。……それで、わざわざ来てくれたのか」
「……お聞きにならなかったの。
フレデリカはジト目で片手間である点を強調すると、さらに続けた。
「クロエが店の看板に気付いて、同じ名前とおっしゃったので、相談の上で訪ねてみようかと思いましたの。……まあ確かに、わたくしとしても、あのような」
「良かった。ああいったお別れになってしまって心残りだったからな。来てくれて本当にありがとう」
言葉を遮るように、スレイが嬉しそうな表情で率直にお礼を伝えると、フレデリカは照れつつも、何ともバツの悪そうな表情を浮かべた。
「……スレイさん、彼女は? すっごく美人ですね」
仕事中であろう、シーツの束の入った籠を手にしている宿屋の娘ジュリアが、スレイに耳打ちした。
「フレデリカお嬢様。ノースフィールドの公爵令嬢だ」
「ひええ……こ、これは失礼しました!」
「およしになって。わたくしルーンサイドで身分を笠に威張り散らす気は一切ありませんの。これから見習い錬金術師としてお店を預かる立場だというのに、横柄な態度で務まるはずがありませんわ」
慌てて籠を置き頭を下げるジュリアに、フレデリカは極度にかしこまるような態度を咎めた。
「いや……試験については、本当にすまなかった」
「……御互い様という事で、手打ちにしたいですわね」
「……ああ、そうして貰えると助かるな」
「……でも、一つだけ正直におっしゃって。スレイは
フレデリカの質問に対しスレイは頷くと、ポケットから一枚の
意識を研ぎ澄まして集中すると、
『変成術式。
その非常に滑らかな詠唱と動作は、実技試験のフレデリカの
「ああ。出来るよ」
「その動作が実技試験で出来ていたら、わたくしの首席合格はありませんでしたわ。……どうして遠慮なさったの。今更終わった事を咎めるつもりはありませんけど」
フレデリカは一つ溜息をついた後、ふくれっ面でスレイを見た。その表情は実技試験の冷徹な視線と比べると可愛らしさがあった。
ただ、以前ほどは怒っていないものの、やはりその事については納得していないといった表情である。
「遠慮とは違うよ。フレデリカお嬢様に勝ったとしても自分が納得しないだろうから止めた。それ以前にあの時は色々考え過ぎて、行動がちぐはぐになってしまったな。貴族にあっと言わせたいとか余計な雑念も混ざっていたから……」
「身分で貴方を見下していた者もいらっしゃったようだから、その意趣返しは別に咎めませんわ。……それより納得しないというのは、どういう事ですの?」
「俺の力であって俺の力ではないから。俺が昔、自力で出来たのは
「……スレイのお話は要領が掴めませんわ。わたくしにも分かるようにはっきりおっしゃって」
「これは俺の師匠から継承した……」
「ワゥ! ワゥ! ワゥ!」
スレイが言いかけた時、突然、部屋に居るロイドがけたたましく吠え始めた。
月の輪亭滞在中は常に大人しく、他の客に一切迷惑をかける事がなかったにも拘わらずである。
「……あら。ロイドがご機嫌斜めみたいですね。どうしたんでしょうか? まさか月の輪亭の別れが寂しいとか?」
「いや、そういった理由で吠えたりはした事はないな。……本当にどうしたんだロイドの奴」
ジュリアの言葉を否定しつつ、スレイは急いで様子を見に行こうと思った。このままだと他の客の迷惑になるからである。
「スレイ! 冒険の御話でおっしゃっていた、
「ああ、今度、機嫌が良い時にでも紹介するよ。……悪いけど、フレデリカお嬢様。ちょっと様子を見てくる」
スレイはフレデリカに別れを告げると、慌てた様子で階段を駆け上がり、二階の隅にある部屋に駆け付けた。するとロイドが唸り声を上げながら窓の外を睨み付けている。
「……おい、ロイド、どうしたんだ。いてっ、何だよお前」
なだめようと近寄ったスレイの手をロイドは軽く齧るようにした。
そして再び窓の外を凝視するように睨み付けている。
(ここまで不機嫌になる事は『降伏化』の姿を可愛がった時ですらなかったが。……南側の窓……セントラルシティの方角か?)
窓の方を見やると、ロイドが窓に鼻がくっつきそうなくらいに接近し、唸り声を上げた。
「……外に出せっていうのか? セントラルシティの方に何かあるんだな?」
「ワゥ!」
ロイドはスレイの台詞を肯定するように一吠えすると、背を沈めてスレイに乗る様に促した。かなり急かしている様子である。
市街地ゆえに『降伏化』を行うべきか迷ったが、スレイは意を決すると部屋の窓を全開にし、ロイドの背に跨った。すると──。
スレイを背に乗せたロイドは月の輪亭の二階の窓から飛び降りて、道路にしなやかに着地した後、南の方角に向けて疾走した。ロイドは人間とは異なる非常に優れた五感を持っている。人では掴む事のできない何かを察知したのかもしれない。
「おいおい、なんだいありゃあ」
「でかい狼? ……人が乗ってるぞ!」
「きゃー、可愛い! なにあれー!」
行きかう通行人のざわめきや悲鳴に申し訳なさを感じつつも、スレイは全力疾走するロイドから振り落とされないようにしがみついていた。
(ロイドの奴……一体、何を感じ取ったんだ? どうにも嫌な予感がしやがる)
やがてスレイとロイドは魔法都市ルーンサイドから出ると、王都セントラルシティに続く街道を全力で疾走し始めた。
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