第二十話  全ての生き物の急所を知りつくす女、アリス

 釣り場につくと、そこにはアリスが家から持ってきたサンシェードが組み立ててあった。


「よくこんなの持ってたな。これは何だ?」

「アリスがよく山に籠るからね。これはサンシェードって言うんだ。いちいち日傘を差さなくてもいいようにって。他にも色々あるよ。ほら」


 サンシェードに目を丸くしているルイスに、ノアは折りたたみ椅子を見せた。その隣ではキリがせっせとキャンプ道具を手際よく設置している。飯盒(とは言え作るのはパンだが)からバーベキューセット。ランタンにシュラフ。もちろんここに持ってきていないものも沢山ある。


 これらは全てバセット家の特注だ。まだ前世の記憶など戻っていない時にアリスが寝ぼけてメモに残したのだ。それを見てノアが中心になって色んな伝手を使って年月をかけて駆けずり回った結果が、コレである! 


 誰に説明するでもなくアリスは努力の結晶達を眺めながらムフフと笑いを噛み殺した。


 今になって思えば、琴子時代、キャンプがブームだった時期があった。別に自分で行く訳ではない。推しと二人きりのキャンプを想像して楽しんでいたのだ。だからアウトドア用品にはちょっとだけ詳しかったのである。


 しかし今世ではアリスはゴリゴリのアウトドア派だ。これらの用品は、今やもうアリスには欠かせない物になっている。やってて良かった、推しと脳内キャンプである。


「お嬢は才能を思いっきり無駄遣いしてるな」

「っスね」


 見た事もない調理器具やキャンプ道具を見てザカリーが唖然としている。


「お嬢様こちらは準備しておきます。そろそろ活動時間ですよ」

「よしきた! ザカリーさん、はい、これエビね! 竿用意しなきゃ!」


 テンションが急に上がったアリスに、それまでシュラフでゴロゴロしていたドンがまとわりついてくる。これから何が始まるのか楽しみでしょうがないらしい。


「お嬢、よくこんなに取ってきたな! うわ、手長エビじゃねぇか!」

「でしょでしょ? もっと褒めていいよ!」

「おう、でかしたぞ! よし、いっちょやるか!」

「おう!」


 早速出来上がったマイ釣り竿に感動しながら、アリスが皆の分も組み立てようとすると、


「皆の分は僕がやるから、アリスは気兼ねなく釣りしてて」


 ノアがその役を引き受けてくれた。何と優しい兄なのか!


 さて、いざ釣りが始まると面白いもので、ちゃんと皆自分に向いていそうな所に分かれていくものである。


 アリスのテンションにドン引きしたスタンリーとキャロライン、ミアはキリの手伝いをする事にした。ついでに見た事ない調理器具の使い方を教わって感心している。


 ノアは人数分の釣り竿を用意してルイスとカイン、オスカーに手渡すと、丁寧に釣りの仕方を教えていた。


「じゃあまずは餌をつける所からなんだけど、生餌はアリスとザカリーさんに任せて、僕たちは大人しく疑似餌を使おう。はい、これね」

「お! これ、あいつじゃん!」 


 昨日の買い物で見たあの人形だ。カインは何だか嬉しくなって釣り糸の先につけられた人形を突いた。


「これで釣れるものなのか?」

「上手く動かせればね。見てて」


 ノアはそう言ってリールのストッパーを外して糸を指に引っ掛けた。そして竿を振りかぶると、勢いよく竿を振る。


「おお!」

「すげぇ!」


 錘をつけたルアーはヒュンと音を立てて飛んで行き、かなり遠くで落ちた。


「まずはこれぐらい飛ばせないと話になんないからね。でもコツさえ掴めば全然大丈夫。あれ見て」


 ノアが指さした先には丁度竿を振りかぶったアリスが居た。アリスはノアと同じように真っ暗な海を眺めていたかと思うと、狙いを定めた猛禽類のような目をして竿を振る。その瞬間、空気を切り裂いたルアーが物凄い勢いで飛んで行き、ノアよりもはるか沖に着水した。


「ね? 力じゃないんだ。釣りはコツが大事。でね、生餌をつけていない僕たちは自分で餌を動かさなきゃいけないんだ。こんな風に、人形の魚を竿で操ってさも生きてる魚のように見せかける。たまに糸巻いたりしながら。ずっとこれの繰り返しだよ」


 にっこり笑ったノアは、このボンボン二人はてっきり面倒がるかと思ったのだが、意外にも二人は目を輝かせて食いついてきた。


「それで⁉ どうやって投げればいいんだ?」

「さっきさ、ノアこれどうやってたの? どのタイミングで指外せばいいんだろ?」

「えっとねー――」


 何だか楽しそうな二人に説明していると、後ろからオスカーのあっ! という声が聞こえた。


 どうやらオスカーは試しにノアの真似をして竿を振ってみたようだ。見様見真似で何となくルアーを動かしていると何かが食いついたらしく、一生懸命リールを回している。


 その手つきを見てノアは確信した。おそらく、オスカーは釣り経験者だと。


「オスカーさん、やったことある?」

「川でなら子供の頃父と……でも、海は初めてです。お、重い……」


 確かに川と海では手応えが全然違う。でも経験があるのと無いのでは全然違う。


「緩急つけて巻いてみて」

「は、はい」

「よっしゃー! 鯛げっとぉぉぉ!」


 その時、アリスが雄叫びを上げた。猿を通り越して最早ゴリラである。どうやら目当ての鯛が無事に釣れたらしい。アリスはその場でしゃがみ込んで持っていたナイフで手早く鯛を絞めた。残酷な事のように思うが、一度釣り上げられた魚は海に戻しても長くは生きられない。


