7話:ファン仲間

 翌日。三人で電車に乗って他愛もない話をしながら駅に着くのを待っていると、ふと何処かから視線を感じた。


「小桜さんだ」


 視線を感じた先—うみちゃんが手を振った先—に居たのは小桜さん。それから、同じ制服を着た二人の女子生徒。彼女達の元へ移動するうみちゃんを望と追いかける。


「おはよう、小桜さん」


「おはよう」


「隣の二人は君の友達?」


「えぇ」


 小桜さんより少し高いくらいの女子が三組の日向ひゅうが夏美なつみさんで、153㎝の私より10㎝くらい低いように見える女子が二組の菊池きくち小春こはるさん。小桜さんと二人とは中学は別だが最寄駅が一緒で今朝知り合ったばかりだという。


「二組ってことは、菊池さんは望と同じクラスだよね?」


 うみちゃんが望と菊池さんを交互に見て言う。


「そうだな。俺の斜め後ろの席の子」


「お、ご近所さんじゃん」


「そう。だから覚えてるよ。菊池さんは俺のこと分かる?」


「う、うん。そりゃ分かるよ。…星野くん目立つし」


 うみちゃんほどでは無いが望もきっと目立っていただろう。中学生の頃も女子からキャーキャー言われていた。王子と呼ばれていたうみちゃんと常に一緒にいたから"騎士ナイト"なんてあだ名をつけられたりもしていた。ちなみに私は"暗殺者アサシン"だったり番長だったり魔王だったり…物騒なあだ名しかない。王子と騎士ときたら姫だろ普通。


「望はでけぇからな」


「180無いけどな…」


「179でしょ?ほぼ180じゃん」


「…君に言われると嫌味にしか聞こえないんだが」


 身長の話になるといつもこうだ。


「あはは。ごめんごめん。けど、3センチしか変わらないじゃん」


「てか、179あれば充分だろ…贅沢言うなよ…」


 180㎝も要らないが、せめて小桜さんくらいの身長はほしい。彼女は多分160㎝くらいだろう。低身長の方が可愛いくて羨ましいと170㎝近くある高身長の女友達に言われたことがあるが、私的にはせめて160㎝はほしい。背が低すぎると不便だ。


「月島さん、これよりは身長あるでしょ。この子140㎝しかないんだよ」


 日向さんが菊池さんの頭を押し込む。やはり彼女は140㎝代だったようだ。


「人の身長を暴露しないでよー!てか、143だから!」


「いいじゃん3センチくらい」


「よくない!」


 私も菊池さんに同意する。3センチは大きい。


「いいじゃん。小さくて可愛いよ」


「貴様…馬鹿にしておるな?」


「してないしてない。可愛いよ」


「くそ…今に見てろ…追い越してやるからな…」


「いや、無理でしょ」


 私も無理だと思う。見たところ日向さんと菊池さんの身長差は20㎝くらいありそうだ。


「ところで、三人は中学が一緒なの?」


「ああ。中学というか、保育園からずっと一緒。幼馴染なんだ。まぁ、腐れ縁ってやつだな」


「良い意味でね」


「良い意味か?」


「私は2人と出会えたこと自体が幸せだと思ってるけど、2人は違う?」


 その言葉には恐らく嘘はない。望に対しては最近八つ当たりしているが、本気で憎んでいるわけではないはずだ。


「…君は…ほんとサラッとそういうこと言うよな…」


「…恥ずかしいからやめろ」


「ふふ。愛してるよ。2人とも」


「「愛してるは恥ずかしいからやめてくれ」」


 望と一言一句違わずハモってしまう。うみちゃんはそんな私たちを見て、口元に手を当てて揶揄からかうようにくすくすと悪戯っぽく笑う。今日はいつにも増して機嫌が良い。こんな機嫌の良い彼女を見たのは久しぶりかもしれない。小桜さんのおかげなのだろうか。


