第四十三節 退院、友達の死#21


 季節は8月下旬である。残暑が続き、部屋がジメジメしている。少しの蒸し暑さが皆の身を削る。服の中は汗だくだ。此葉と向日葵畑に行ってからというもの、病院服を着なくなった。そのほうがお洒落に見えると気づいたからだ。でも、そんなお洒落な服も汗で汚くなる。洗濯は病院内の洗濯機をお金を使って利用している。母さんから借りた服を大量にあるから、返そうか迷っている。


朝ご飯が来るのを待った。先日、9月上旬に退院が決まった。これで此葉とまた暮らせると安堵していた。メールではまだ退院のことを知らせていない。家族面談も母さんとになるだろう。。世間一般から見ればただの同居人に過ぎないだろう。どうせ、頑張っても彼女でとどまるに違いない。僕が勝手に家族だと思っているだけだ。此葉は僕のことをどう思ってるんだろう。


朝ご飯を食べ終え、トレイを看護師に渡した。今日の朝ご飯は僕の大好きな卵とじだった。低クオリティだがほどほどに美味しかった。


 今日からグループミーティングが始まるらしい。今日はガイダンスと体験だ。同じ悩みを持つ人達と少人数で話し合うらしい。


午前中にガイダンスは終わった。自由に話してもいいが、人の話をしっかり聞くことが大事らしい。自分の番になったら、過去の話や今悩んでいる事を話さなければならない。大まかなルールはこんな感じだ。あとは椅子に座って円を囲むように対面した状態でミーティングをする。


 待ちに待った午後。グループミーティング開始。男性のほうが多かった。若い人から年輩まで。少し安心した。女性も数人いた。この人たちは犯罪歴のある人なのだろうか。ガイダンスでは犯罪歴のある人も多数いると言っていた。


僕は立って聞いていた。今日は喋らなくていいらしい。見学を兼ねた体験だから。メモ用紙を持って聞いていた。色々なことをいっぱい言っていて勉強になれた。聞いてみれば呼吸不全の人もいて、息苦しくて眠れないとか、窒息しそうだったとか深刻な内容も多かった。


今日という日が終わった。色々と学ぶことができた。ありがとう、世界。


 それから2日が過ぎた。ミーティングどうだった? と主治医に聞かれたので充実していて良かったですと答えた。その時点で参加が決まった。



それからまた数日後。グループミーティングに参加することになった。

最初は緊張していた。身体全体が石のように固まっていた。そんな時、心をほぐしてくれたのは隣の人。


「そんなに緊張しなくて大丈夫だよ。皆、責めたり攻撃しないから」と励まされた。


僕はお礼をした。


 僕の番が来た。何話そうかと悩んでいたら、皆は温かい目で待ってくれた。話したい内容が決まった。


「僕は碓氷颯といいます。元モデルなんです。ですが、その当時相手が未成年とは知らず、恥ずかしながら未成年との淫行で捕まってしまいました。モデルのライバルの策略でその女性もグルでした。ぶっちゃけ騙されたんです。……それから僕の人生は終わってしまいました」


それから一息置いた後、「でもそんな時、一人の女性が現れたんです。助けてくれたわけじゃないんですけど、人生が彩り豊かになり、世界が変動しました。少し話が脱線しましたね、すみません。入院中、その人に悩みを打ち明けて、僕自身が過去と向き合い、受け入れたら呼吸が苦しくなることもなくなり、思い出しても平気になりました」と続けた。


話し終わると僕が歓声の拍手に包まれた。


「よく堪えたね」

「騙されたのは騙したほうも悪いよ。君が全て悪いとは言えない」等の声も上がった。


「受け入れて向き合うことは素晴らしい行いだと思うよ」


「そうですよね。良くなってよかったです」


「元気になってくれて良かったよ。碓氷くんの笑顔見ると安心する」


温かい言葉だ。メモしておこう。何でこうもここにいる人達は優しい心の広い人ばかりなのだろう。


「呼吸が苦しくなったのはどのくらい続いたの? 酸素マスク付けた? 私は酸素マスク付けて心臓が止まったから大変だったよ」との質問も飛んだ。


「そんな酷くなったんですね。軽い時で1時間。重くて数日は意識なかったです。酸素マスクも付けました」


その方は大きく頷き、手を合わせた。


「そっか。大変だったね。僕と同じだ」と共感を呼んだ。


それからミーティングは続き、窃盗がやめられない人やストーカー気質な人のお話、自殺未遂を繰り返した人や中には強姦、殺人をしてしまった人の家族までいた。どれも心に何かを抱えた人ばかりだった。