 それならば少しでも苦しまないようにすぐに処理してやる方がいい。食卓に並ぶ生き物は、こうやって誰かが絞めているのである。


 容赦なく魚を絞めたアリスを見て、隣のザカリーがギョっとした顔をしている。


「お嬢よぉ、何でお前そんなもん持ち歩いてんだ? てか、なんでそんな魚の急所知り尽くしてんだよ?」

「急所知ってるのはお魚だけじゃないよ!」 

「余計怖いわ! ほれ、刺身とやらにするんだろ?」

「うん! ちょっと行ってくる!」


 アリスはノアの方までやってくると、今しがた釣った立派な鯛を見せた。


「凄いね」

「うん! あ、オスカーさんも釣れてるんだ? ルイス様とカイン様は……まだ投げる前ですね。こうやってね、ここを指で押さえて振った瞬間に指放すと飛んで行きますよ。最初はちょっとだけ上向いて投げるといい感じに飛ぶのでやってみてくださいね! じゃ、ちょっと捌いてきます!」


 それだけ言ってアリスはそそくさとその場を後にした。そんなアリスの後ろ姿を眺めながらルイスがポツリと呟く。


「なあノア、お前の妹、頼もしすぎないか」

「頼もしいよ。でも、手出さないでね」


 にっこり笑ってそんな事を言うノアにルイスとカインは笑顔を引きつらせた。後ろは海だ。一瞬感じた殺意は絶対に気のせいじゃない。


 一方アリスは、釣った鯛を持ってキリの元へ向かった。


「気持ちいいわね。癖になりそうだわ」

「お嬢様、見てください! ハートにしてみました!」

「あら、可愛いじゃない。ねえキリ、この形に焼けるかしら?」

「どうでしょうか。やってみます。貸してください」

「あーなるほど、そうやって使うのか。キリ坊、火の方はもう準備できてるっス」


 こちらは何だかのほほんとパン作りをしていたらしい。そこに突然現れた鯛を持ったゴリラ、もといアリスを見て皆ギョっとしている。


「ア、アリス、もう釣れたの?」

「はい! 大物ですよー! ちょっと捌くのでまな板と包丁お借りしますね~」


 そう言って突然現れたアリスは鯛をドンと机に置いて作業をし始めた。


「俺、ちょっと見て来ていいっスか?」

「ええ、構いませんよ。火おこしありがとうございました。キャロライン様とミアさんはこちらでパンを手伝っていてくださいね。あなた達はお嬢様のようにならないでください」


 後ろで小さな笑い声を漏らしながら鯛を捌いているアリスの声を背中に聞きながら、キリが言うと、チラリとアリスを見た二人はすぐにこちらを向いてコクリと頷いた。


 魚はキャロラインも大好きだ。美味しいと思う。でも、実際に捌いている所を見た事がない。むしろ死んだ魚すら見た事ない。だからさっきアリスが片手で鯛を持って現れた時は心臓が止まるかと思った。ちょっとしたトラウマになりそうだ。


 けれど、ノアが言っていた。自分が食べるものを見ておくのもいいんじゃない? と。


「キ、キリ、私も見た方がいいかしら? やっぱり、普段食べるのに、少しも見ないのは魚に失礼なのではないかしら……?」


 不安になったキャロラインが言うと、キリは相変わらず無表情で言った。


「別に見なくても構いません。見たからと言って出来る訳ではありませんし、出来ないなら出来る誰かにしてもらえばいいんです。感謝さえ忘れなければ、別にその過程は知らなくても問題などありません」

「そ、そうかしら」

「そうです」


 キリの言葉にキャロラインはホッと胸を撫でおろした。キリは不思議で、この従者にハッキリ言われると、そうかと納得してしまう。ルイスが思わずキリを勧誘した気持ちが分かる。


 その時、後ろで作業していたスタンリーから小さな悲鳴が聞こえてきた。


「お、お嬢、大胆すぎない⁉」

「いいのいいの! 頭はこのまま出汁を取るのに使うの! お魚に捨てる所なんてないんだからね! さぁ~鯛ちゃ~ん、ありがとね~美味しく美味しくなぁ~れ~」

「な、なんか怖い……てか、何でそんな包丁使えるんスか⁉」

「おうちでずっとやってたからだよ~三枚にして~うす~くうす~く~」


 歌いながら魚を下ろしていくアリスに狂気を感じ始めた頃、キリが口を開いた。


「あれは楽しくてやってるんです。趣味です。だからそれにお二人が付き合う事はありません」

「そ、そうね……そうするわ」


 たとえ必要に駆られて魚を捌く事がこの先あったとしても、きっとあんなにも楽しそうに捌く事は出来ない。死んだ魚とそれを捌くアリスの気味の悪い歌と匂いに、言葉もなく青ざめているミアを見てキリがそっとハンカチを差し出した。


「どうぞ、使ってください。お嬢様、少し向こうでやってもらえませんか? 不気味な歌が大変不快なんですが」


 キリの言葉にアリスが何かに気付いたように慌ててその場を片付け始めた。


「ごめん! スタンリーさん、あっちでしよ」

「お、俺も?」

「暗いとこで一人は怖いもん!」

「……」


 嘘つけ。心の中で皆はそう思ったが、声には出さなかった。


 多分スタンリーにも魚の匂いが染みついてしまっているに違いない。

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