第7話 脅威との対談
「足は完治、腕も問題ないな。肋は……まだ少し痛いけど、この程度なら大丈夫」
アンノウンの拠点へ来て遂に一週間。この一週間はとても長く、柊にとっては苦痛でしか無かった。環境には恵まれていたと思う。手厚い治療、豪華な部屋、美味い飯。傍から見れば、まるでセレブのような生活なのだろう。だが連れ添った仲間の死、無理やり加入させられたことへの屈辱、加入してから、その先の不安。これらがある限り、柊の心が安堵することは無い。
そして今日は、ボスから召集がかけられた日。果たして、どんな最低な日になることやら。
「時間が近づいてきたな。そろそろ着替えるか」
ベッドから起き上がり、横のクローゼットを開けた。クロエから事前に支給されていた、アンノウンの制服。依頼が入った時は、必ずこれを着用しなけらばならない。
袖や襟に白いラインの入った漆黒の外套、白いシャツ、グレーのウエスト・コートに、外套と同じような色のスラックス。一見すると、執事の燕尾服にも見える。
柊は制服に着替えると、鏡の前に立った。自分が、あの日見た『悪』と同じ姿をしていることに、強い嫌悪感を覚える。
「服従なんかしない。絶対に抜けてやる」
こんな環境下でも、柊の夢はまだ生きていた。ソフィアとの約束を守ると、心に誓ったのだ。その志を、決して捨てることは出来ない。
(俺は絶対勇者になる。弱きを助け強きをくじく。それに見合う実力をつけるのが俺の夢だ。誰かを傷つけ権力をふりかざす。そんなのは俺の目指すものじゃない。このくらいなんだ。壁を乗り越えてこその勇者だろうが!)
そう、これはその布石にすぎないのだ。踏み台にして、のし上がらなければならない。
「失礼します、ナトリ様」
ノックの音が聞こえ、クロエが部屋へ入ってくる。
「約束の刻限です。身支度はお済ませになりましたでしょうか」
「ああ。着替えるだけでいいんだろ?この通りだ」
クロエは柊の制服姿を見つめ、
「少々ぎこちないですね。身の丈に合わない、というか」
と鼻で笑う。
「悪かったな、身の丈に合わなくて」
「いえ、まあ最初はそんなものですから。そんな、ものですから」
「二回も言わんでいい!」
最近、クロエは柊を貶すようになってきた。クロエなりに柊の緊張をほぐそうとしているのかもしれないが、真相は定かでは無い。
「では参りましょう。執務室へご案内致します」
クロエに続き、部屋のドアを閉めた瞬間、柊の直感が告げる。
――ああ、悪夢のような現実が始まるのだ。
「ここが執務室になります。今後報告をする際には、こちらの部屋にお立ち寄り下さいますよう、お願い致します」
木質の大きな扉。それだけで、凄まじい威圧感がある。柊の本能は、この部屋に立ち入ることを拒んでいた。
「ここが、ボスの……」
「それと、ナトリ様が我々に敵対心を抱いていることを承知で申し上げます。くれぐれも、粗相の無いように」
「……分かってるよ、そのくらい」
「私が案内出来るのはここまでです。そしてナトリ様の世話役も、本日を以て終了致します。一週間という短い間でしたが、ありがとうございました。お世話されてくれて」
「なんで、礼なんか……」
「役立たずだったとはいえ、一応ご主人様ですから」
「仕方ないだろ怪我してたんだから!……ああ。こちらこそ、世話になったな」
例え悪の組織の一員といえど、自分を介抱してくれたのは彼女だ。癪だが、扉を前に硬直していた柊は、クロエとの会話で少しばかり平常心を取り戻していた。
その言葉に、クロエは少し口角を上げて、
「仕事ですから」
と一言。
柊は深呼吸をすると、執務室のドアノブに手をかけた。もう、後ろは振り返らない。柊の背中を押すように、クロエの声が聞こえる。
「いってらっしゃいませ。どうぞ、お気をつけて」
―――――――――――――――――――――
「失礼します、ボス」
ノックをし、ドアの向こうから返事か来るのを待つ。ただそれだけで、心臓を締め上げられるような緊張感があった。一秒一秒が、永遠のように長い。