「それで…小桜さん…だっけ」


 そういえば、小桜さんだけまだ自己紹介をしていない。彼女もそのことにようやく気づいたのか名乗る。


「え、えぇ。小桜百合香よ。鈴木さんと月島さんと同じ一組」


「小桜さんとは席が前後なんだ」


「で、こいつが小桜さんをナンパしたの」


「ナンパって言わないでってばー…もう。…おっと」


 不意に、電車が大きく揺れて小桜さんがバランスを崩してしまう。うみちゃんが咄嗟に吊革を掴んでいた片手を離して彼女の方に伸ばし、抱きとめる。二人の距離が一気に縮まる。


「あ…ありがとう…」


「ん。大丈夫?」


「えぇ…」


「掴まる場所無かったら私に掴まってていいよ」


「…じゃあ…腕…借りるわね」


「ん。どうぞ」


 小桜さんは遠慮がちに彼女の腕を手すりがわりに掴んだ。うみちゃんの身体を観察するように視線でなぞり、そして顔を見上げた。「どうしたの?」とうみちゃんが首を傾げると彼女は「モナリザみたい」と小さく呟いた。


「…モナリザみたい?私が?」


「あなたって見る角度によって男性にも女性にも見えるから…」


 確かにそうだが、何故それがモナリザに繋がるのだろうか。


「えっと…モナリザって女の人じゃないの?」


 日向さんが首を傾げる。私も同じ疑問を抱いた。


「そう見えるけど、男女二人のモデルを融合したって説もあるんだよ。授業でやったよね?望?満ちゃん?」


 全くもって記憶にない。美術の座学なんてほとんど頭に無い。


「…全然記憶に無いな」


「…美術の座学の時間はほぼ寝てたから知らねぇわ」


「…美術だけじゃないだろ」


「うるさいな。授業に出てるだけで偉いだろ。褒め称えろ」


「ほんとにめちゃくちゃだな君は…」


 呆れるようにため息を吐く望。


「そういうお前だって、度々授業中に寝ていて叱られていただろ」


「君ほどじゃない」


 私達がそう言い争っている間に、うみちゃんは着々と小桜さんと距離を詰めようとしていた。


「百合香って、上品で美しい名前だと思う。君によく似合う素敵な名前だよ」


 いつの間にか名前で呼んで、さらに口説くように甘い言葉を並べる。彼女は普段から恋愛感情のない相手に対してもサラッと口説くようなことを言ってしまうタイプだが、慣れていてもむず痒い。


「あ、あんまり褒めないで。口説かれてるみたいで恥ずかしい」


「あはは…ごめんね。けど、照れてる顔も可愛い。もっと揶揄いたくなっちゃうくらい」


「あなたねぇ…」


 呆れたようにため息を吐く小桜さん。まだうみちゃんは自分が同性愛者であることを話していない。小桜さんはうみちゃんが本気で口説いているとは思っていないのだろう。


「ふふ。ごめんね。…けど、本心だよ。君の名前、素敵だと思う。…君が自分の名前を好きかどうかは分からないけどね」


「…あなたの名前だって素敵よ。可愛らしくて、あなたには少し似合わないけどね」


 嫌味っぽく返す小桜さん。揶揄われて少し怒っているように見える。きっと彼女はこの後『怒っている顔も可愛いね』とでもいうのだろう。


「私は可愛くない?」


「えぇ。ちっとも」


「怒ってる?」


「…別に」


「ふふ」


「な、なによ」


「いやぁ…怒ってる顔も可愛いなぁと思って」


 ほら言った。それに対して小桜さんは顔を真っ赤にする。


「な…なんなのよもうっ!」


「ふふふ…ごめんごめん。そんなに怒らないでよ。褒めてるんだよ?」


「どう見ても揶揄ってるじゃない!私で遊ばないで!」


「いやぁ…照れてる君が可愛くて。可愛いとか綺麗とか言われ慣れてそうなのに。…綺麗過ぎて逆に誰も近寄れないのかな」


「も、もうやめてってば!分かったから…」


 褒められるのに慣れていないのだろうか。顔が真っ赤だ。うみちゃんが揶揄いたくなる理由も少しは分かる気がする。


「嫌いになっちゃう?」


「…別に。こんなことで嫌いにならないわ」


「ふふ。ありがとう。これからよろしくね。百合香」


「…えぇ」


 うみちゃんはきっと、どこまで近づいて良いのかを見極めようとしているのだろう。

 うみちゃんが同性愛者であり、そして自分に対して恋愛感情を向けていると知った時、果たして彼女はどういう反応を取るのだろうか。彼女は、うみちゃんの想いに応えることができる人なのだろうか。


