第76話 ペリシア帝国革命(3)
(1)
ペリシア帝国帝都セディアラの国立公会堂周辺2キロの住民に避難勧告をし、早4時間が経過していた。
メーアマーミーから現場の指揮を託されたイオナは、どちらかといえば情報集積に重きを置くタイプの指揮官であり、経験則と直感で判断できるメーアマーミーとは使用する機材も異なる。
「……動き無し、ね」
イオナはスコープ越しに公会堂を確認していた。白いフードを被り防毒マスクを被っている標的の表情は、さっぱり解らない。
「イオナ殿、公会堂のサブ監視カメラのデータの受信に成功しました」
力ずくで敵をねじ伏せるような屈強な兵士達の周りを、魔法工学畑の情報集積班が細やかに駆け回るので、良し悪しはさておき、防衛も連絡も伝達も部隊横断的で大掛かりになる。
「了解。配置と人数のデータを正確に頂戴」
「御意」
スコープから目を離さずに、イオナは部下からの報告を頭の中で整理した。
公会堂一階正面玄関入り口に2名。
公会堂一階中央に1名。
公会堂2階東西階段にそれぞれ2名ずつ。
公会堂3階中央ホールに5人。
公会堂屋上に4人……
「あ……!」
報告の途中だが、部下から小さく声が上がった。
「何かしら?」
イオナがスコープから目を離した、丁度その時だった。
城(パレス)方向から大きな爆発音と共に、火柱が上がったのだ。
「これは……」
強い負のチカラを感じるが、これは恐らくメーアマーミーのものだろう。彼の属性は『炎』と『風』属性である。その為だろうか、彼が攻撃呪文を繰り出すと、誰から見ても派手な火柱が上がるのだ。
「イオナ殿! 確認をお願いします!」
しかし、モニターを覗き込んでいた部下が慌てたのはこのことではないようだった。
「この男です!」
かなり興奮気味に部下がモニターを指差した。画面右下に「公会堂・3階廊下」と表示がされているそのモニターに、他の白いフードの構成員とは明らかに風体が違う黒髪の男が映し出されていた。丁度、動く彼を追う為、画面が三階中央ホールに切り替わる。角度が変わった為、偶然にも、男の素顔は一層はっきり映し出された。
「彼は……」
イオナは息を呑んだ。少しクセのある黒髪、下がりがちの目、他の構成員と比べて比較的長身の背丈――間違いない!
「エリオ!」
モニター越しに
『
イオナが声を張り上げたのと同時に、公会堂から爆発音が轟いた。
(2)
飛び散る瓦礫も爆風も、イオナの張った結界呪文の強障壁に阻まれ、防御の遅れた帝国軍と精密機械類はとりあえず無傷で済んだ。
「公会堂を爆破するメリットが、あるということね」
最初から公会堂そのものは保護の対象から外していたイオナは、慎重にスコープでエリオ達の姿を確認した――ここまで手の込んだ事をしておいて、単なる自爆で済ます訳はない。
「(しかし、相手はエリオ……)」
イオナ自身は直接対峙したことは無いが、ランやイェルドや凍馬が束になってかかっても互角かそれ以上に渡り合える、世界屈指の
「イオナ殿、奴等の姿を上空に確認しました」
帝国軍屈指の精鋭達が今にも追撃しそうな勢いであるが、イオナはそれを制した。
「相手が悪すぎるわよ!」
かといって、みすみす逃がすわけにも行かない。
「アタシが行くわ!」
イオナはバハムートを召喚すると、上空へ逃れたエリオ達を追う。
(3)
シュリの放った炎属性魔法分子の結晶とメーアマーミーの放った炎属性魔法分子の結晶は相殺し合い、轟音と共に上がる火柱が地下道の天井を破壊した。
「やっぱり、アンタはボクの邪魔をするんだね」
シュリの口角が上がる。赤みの強い薄い唇の端が上がったところ、不吉を察した帝国軍元帥は眉間に皺を寄せてその細い目を一層吊り上げた。刹那、
「殺せ」
と、皇帝のしわがれ声がメーアマーミーの背に突き刺さる。
「余は節度を託した筈だ」
大きく崩れてセキュリティも機密性も失った天井から、やおら冷たい風が吹き込んできた。皇帝・ジェフ三世の声が鋭さを増す。
「情けは無用だ!」
御意、と畏まるメーアマーミーを見たシュリから、笑い声が聞こえた。
「所詮、親父の
聞きなれた嫌味にメーアマーミーは何も応えず、皇帝陛下より賜った節度の剣を抜いた。
肩甲を更に保護するメーアマーミーの黒の外套が、俄かに強まった風に踊る。
その外套や鎧のみならず、メーアマーミーの着衣や飛空騎に至る装備の殆どは、何色にも染まらぬ黒の一色である。何事にも決してブレることのない彼の佇まいをメタファーしているようでもあり、それはそれで奇抜であった。