立ち直る方法や僕と同じで向き合う精神を語っていた人もいたので大切な所だけメモをしていた。


1時間のミーティングが終わり、解放された。


そのグループミーティングは退院日まで毎日行われた。


 今日は診察の日だった。

診察が終わるとあと5日後に退院だからと急に宣告された。あと5日で退院できるの!? と舞い上がっていた。


家族面談も母さんと滞りなく行われた。その時に大量の服も返した。面談は僕はノリ気じゃなかったし、母さんも嫌々参加していたけど。


その日の夜、メールで知らせた。


『あと5日で退院できるよ』


『え、ほんと! お祝いしなくちゃ。おめでとう』


そんな大袈裟な……と思ったがまあ良しとしよう。お祝いって何が待っているんだろうと楽しみになった。


退院という言葉を聞いて嬉しそうな此葉だった。僕も躍動感に駆られている。


 そんな浮かれていた僕に悲劇が訪れた。集中治療室にリオちゃんが入ってから、毎日のように2階病室に来ていた。友達だったからだ。病室にリオちゃんの姿は無いことが多かった。看護師も当然いない。


どこに行ったんだろう……まだ集中治療室にいるのかな……と不安を募らせた。


部屋に無断で入ってしまった。やはりリオちゃんはいなかった。ただ、棚に置かれている家族写真が気になった。川を背景にお父さんとお母さんとお兄さんとリオちゃんの4人で写っていた。これが撮れたのは奇跡だったんだろうなと思う。リオちゃん、本当は家族で色々な所に行きたかっただろうに。何なら僕が連れていってあげたかった。誘拐になるのかな。あんな無邪気な子が病気と闘って、頑張って、そんな姿を想像するだけで胸が痛くなる。何で病気と闘わなきゃいけないんだろうって。


確か、前にリオちゃん言ってた。何で病気の体で生まれてきたんだろうと。僕もそう思う。神様は卑劣だ。恨んでやる。


 それから3日が経った。この3日間はのんびりゆったりと過ごした。此葉ともうすぐ会える楽しみとリオちゃんへの心配と。せめて、僕が退院する前までに一度でいいから姿を現してほしいなと思っていた。死んだ姿は嫌だよ。


病院で過ごした時間を振り返っていた。長くて短い時間だったなーと。色々な事があった。つらいこと、悲しいこと、嬉しい、楽しいこと、その全てが僕の経験、かてになる。

中山さんからの言葉、グループミーティングのこと、本で学んだこと、此葉との向日葵、そしてリオちゃんと話せたこと、他には無い素晴らしい思い出になった。その思い出は積み重なっていく。


 その退院前日の午後のこと。昼ご飯を食べ終えた僕はリオちゃんの病室に向かった。そこで目にしたものはあまりにも僕の心臓に突き刺す氷のかどに似ていた。もう黒いひつぎに入っていた。僕が待って! と言ってもこの状況を止めることはできない。なんて運命は残酷なんだろう。まだ7歳だよ? 

謝りたかった。急変してたのは知ってた。僕が救ってあげたかった。それは偽善だろうかと考えるが偽善なのだろう。


もっとお喋りしたかった。叶わないのかな。中山さんも、もう死んじゃっているだろう。なんで見送らなきゃならない。


せめて僕の余生をリオちゃんに与えることが出来たらどれだけ幸せだろうか。


あの折り紙を折ってた時が僕とリオちゃんの最期だったとは思いもよらなかったなー。あんな素っ気ない態度取っちゃって申し訳ない。リオちゃんはいつも笑ってた。病気と闘っている時も僕といる時も。僕はそんな子に笑顔を分けれたかな。


せめて天国では誰かと笑いあっててほしい。前世と同じで。病気なんてない平和な世界で生きられますように。


 気づいたら僕は地面にしゃがみ込み、ボロボロと泣いていた。目から溢れ出る涙は止まることなく、流れ続けた。身近な人が亡くなったのを目の前で見たことが無かったから、慣れていなかった。僕の父は生まれる前に亡くなっているけど見たわけじゃない。


周りの人も泣いていた。リオちゃんのお父さんらしき人とお母さんもいた。周りから見たら僕も親族、関係者のように見えていたと思う。


今日、悲しみの果てにいけた気がした。


病院内の友達だったから。他人以上友達、患者同士以下の関係だった。だけど、失った悲しみは計り知れなかった。膨大な憂鬱と喪失感、虚無感を覚えた。


なんで退院日の前日に。僕ももうすぐ病院をさよならする。リオちゃんも今日で病院をさよならする。この世界からリオちゃんは消える。実感が湧かなかった。現実を受け入れられなかった。


 悲しすぎて病室に戻ってきても泣いていた。窓を見つめて憂鬱感に浸っていた。明日、退院する事を忘れるかのように。というか、すっかり忘れていた。


『明日、退院だね。良かったーやっと颯に会える(顔文字)』


という此葉からのメールにも


『そうだね』


としか返事できなかった。



 そして翌日。


最後の病院食の朝ご飯を食べた。何だかいつもより美味しく感じた。


退院手続きを済ませた。


最後の病院食の昼ご飯、最後の病院食を食べると、荷物の整理・管理をした。もうこれでこの場所を去るんだという気持ちを持ちつつ、部屋を見渡した。


長かったなーまた此葉と暮らせる安心感と昨日の拭えない喪失感を同時に感じながら病室を出た。


 病院の前にいたのは母さんではなく、此葉だった。帰ってこれた気がして、とても嬉しかった。














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