「…なぁちる。海菜、ずいぶんとあの子が気に入ってるんだな」


 望が複雑そうに呟く。あそこまで露骨に懐いていては流石の望もなんとなく察したようだ。


「…素直に応援してやろうぜ」


「…別に邪魔する気は無いよ。むしろ、そういうことなら全力でサポートする。…俺はもう疲れた」


「…お疲れ。多分もう少しだから。頑張れ」


「…うん。信じてる。…あのさ、前に流れ星の話したろ?」


「あぁ、あれな」


「…あの時俺、星を見ながらいくつか願い事を考えてたんだ。その中の一つがたまたまその日に叶った。…実は、本当の願いは別にあるんだよ」


「うみちゃんのことか?」


「…そう。俺はあの日、彼女の幸せを願った」


「…八つ当たりしてくる奴の幸せ願うとか、お人好しにもほどがあんだろ」


 だけど望はそういう奴だし、私も彼女の願いが叶うことを願った。人のことは言えない。


「…俺は、彼女の笑顔が一番好きなんだ。付き合えないことは悔しい。だけどそれ以上に…彼女が辛い想いしているところを見たくない。あの頃俺は何度も、彼女が俺の家のベランダから飛び降りる夢を見た。彼女が告白されていたところを見かけたあの日、彼女が同性愛者であることを知らずに『普通は女性同士で付き合っているなんて思わない』と言ってしまった俺を責めながら、わざわざ俺の家のベランダから飛び降りるんだ」


「夢の中でも悪趣味なことしやがるな。あいつ」


 望はきっと、あの日言ってしまったことを、無知だった自分をいまだに責めているのだろう。私はもう責めなくて良いと言える立場ではない。私には彼を許す権利はない。許す権利があるのは傷つけられた本人だけだ。


「…私はうみちゃんが好きだよ。心配してる。けど、望も同じくらい好きだし心配してる。…だから、うみちゃんのこと気遣って耐えてくれてありがとう。もう少し頑張ってくれ」


「…うん」


「…おっと、優しくされたからって惚れんなよ?私、男には抱かれたくないんだ」


「いや…君みたいなめちゃくちゃな人は友達なら良いけど恋人にはちょっと…てか、抱かれたくないって…朝からそういう話するのやめてくれ」


「あ、意味は分かるんだ?」


「…逆に通じないと思ってたのか?」


「いや。望はむっつりっぽいから無知なふりするかと」


「誰がむっつりだ」


 あの日うみちゃんが願ったのは、私達三人に良い出会いがありますようにということ。小桜さんとの出会いがうみちゃんにとっての良い出会いだとすると、私と望にとっての良い出会いはなんなのだろう。気付いていないだけなのか、それともこれからなのか。それとも、宇宙人が用意出来た出会いは一人分の出会いだけだったのか。そもそも願いを叶える宇宙人なんていなくて、この出会いはただの偶然だったのか。説としてはそれが一番有力そうだ。まだ小桜さんとうみちゃんの出会いが良いものだったとも言い切れないのだから。

 まぁ、笑い合う二人を見ていると悪いものだったとはとても思えないが。出会って一日しか経っていないとは思えないほど仲が良さそうだ。よほど波長が合うのだろうか。

 そういえば昨日、小桜さんも『私もあなたと話してみたいと思っていたの』と言っていた。彼女もうみちゃんが気になっていたということだろう。何故?