「入りたまえ」
震える手で、ドアを開ける。既に柊はびっしりと冷や汗をかいていた。柊はこれから、あの時見た、異常な威圧感の男と対話しなければならない。気持ちを押し殺し、そっと、部屋に入る。
ボルドーの壁に飾られた絵画や剥製。本棚が部屋を囲むように置かれており、妙な閉鎖空間が出来ていた。
そして、机の上に両肘をつき、黒い椅子に腰掛ける仮面の男性。
「よく来てくれたね。ナトリシュウ君。私はアンノウンのボス、デルトリヒと言う者だ。これより君を、正式な構成員として組織加入を認めよう」
「契約書など、物を介さなくてよろしいのですか?」
「うちにそのようなものは必要ない。ここへ来た時点で、君は組織の一員だ」
「はっ。光栄の至りです。」
「そう強ばる必要は無い。私は君にとって、宿敵なのだろう?」
たちまち柊の心臓が跳ね上がる。ボスは怒っているわけでもなければ、柊を責めているわけでもない。ただ話しているだけだ。それなのに、言葉一つで全身に悪寒が駆け巡っていく。
「心配する必要は無い。君が私に向ける敵対心。それすらも、私は好意的に受け取っている。尤も、それは私の話だ。当然、組織には君をよく思わない者もいる。そこだけは、理解して欲しいな」
どう答えるのが正解か。柊は脳みそが爆発しそうなほど考えていた。
(こいつは、頭の切れる奴だ。だから、仮に今俺が意に沿わない発言をしたところで即処刑、とはならないだろう。ここは正直に、でも慎重に……)
「……仰る通りです。俺は依然、アンノウンに対して不信感を抱いています」
「随分と素直だね。素直な子は、嫌いじゃない」
「そしてそれを踏まえた上で、ボスは俺の加入を認められました。なぜです。裏切る可能性を考慮しなかったのですか?」
ボスは数秒、間を取ってから答える。
「勿論したとも。現に、君はそれを目論んでいるのだろう?」
「!!」
クロエの時と同様、心を見透かされたような感覚。仮面の下に隠れているはずの瞳から目線を外すことが出来ない。
「しかし、今の君には組織を裏切るだけの実力が無い。仮に実力をつけたとしても、君には致命的に勇気が欠落している。故に、私は君を信頼するよ」
その言葉に、柊は苛立ちを覚えた。柊は自分の無力さを常日頃悔いている。だからこそ、自分の心境を見抜いたような男の言葉は到底許せるものではない。
「なんの、根拠があって……」
「では、質問をしよう。君にとって『正義』とは何か」
突然の問いかけに戸惑う。この男の発言は、全くと言っていいほど予測がつかない。相手に、自分の全てを悟らせないようにしているのか、一瞬の隙も見当たらないのだ。
「きっとその答えは、ボスの意に反しているものです」
「思想は人それぞれだ。構わないよ」
悪の組織の頭領に、己の正義をぶつける。こんなに危険な行為があるだろうか。しかし、こちらにも譲れないものがあるのだ。自分を偽り続けるのは、柊の本意ではない。
(もし、ここで勇気を出さなかったら。俺の中の正義を否定することになる。それだけは、したくない!)
「弱きを守り、悪を裁き、大切な誰かのため必死に抗い、必死に戦う。そして、人々の平和と安寧を守り抜く。これが俺の考える正義です」
「なるほど。では質問を重ねよう。君の思う悪とは何かね?」
「日々の営み、人の育み。これらを害する者は、皆悪と定義しています」
「害するとは、例えばどのように?」
「人を傷つけたり、殺したり……」
「君は人であれば無条件に助けるのかい?それ以外の種族は?君が悪人と見なせば、問答無用で排除するのか?その排除する手段は?君は自分の正義を貫くためなら、自身が悪人になることも厭わないのか?君は……」
次々と質問を投げかけるボス。柊は必死に考えた。しかし探しても探しても、その問いに対する答えが見つからない。反論はおろか、返答することさえ出来ないのだ。
(どう返すのが正解なんだ。考えれば考えるほど何も言えなくなる。俺の志は、こんなものなのか?この男は、なんなんだ?!)