「陛下、我々は退きましょう」
ロイヤルガードが皇帝に退却を促す。しかし、その打診は強い口調で拒否された。
「余の目の前で引導を渡して見せよ、メーアマーミー!」
皇帝・ジェフまでも口角を上げた。これに困り果てたロイヤルガード達は、やむを得ず、結界を張り巡らすに留めておいた。
「……御意」
メーアマーミーの表情は変わらない。誰が見てもそう見える。
風が止んだ。
シュリが剣を召喚する。炎属性魔法分子が練り込まれた赤い刀がシュリの生来持つ炎属性の魔法分子と呼応して、禍々しい負のチカラを放っている。
「そうそう、」
シュリがニヤリと笑ったが、メーアマーミーは目を伏せた。構わず、シュリは続ける。
「アンタが教えてくれたんだっけ、剣術」
この戦いを見守っている皇帝の依頼で、メーアマーミーは皇子達の教育係をしていたことがある。そう、たかだかそれだけの因果で皇帝は彼を疑い、シュリは彼に揺さぶりをかけているのだ。
「ま、関係ないよね。お互いに」
シュリは剣を翳した。シュリの殺気に尖る負のチカラが赤く刃に色付く。
「断っておくが、」
メーアマーミーはあえて釘を刺しておいた。
「駆け引きは苦手だ」
無論、この台詞一つを取っても立派な駆け引きである。その所謂“駆け引き”が得意か否かはさておき、銀の刀剣の刃はメーアマーミーの黒の衣を映し込んでおり、あたかも黒い剣のようにも見える。
「上等だよ」
シュリから笑みが消えた。
「兄上の
魔法属性は同じく、『炎』。殺気を放つ赤き剣と冷たく光る黒き剣が睨み合う。
「(赤か。黒か)」
ジェフ三世は崩れた天井から差し込む青く澄んだ空を仰いだ――愛すべき祖国・ペリシアが、奇しくも、赤き剣を取る自分の息子により基盤も理念も歴史の向こうに崩れ去ろうとしている。それを、最も信頼の置ける部下である黒き剣士が希望を繋ぎ止めるのか、否か。
運命のルーレットが回り始めた。
「(果たして、
(4)
イオナは
「政治犯収容所は御免だ!」
と誰かが叫んだのと同時に、20名ほどの構成員が各々飛空騎から飛び降り、グライダーで滑空して行った。彼等の殆どが、地上に待機させておいた帝国軍の手により逮捕・粛清されるだろう。イオナは小さく溜息をついた。
問題は、只一人この場に居残り、ワイバーン4体と対峙しているエリオである。イオナは慎重に接近した。
「敵、か」
と、エリオの唇が動いたようだ。刹那、一体のワイバーンが墜ちた。エリオが強化魔法球(ブラスト)の詠唱を唱えていたらしく、瞬く間にワイバーンは魔法分子の巨大な結晶に撃ち抜かれていた。
「(この間まで、会話さえままならなかったというのに)」
彼と直接対峙したことの無いイオナがよく知る彼は、常に眠っている彼か、ネハネの推す車椅子に乗るもの言わぬ彼である。その彼がこのキャパシティーであるのだから、つい、イオナは唖然としてしまう。
「バケモノ、ね……確かに」
イオナは残りのワイバーンを退却させると、エリオの跨るグリフォンの正面にバハムートを乗りつけた。
「敵かどうかくらい、覚えていてくれていないものかしら?」
イオナとエリオは、実は殆ど初対面である。期待は薄いが、イオナは交渉から開始した。
エリオが失踪した旨報告を受けてから、イオナら帝国中枢部は、エリオの意識が回復し自ら目覚めた可能性と、シュリら帝国背信派が副脳等何らかの懐柔ツールをエリオに移植した可能性はどちらが高いか、仮説の検討を重ねていた。
「我らが行く手を阻むものが敵である」
こう淡々と言ってのけたエリオの強張った表情を見るにつけ、どうも仮説は後者が正解に近そうだ。
「(副脳となると、イェルドさんあたりを派遣したいところだけれど…)」
イオナは大きく溜息をついた。イェルドがまだペリシアに居るかどうかよく解らない上、例え彼の協力を得て副脳を解除できたとしても、エリオがまた寝たきりに戻ってしまうのであれば、やはり気の毒な気もする。
「貴方の“行く手”はどちらかしら?」
イオナは少し考えてこのように切り出した。
「貴方には待ち人が居たのだけれども、それも思い出せていないようね?」
一体エリオの中枢神経は、どの程度懐柔ツールに侵食されているのか――イオナとしてはそこを見極めたかったのだが、如何せん、上空は風が強い。所詮他人を介した思いなどは推し戻されて無為に帰した。