 まさか、すでに二人の想いは同じなのだろうか。決めつけるにはあまりにも根拠が少ないが、私はそうであってほしい。望と同じく、私も彼女の幸せを願っているから。もう二度と『死にたい』なんて言ってほしくないから。

 ここまで想うのは恋?

 いいや、違う。だって、望に対しても同じことを思っているから。うみちゃんに対してドキドキしたことは一度も無いから。私だけをみてほしいと望んだこともないから。今まさに小桜さんに対して尻尾をぶんぶん振っている彼女を見て、胸がモヤモヤするなんてこともないから。望とうみちゃんに対する想いに違いがあるとしたら、キス以上のことに対して不快感があるかないかくらいだろう。望とのキスは……うん。想像したくもない。

 では、彼が女性だった場合はどうだろうか。

 女性バージョンの望を想像しようとするとどうしたって流美さんの顔がチラつく。しかし、彼女とのキスには抵抗はない。そして別にドキドキもしない。そこそこ信頼のある女性相手なら恐らくそういうことをすることに抵抗は無いのだろう。よっぽど不潔でなければ。

 今更ながら、私は貞操観念というものが低いのかもしれないなと苦笑いしてしまう。ほとんど無いかもしれない。もしくは、本当はあったけれどうみちゃんと一線を超えたことをきっかけにぶっ壊れてしまったか。

 しかし、常に誰かと関係を持っていたいわけではない。相手がいないのは寂しいが、わざわざ自分に恋愛感情を持つ人間を利用しようとは思わない。むしろ面倒だとさえ思ってしまう。きっと私は同じ気持ちを返せないから。


「…そういやさ、今日の深夜から<恋って一体なんなんだ>ってアニメが始まるんだけど…それの主人公が恋を知らない女性なんだ」


「あぁ、流美さんから勧められて買ったよ。アニメも録画してる」


「そうか。知ってたか」


 流美さんに勧められた日に全巻買いに行った。流美さんが演じる主人公の愛崎あいさき恋花れんかは大学生。成人している。高校生の頃に年上の男性との交際経験はあるものの、本気で誰かを好きになったことはないという設定だ。現在単行本は6巻まで出ているが、彼女に好意を寄せるキャラクターが何人かいる—中には女性キャラもいる—ものの、まだ誰とも結ばれる気配は一切無い。恋花が私と違うのは性行為に対する興味もないということ。以前うみちゃんが言っていた。他者との性行為を望まない人間もいると。ノンセクシャル、あるいはアセクシャルというらしい。

 アセクシャルというと他者に対して性的な欲求を抱かない人を指す。ノンセクシャルというのもこれの一種だが、こちらは日本独自のセクシャリティで、恋愛感情はあるが性的な欲求を抱かない人を指す。アセクシャルではあるがアロマンティックではないといった感じだろうか。

 私はノンセクシャルの人は、いわゆるプラトニックな恋愛を望む人という解釈をしているが、その解釈で正しいのか自信はない。

 ちなみに、アセクシャルやアロマンティックの中にも恋人が居る人は居るらしい。相手に対する恋愛感情がなくとも恋人という関係は成立するようだ。知れば知るほど恋愛感情というものが理解できなくなってくる。頭がパンクしそうだ。


「あー…考えすぎて頭おかしくなりそう…


 呟くと、うみちゃんがその言葉に反応して私をちらっと見た。そして意味深にニコッと笑う。「夜行こうか?」と聞こえた気がした。そういう意味じゃないと首を横に振る。残念そうな顔をするうみちゃん。『浮気になっちゃうから好きな人が出来たら関係を終わらせる』と言っていたくせに。『君が良くても自分は耐えられない』と言っていたくせに。付き合っていないから大丈夫とでも言うのだろうか。「クズ」と声に出さずに口パクで伝える。伝わったのか伝わっていないのか、わざとらしい泣き真似をし始めた。小桜さんが私とうみちゃんを交互に見て首を傾げる。