悔しさを潰すように、唇を噛む。下唇が切れ、微かに鉄の臭いがした。
「私はね、人こそが悪だと思うのだよ。人は愚かだ。大地を穢し、空を焼き、他の生物をも征服する侵略者だ。人類はこの世界にとって最も邪魔な副産物であり、最も忌むべき存在……というのが私の見解だね」
「……俺達も、人類じゃ無いですか」
やっとの思いで質問を返す。話の隙間に入り込むタイミングを見計らうだけで一苦労だ。
「ああそうだとも。私はこれまで数え切れないほどの罪を重ねてきた。私もまた、愚かな人間の一人というわけだよ。私は、私が嫌いだ。一刻も早く消えてしまいたい」
この男の発言は、矛盾だらけだ。柊は、自分の予想していた返答を尽く塞がれるような、奇妙な感覚に陥っていた。
「……」
「おや、少し意地悪しすぎてしまっただろうか?はは、すまないね。歳をとると、ついちょっかいをかけたくなってしまうものだ」
仮面の下で、ボスが笑っているのが聞こえる。柊が真剣に考えている中、この男はそれを楽しんでいるのだ。その感覚が、柊には至極不気味だった。この男の思考は、狂気そのものである。
「さて、話が脱線してしまったね。組織の概要を説明しよう。我々アンノウンは、神々とその協力関係にある人間を敵対視する組織だ。任務は主に二つ。一つは団体任務。これには下級と上級の階級制度が存在する。神々を無力化する手立てとして、人々の信仰心を弱める方法、各地に配置された、神々の力の核である魔術結晶を破壊する方法があるのだが、団体任務では、下級は信仰心が高い地域の殲滅、上級には魔術結晶の破壊を担ってもらう。もう一つは単独任務。これは組織の資金を獲得するため、高額な依頼料と引替えに、暗殺の依頼を受け付けているのだが……まあおまけみたいなものだ。潜入してただ殺す。割と地味な仕事ではあるね。そして、我々が望むことはただ一つ。あの"聖戦”の再現だ。我々は必ずや神を撃ち落とし、新たな人類を創造しなければならない」
ボスの思想が柊と真逆であるように、組織の目的も、柊の夢とは正反対のものだ。もちろんこれに賛成できるはずもなく、柊の心に怒りが蘇る。
(人を殺すことが地味?神を殺し、人を創り直すだと?……冗談じゃない。俺には到底理解できない思想だ。それに、あの"聖戦”とは何のことだろう。不確定要素が多すぎるな)
「君にとっては、納得出来ない内容だろうけど。そこは頑張って貰うしかないな。……それに、君はいずれ知るだろう。人の罪深さ、神の残虐さを」
「……いや、そのいずれは来ない。どんな状況下だろうと、俺は俺の正義を貫くだけだ。他のやつに、指図されてたまるか!」
柊は溜め込んでいた恐れや怒りをボスにぶつける。クロエに散々粗相の無いように、と言われたことも忘れて。本当はそれも覚えているのだが。今の柊に、自制させるのは難しいだろう。人は、自分と相反する思想を異物だと認識することがある。そして一度異物とみなした思想は、徹底的に排除しようと攻撃する。柊はまさに今、その状態。
「口の利き方がなっていないわよ、新人君」
はっ、と後ろを振り返った。ドアの前に、若い女性が立っている。見たところ20前半くらいだろうか。柊は女性の声に聞き覚えがあった。
「エイミー。いつの間に到着していたんだい?」
「ノックはしたのですけどね。何やら、お話に夢中なようでしたので」
(エイミー?……地下室の、幹部か!)
そう。あの時、ボスに柊の組織加入を提案したのは他でもない彼女だ。
凛とした目付き、艶がかった髪をシニヨンヘアーにし、黒いリボンで結いている。腕を組みこちらを見つめる姿は、ボスとは違った威圧感を醸し出していた。
「以前会ったことはあると思うが、彼女は幹部のエイミー・ヘザー君だ。君も今後世話になる人物だろうから、顔くらいは覚えておくといい」
「あの時の……」
「あら、覚えてたのね。少し意外だわ。それで、ボス。彼の初任務について、話があると伺いましたが……」
「ああ、そうだったね。ではナトリシュウ君。団体任務と単独任務。どちらが向いているのか。君の適正を調べるため、まずはお試しとして単独任務をこなしてもらおう。エイミーはそのサポートを頼む」
心の中でどれだけ拒絶していても、今それを実行することは出来ない。それだけの実力が、柊には無い。壁を超えるためには、今この状況を耐えるしかないのだ。覚悟を決めるように、歯を食いしばる。
(……やるしか、無いのか!)
――ここから、少年の地獄は始まった。
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