第百四十九話 正義の使者アマリリス! ※ちょっとした暴力表現が含まれます。

 気が付けば皆、本当に階級などどうでも良くなっていた。


 キリとアリスが本気で最後のパンを取り合い、それをノアが楽しそうに見ていたが、見兼ねたのか自ら新しいパンを切って持ってきてやっていた。


 カインはオスカーとまるで兄弟のように笑い話しながら酒を飲み楽しそうだ。


 キャロラインはミアに温泉講座を受けているし、いつの間にかそこにアリスも参戦していた。


 ルイスもそんなキャロライン達の話を楽しそうに聞きながら、トーマスに色んな悩み事を話してくる。どうやらルイスは酒を飲むと面倒なタイプのようだ。そんな事が分かったトーマスは、クスリと小さな笑いを零しながらルイスの相手をしていた。


 深夜、突然の大きな物音にノアはパチリと目を開いた。音の方向からすると、ルイスの部屋辺りからだ。


 まさかルイスに何かあったか? ノアはベッドから飛び起きてガウンを羽織って廊下に出ると、やはり同じように起きだしてきた皆と急いでルイスの部屋に向かう。


 ルイスの部屋の前まで来ると、箒を手にしたハンナと刺股を持ったジョージ、そして何故か羽ペンを握りしめたアーサーがルイスの部屋の中を見つめて呆然と立ち尽くしている。


「父さん」

「ノ、ノア……皆も……いや、君達は見ない方がいい」


 そう言って羽ペンを持つ手を震わせたアーサーは、ゆっくりと部屋に足を踏み入れた。


 アーサーの言葉を聞いてキャロラインとカイン、そしてトーマスが顔色を悪くする。


 ルイスが何者かに殺られたのか……? 誰もがそんな事を考えていたのだが、部屋に足を踏み入れたアーサーが、この状況ではありえないぐらい優しい声で呟いた。


「ア、アリス? その人を下ろしなさい、いい子だから、ね?」


 それを聞いて皆は納得した。キャロラインなど胸をホッと撫でおろしている。


「アリスちゃんが犯人?」


 ひょい、とルイスの部屋の中を覗き込んだカインとルイスは目が合った。暗がりで分からないが、どうやらルイスは完全に腰が抜けているようで、口だけで助けてくれと合図してくるが、それよりもカインは部屋の中央に立つアリスを見て絶句した。


 思わず口元を押さえて後ずさりするカインに、キャロラインが訝し気に立ち上がり中を覗こうとする。


「いや、君は止めた方がいい」

「え……」 


 ルイスは無事なのか? それともやはり大怪我でもしているのか。どんどん不安になってくるなか、ハンナとノア、そしてキリが動いた。


「父さん、捕まえるからアリスから離れて」

「あ、ああ、すまないね。頼むよ」

「ノア様、ロープです。あと、ジョージが刺股を持ってきてくれました」

「ありがと。キリ、ルイスを保護して連れてきてあげて。ハンナはアリスの掴んでる犯人の救護をお願い」

「はいよ」

「じゃ、行くよ」


 そう言ってノアは素早くアリスの後ろに回り込み、物凄い勢いでアリスの腰に刺股を突き付けて壁に押し付けると、そこから足払いをかけてアリスをその場に引き倒した。


 その隙にハンナがアリスの手から犯人を奪い取り、そのまま部屋の外にまで引っ張り出してくる。その直後にキリに抱きかかえられたルイスも運び出された。


「キリ、ロープ」

「はい!」


 キリは抱いていたルイスを床に乱暴に落とすと、倒れたアリスをロープで手際よく巻いていく。グルグル巻きにされたアリスは、しばらくロープから抜け出そうとウゴウゴしていたが、やがて寝息を立てて眠ってしまった――。


 眠りこけるアリスをとりあえずルイスの部屋のベッドに転がしたキリが、ベッドの脇で倒れている誰かを発見して珍しく声を上げる。


「ユーゴさん⁉」

「は? ユーゴ?」


 カインはキリの側まで駆け寄ってベッドの脇で失神しているユーゴを見つけて慌ててキリと二人で部屋の外まで運び出してきた。


 ユーゴは犯人にやられたのか、顔にうっすらとナイフでつけられた傷が出来ている。服も切り裂かれたようにボロボロで、思わずカインとキャロラインとトーマスとミアが息を飲む。


「ど、どうしてこんな……何がどうなってるの⁉」


 どうしてルイスの護衛だったはずのユーゴがここに居るのか。まさかユーゴがルイスを?