「…すげぇ。月島さんと鈴木さん、目で会話してる…」


「あたしらも出来るっしょ?あたしが今何考えてるか当ててよ」


「お腹すいた」


「あははっ、当たり。なんで分かったの?」


「なっちゃん、今日朝ご飯食べてなさそうだったから。みんな、ちょっと学校行く前にコンビニ寄っていいかな」


「いいよ」


「えぇ」


 私と望も頷いて許可を出す。日向さんと菊池さんは同じ中学だと聞いているが付き合い長そうだ。私達のように保育園からの付き合いなのだろうか。少なくとも中学からのようには見えない。




「じゃ、ちょっと行ってきます」


「俺もちょっと行ってくる」


「望、お茶買ってきて。望の奢りで」


「私、ルイボスティーね。望の奢りで」


「…お金は後で返して貰うから」


「「ぶー」」


「ぶーじゃねぇよ」


 コンビニの前に取り残されたのは私とうみちゃんと小桜さんの三人。


「…三人とも、仲良しね」


「幼馴染なんだ。保育園から一緒」


「高校まで一緒になる予定なかったけどな。たまたま第一志望が被ってさ」


「たまたま?へぇ。…羨ましい。私にはそういう存在は居ないから」


 そういえば自己紹介の時にも同じ中学の人が居ないと言っていた。


「学校まで遠いの?」


「徒歩合わせて一時間くらい」


「うわ、よく通おうと思ったな」


 私達の家からの通学時間はその半分くらいだ。


「色んな商業高校の体験入学行ってここが一番良かったから。制服も可愛いし」


「ふぅん。なんで商業なの?就職すんの?」


「…まだ分からないわ。青商は進学にも力を入れているでしょう?そこも決め手だったの」


「…なるほどね」


 最もらしい理由だが、なんだか違和感を覚えてしまう。ふと、彼女の視線がうみちゃんの穿くズボンに向けられる。もしかして本当の理由はそれなのだろうか。しかし、彼女はスカートを穿いている。他人の声が気になって穿きたいけど穿けないとか?

 確かに今はそうかもしれないが、恐らくそれは最初だけだ。LGBTだと決めつけて揶揄うのは無知だからだ。ちゃんと知れば結びつかないことくらい分かる。無知という醜態を晒していることに気づかない愚かで可哀想な奴らの声なんて気にすることないのに。

 なんて、言うのは簡単だが実際にそうするのは難しい。うみちゃんも気にしていないように装っているが、内心は凄く傷付けられている。それでも傷ついたと主張しないのは、あくまでも私の想像だが、いちいち個人を責めていたらキリがないからだろう。戦うべき相手は個人ではなく異性愛が当たり前だという常識そのものだから。

 しかし、誰だって、今まで常識だと信じていたものを急に否定されて責められたところですぐには受け入れ難い。だから彼女は怒りを抑えながら時間をかけて信頼を築き、自分のような人間も居るという事実を受け入れやすくしているのだろう。ほんと、お人好しすぎる。

 とまぁ、全てあくまでも私の想像だが。私は彼女ではないから彼女の全てを理解するのは不可能だ。

 小桜さんのこともまだよく分からない。ただ、うみちゃんのように何かを抱えているような気はする。誰だって大なり小なり何かしら抱えているのだが。

 私だってそうだ。恋という感情を理解したいという気持ちをずっと抱えている。みんなが当たり前のように恋の話をし始めた小学生高学年くらいからずっと。楽しそうに恋を語る彼らを見て、羨ましく思っている。今も。私はそっちに行けないかも知れない。だけど行くことを諦めきれない。


