薔薇



 六年ほど前のことだ。


 当時高校生だった私は、薔薇のよい香に誘われて、坂の上の白い西洋風の家の前で自転車を止めた。庭中にそれは見事な薔薇が咲き誇っていた。拳ほどあるそれらの花は、赤系に統一されていて、秩序のある落ち着いた華やかさがそこにはあった。


 私はしばらく薔薇に魅入っていたのだが、ふとあることに気が付いた。その家には、一つだけ閉まった窓があったのだ。目を凝らすと、レースのカーテンの隙間から、ベッドと、その上に寝ている人影が見えた。病気だろうか? 気の毒だとは思ったが、それ以上の関心はなかったので、その日はそのまま帰った。むせるような薔薇の香だけがその場を離れても漂っていた。


 それからも、帰り際にその家の前を通る日が続いたのだが、窓は開くことはなかった。相変わらず薔薇は美しい。だが、その庭に人影を見ることはなかった。それは悲しいことのように思えた。


 そんなある日のことだ。いつものように自転車を止め、花に魅入っていると、庭に珍しく人がいて、私のほうにやってきた。美しい女性であったが、その顔は青白くやつれていて、どこか悲しげであった。その女性は言った。

「いつも来てくださってるんですって? 窓から見えると息子が言っていたわ。薔薇がよほどお好きなのね」


  寝ていたのは、この女性の息子さんだったのか。

「息子さん、ご病気なんですか?」

  私の問いに、その女性は悲しく微笑んだ。

「ええ……。ちょうどあなたぐらいの年なのよ。でも学校にも行けなくて……。あなたを羨ましがっているわ。これ、あの子からなの。受け取ってくださる?」

 それは一輪の薔薇だった。薄すぎもせず、濃すぎもしない、ピンク色をした、可愛らしい薔薇。一緒に渡されたメッセージカードには「あげる」とだけ書いてあった。私は思わず、窓を見上げた。そこには透けるように白い肌と華奢な身体をした、少女のような少年がいて、私と目が合うとふわりと微笑んだ。優しげなその微笑みは、儚くて、胸をつかれた。彼の世界は、窓から見えるところだけ。私はたまたまそこへ訪れた異邦人。彼はそんな旅人を毎日どんな思いで待っていたのだろう。

 一輪の薔薇の花言葉は一目惚れ。彼が花言葉を知っていて私に一輪の薔薇をくれたのかは分からない。でも。

 なんだか急に切なくなって涙が溢れた。少年が手を振ってベッドの方に消えた後も私は立ち尽くしていた。彼の恋はこのまま叶うことはないのかもしれない。どうしようもないやるせなさだけが胸に残った。


 それから二日後のことだ。家中、黒いカーテンが閉められていて、奇妙に思っていた私に、少年の母親は告げた。少年の死を。その数日後、少年の薔薇も枯れた。


 月日が経つごとに薄れていく記憶の中で、少年の微笑みは薔薇が咲くたびに蘇る。

 そして今年もまた薔薇の季節がやってくる。




            了

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