 その疑問を解消したのは、未だに腰が抜けて立てないルイスだった。


「キャロ、違う。ユーゴは俺を守ろうとしたんだ」


 そう言ってルイスはどうにかその場に座りなおすと、一から説明を始めようとしたその時、失神していたユーゴが目を覚ました。


「んん? あぁ、助かったんだぁ……良かったぁ」

「ユーゴ! 大丈夫か⁉」

「ああ、大丈夫大丈夫ぅ~」


 カインとトーマスの声にそう言っていつものように笑いながら頭をさするユーゴを見て皆はホッと息をつく。


 そんなユーゴを見てルイスもようやく息をついて、さっきあった事を話し始めた。

 深夜、昼間の畑作業のせいでぐっすり眠りについていたルイスの肩を、誰かが揺さぶった。


何事かとうっすら目を開けたルイスは、息を飲んだ。


『ユ、ユーゴ? 何故ここに……?』

『こんな時間にすみません、王子』


 そう言ってユーゴはルイスの前に膝をついて話始めようとしたその時、窓が開いて誰かが部屋に飛び込んできたのだ。


『やっば! 尾けられてたかぁ』


 のんびりと言ったユーゴはすぐに短剣を構えた。


 ユーゴは王の騎士団の中では一番年が若く、優秀だ。普通の相手なら簡単に勝てただろう。しかし、相手はユーゴもルイスも驚くほどの巨漢だった。その割にはすばしっこく、なかなかユーゴの攻撃が届かない。何よりもその巨体から繰り出される攻撃は驚くほど威力があった。


『くっそ、強いな。王子、もっと下がって!』


 そう言ってユーゴはイチかバチか相手に突進したのだが、あっさりと躱され思い切り殴りつけられた。その時、ユーゴとルイスの目の端に、庭をフワフワと横切るアリスの姿が見えた。


 ルイスとユーゴは一瞬顔を見合わせて同時に頷き、声を張り上げた。アリスに向かって。


『アリス! 助けて!』と。


 するとアリスは突然物凄い勢いでグルリとこちらを向き、駆けて来た。その速さと言ったら、もう早駆の時の馬ぐらい速かった。そしてあっという間に壁をよじ登ってきたかと思うと、窓枠に立ってなんだかよく分からないポージングをして叫んだのだ。


『正義の使者、アマリリス! ここに参上!』

「……お嬢様……」

「そういう夢を見てたのかな? ちょっとだけ自分の名前をもじってるのが笑えるよね」


 ははは、と笑うノアにバセット家は呆れ、他の皆は唖然とした顔をしている。


 もちろんそれを聞いた時、ルイスもユーゴも、巨漢でさえも唖然とした。


『いや、アリスだろ?』

『しっ! 王子、成りきらせときましょ』


 ユーゴの言葉に頷いたルイスは成り行きを見守った。


 アリスはユーゴでは手も足も出なかった巨漢に窓の枠から飛び降りざまに踵を巨漢の頭に垂直に振り下ろした。突然の攻撃に巨漢も驚いたのか、フラフラとよろけた所をアリスに足払いをかけられてその場に倒れたのである。


 それを見たユーゴが犯人を縛り上げようと近寄った所、何故かアリスに弾き飛ばされ、ベッドの木枠で頭を打ち付けて失神してしまった。これがあの大きな物音の正体である。


 それからのアリスの攻めは凄かった。


 巨漢は馬乗りになって殴り掛かってくるアリスを必死に両腕でどけようとしたが、その腕を逆にアリスに取られてしまい、二の腕を踏みつけられてありえない方向に一思いに折り曲げられたのだ。その時、巨漢の腕からとてつもなく嫌な音がした。


『ひぃ!』


 ここでルイスは腰を抜かした。人の骨が折れる瞬間の音を、間近で聞いたのはこれが初めてだった。


 完全に両腕が利かなくなった巨漢を、それでもアリスは殴りつけるのを止めなかった。巨漢が呻いて命乞いをし、口を切って血を噴こうが殴るのを止めないアリスに、どれほどルイスはゾッとしたか。  


 とうとう巨漢が意識を失った所で、アリスはピタリと殴るのを止めた。


 アリスはそのままゆらりと立ち上がり、巨漢の脈を確認して何かに納得したように頷くと、巨漢の襟首を片手で掴んで引きずりながら歩き出し、部屋の中央辺りまで来た時に、皆が部屋に駆けつけて来たである。


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