「…三人は幼馴染なのよね?」


「うん。そうだよ。よく、どっちかが望と付き合ってるなんて言われるけど、どっちも付き合ってないよ」


「…そうなのね」


「うん。ちなみに望にも、満ちゃんにも恋人はいないよ。それから私にもね」


「…そう」


「うん。ふふ。私に恋人はいないよ」


 うみちゃんの露骨過ぎるアピールに苦笑いしてしまう。しかし小桜さんは動じない。気付いていないのだろう。同性から恋愛感情を向けられるという想定がないのかも知れない。


「ちる、海菜」


 望達が戻って来た。ちゃんと手にはルイボスティーと麦茶を持っている。


「ご苦労」


『奢りで』とは言ったが、流石にあれは冗談だ。代金をちゃんと支払って受け取る。それにしても、菊池さんはやけに袋が重そうだ。


「…菊池さん、何買ったんだ?」


「…ストラップを少々」


「少々って。箱買いしてたやん」


「う…だって…箱推ししてるので…」


 そう言って彼女が取り出して見せてくれたのは"ミューズ"というアニメのラバーストラップ全10種が入った箱。歌いながら戦う9人の女神の話ということと、流美さんが演じているキャラがいるということしか知らない。9人と聞いていたが、何故かキャラが10人いる。


「ふぅん。菊池さん、ミューズ好きなんだ」


「…もしかして鈴木さん、見てる?」


「うん。私ね、銀河ちゃんが好き」


「…どれだ?」


「釘バット持ってる虹色の子」


 この子だよと菊池さんが指差したのは虹色の衣装を着た、可愛い顔には似合わない釘バットを持った小さな女の子。


「満ちゃんに似てない?」


「…言うと思った。なんでこいつだけ釘バットなんだよ」


 他のキャラは竪琴だったり、ヴァイオリンだったり、ほぼ全員楽器を持っている。その中で一人だけ釘バット。場違いすぎる。


久遠くおん銀河ぎんがだけ人間なんだ。他のキャラは女神だからサウンドって言われる音の力でノイズって呼ばれる敵と戦えるんだけど、銀河ちゃんはそのサウンドが使えなくて、物理攻撃しかないの」


 菊池さんが説明してくれるが、全くもって理解できない。小桜さんも首を傾げている。望は流美さんが出ているアニメならチェックしているから分かるはずだ。


「ちなみに私の推しは一柳いちやなぎゆきさんです。この白い子ね」


「あたしは二ノにのみや夜空よぞらが好き。黒い子ね。ちょっと王子っぽい子」


 日向さんが指した黒を基調としたクールな衣装のキャラは確かにうみちゃんっぽい。菊池の推しだという白を基調とした清楚な衣装のキャラとは対象的だ。なんとなく、こっちは小桜さんっぽい。二人とも武器は竪琴。

 各キャラそれぞれ担当カラーをイメージする名前がつけられているのだろうか。流美さんはどのキャラだろう。本人のイメージカラーは黄色だが、演じるキャラのイメージは寒色系が多い気がする。恐らく青か紫か、あるいは日向さんの推しの黒あたりだろう。


「…月島さんも知ってるの?あのアニメ」


 小桜さんが問う。彼女はあまりアニメには詳しくなさそうだ。


「いや、私は知らん。流美さんが出てることくらいしか」


「流美さんって星野流美さん?月島さんファンなの?」


 菊池さんが目を輝かせて食いつく。流美さんが望の姉であることは本人からは言うなと言われている。しまった。名前を出さない方が良かったかも知れない。


「…いや、私というか、望がファンなんだ」


お前余計なことを!と言わんばかりに顔を顰める望。キラーパスだったかもしれない。


「そうなの!?私も好きなんだ!知ったのは去年で、ファン歴は浅いんだけど…星野くんはいつからファンなの?」


「あー…えっと…デビュー当時から…」


「えっ!凄い!先輩だ!」


 望がファン仲間だったことがよっぽど嬉しかったのか、望の手を取りぶんぶんと大きく振る菊池さん。余計なこと言いやがってと言わんばかりに一瞬だけ私を睨んだが、姉のファンと友達になれたことに関しては満更でもなさそうに見えた。

 望の手を握ってぶんぶんと振っていた菊池さんは急にハッとし、パッと手を離した。


「す、すまん!」


「あはは…別に気にしてないよ」


 手を離されて苦笑いする望。『迷惑そうな顔しちゃってたかな』と、彼は小さく呟く。ほんのりと赤くなっている菊池さんの顔には気付いていなさそうに見えた。

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