「今取り出せないデータなど、無かったものに等しいことだ」
淡々と言ってのけたエリオから
「副脳って、意外と詩人なのね」
イオナの知る「副脳」とは、忠実な臣下の情報を宿した単細胞生物である。副脳について、彼女にもあまり明るい知識は無いが、当該副脳もエリオが持って然るべき基礎的な情報を取り出せない状態なのだろうことは判った。
「(回復への道のりは長そうね)」
火つけ女・イオナの本音としては、何とかエリオを黙らせて、今頃はヴェラッシェンドにいるだろうネハネの元へこっそり送還してやりたいところだが、あまり現実的ではなさそうだ。
「シュリに加担するのはどうかと思うけど、このまま続ける気?」
とりあえず私情を手放して、このようにイオナは切り出した。早速ではあるが、攻撃呪文で決着をつけるのであれば不利である、と彼女は分析する。
「無論、だ」
とエリオの「副脳」は簡単に答えた。
(5)
シュリは赤い剣を翳した。その剣自体が炎魔法分子の結晶なのだろうか、刀身が素早く空気を斬る度に炎がちらついている。
「(単純に剣術の勝負はさせてもらえないだろうな)」
メーアマーミーはそう読んでいた。然るに、己に託された節度の刀剣の柄を握り締めた彼は、小さく溜息をついた。この刀、ペリシア帝国創始者であるジェフ一世が国を統べる者に託した歴史的価値のある大層な刀で、市場に出せば値を付けようが無い一級国宝であるが、価値としては、ただ、それだけである。
「……御意のままに」
メーアマーミーは小さくそう呟くと、シュリに合わせて剣を翳して見せた。
強く風が吹き込んできた。
それぞれ機を逸していたメーアマーミーとシュリは、互いに睨み合ったまま、少しずつ間合いを詰める。例えるなら獲物が罠にかかるのを待っているような、狡猾な間である。
「知ってるよね?」
シュリの声が冬の風に震えている。しんと降りた殺気が刀身を更に赤くギラつかせた。
「ボクには、兄上しか居なかった……」
シュリを、赤い刀身が暗喩しているのだろうか、彼の剣は唸りを上げて炎を巻き上げる。シュリが間合いを一気に詰めたのはそれと同時である。規則も無く巻き起こる炎に気を取られていては防御が遅れる――同じ『炎』の魔法属性を持ち、『炎』耐性は強い筈のメーアマーミーとしても、本当に戦い辛い事この上ない。シュリの赤い刀身が熾した炎が、丁度今、メーアマーミーの左脇腹と左腕の一部を焼いたところだ。
ズキン、と何処が痛むというのか――メーアマーミーは赤く爛れた左腕を伸ばし、簡易魔法球をシュリの右の脇腹に叩き込んだ。
「ぐ……っ!」
何とか思惑通りに間合いを広げたメーアマーミーは、炎で一部溶けてしまった外套の端を掴み、剣の柄と共に握り締めた。耐熱性は高い筈であるそれが溶けているということは、シュリの刃から放たれている炎は、単なる“炎”ではなく、負のチカラを浴びて攻撃性を増した炎魔法分子の一部であると考えた方が良さそうだ。
「くたばれ!」
ここで、更にシュリが間合いを詰めてきた。成程、シュリの赤い剣は接近戦にかなり強い。彼が接近戦にこだわる理由はそれであろう。
「チッ!」
流石に煩く、メーアマーミーは襲い掛かる赤い刃を、銀の刃で受け止めた。しかし、その機を待っていたのはシュリの方であったようだ。彼の赤い口の端が上に向いた瞬間、赤い刀剣の魔法分子結晶は突然分子間力を弱め、メーアマーミーの刃を受け流したのだ。
「な!?」
体勢を前のめりに崩されたメーアマーミーは、背中からシュリの攻撃呪文の詠唱を聞いた。
『死ね(グ・ウェ)!』
完全にメーアマーミーの背を捉えた大蛇のような炎の魔法分子結晶は、その漆黒の外套や鎧ごとメーアマーミーに喰らいつき、容赦なく焼き溶かしてしまった――
「皇子、」
と声をかけられるまでは、確かにシュリの目にはそう見えていた。
「ご存じないだろうが、」
シュリは振り返った。其処には、黒の外套や肩甲ではなく、目の覚めるような赤の鎧下を纏ったメーアマーミーが銀の刃を向けて控えていた。
「――私にも、何も無い」
何時からそう思うようになったのだろうか……メーアマーミーは銀の剣をシュリの背に突き立てて、またも小さく溜息をついた。
「だが、それがどうした?」
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