16.魔犬の子と光魔法


「祈りをここに 集いたるは加護の光 『聖壁ホワイトウォール』」

「照らせ、『光灯シャイン』」


 まつりが『聖壁ホワイトウォール』を展開し、急襲に備える。

 悠介の発動させた魔法が先行きを照らした。

 高いような、低いような音が反響している。不規則に途切れるそれは風の音のようにも、子供の泣き声のようにも聞こえた。

 一歩踏み込むと、薄寒い風が肌を撫でる。それでも足を止めずに進んでいくと、唐突に陽の光が差し込んだ。


「うわっ、眩しい!」

「本当に外に繋がってたの?」


 焼き付くような強い明るさに目が眩む。手をかざして辺りを見回すと、遠くに黒い塊が見えた。


「っ魔犬……!」


 誰かが叫ぶ。

 悠介たちが臨戦態勢に入るも、一所ひとところに身を寄せ合った魔犬は攻撃の素振りを見せなかった。

 近づくなと、鋭い牙を露わに威嚇される。低い唸り声の中に、ひとつだけ高い声があった。


「……、っ……!」

「……そこに、誰かいるの?」


 問いかけたのは、まつりだった。耳障りの良い女性の声に、押し込められていた声が少しだけ大きくなる。黒い毛並みの山の中から、毛色も形も違う耳が垣間見えた。

 覗いた全貌に、全員の目が見開かれた。


「ね、猫……?」

「いや、違う。虎だ。子虎」

 

 魔犬の子か、もしかしたら噂に聞いた子供かと思っていた。だから思ってもみなかった子虎に、何というか、肩透かしを喰らったような気分になった。

 何人もの注目を浴びて、小さな子虎が怯えたように魔犬の影に隠れる。厳しい目で牙をむき出しにして威嚇してくる魔犬たちは、まるで子を守る親のようにも見えた。


「なぜ魔犬が子虎を守っている?」

「それもそうだが、あの子虎、もしかして弱ってるんじゃないのか?」


 誰かが指摘したとおり、魔犬の足の間から見える子虎は白いだろう毛並みを灰色と、赤褐色に汚している。


 一歩、まつりが寄る。子虎は体を大きく跳ねさせた。ぺたんと伏せられた丸っこい耳が小刻みに震えている。



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??? レベル2

HP 210/218

MP 72/72

種族/白虎

属性/風

状態/栄養失調:中(全パラメーター×0.7)

   外傷:右後ろ足(敏捷性×0.8)

備考/呪物:調伏の首枷(前後パラメーター×0.7)


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 良くも悪くも、『情報収集』は優秀だった。示されるまま見た子虎の右後ろ足には、他の部位より赤褐色が多く見える。魔犬より長い毛に埋もれて、首元には見るからに重い首枷が嵌められていた。


「調伏の首枷……」

「! ぐ、るぅぅ……っ」


 低く零した悠介に、子虎が痩せ細った体を隠すように魔犬にしがみついた。

 子虎を守るように、魔犬たちが牙を剥く。

 いや、ように、ではない。守っているのだ。守ってきたのだ。この子虎を。人間から虐げられた幼子を。



 調伏の首枷

 鉄製の首枷

 装着者のステータスを減少させる呪物

 解呪、または対となる鍵を用いての脱着以外不可



 『情報収集』は、嘘を示さない。

 悠介が問う。


「まつりさん、いける?」

「……やる。絶対に」


 言い切るまつりの声音には、抑えきれない何者かへの怒りが滲んでいた。

 一歩、まつりが進み出る。魔犬が身を低くして備えたが、まつりの目は真っ直ぐ子虎を見つめて逸さなかった。


「……おいで」


 柔らかな女性の声に、子虎がぴくりと耳を動かす。けれど、魔犬の影からは出てこない。

 まつりはその場にしゃがんだ。


「おいで」


 優しい声音と、緩やかに動かされる細い手。

 害意はないと感じたのか、子虎は少しだけ、魔犬の側から離れないようにまつりに寄った。

 小さな体の一歩二歩。まだ、遠い。


「大丈夫。怪我と、その悪趣味な首枷を外すだけ。だから、もうちょっとだけ、こっちに来て」


 彼女がそう言うなら、それは可能なのだろう。

 首枷の正体を知らないながらも、『シルバーホーン』の面々はほとんど確信していた。

 昨日今日で、彼女の有能さは文字通り骨身に染みている。

 伝説に語られる聖女とすら肩を並べられるのではと思うほどには、彼らはまつりに敬意を抱いていた。


 まつりごと見守る眼差しにか、人語を理解できているのか。

 すぐにでも飛び掛かれる姿勢を保ちながら、子虎を庇う魔犬が数歩、近寄った。

 子虎はしばらく戸惑うようにその場で足踏みしていたが、やがて、また魔犬に添うように動いた。


(この距離なら)


 まつりはゆっくりと深く息を吸い、初めての詠唱を諳んじた。


「それは愛しき始まりの光 それは優しき始まりの闇

万物誘なう|太初(たいしょ)の導(しるべ)ーー『|解呪(デイスペル)』」


 まつりが紡いだ声音のように柔らかな光が薄絹のように広がり、子虎を優しく包み込む。

 それはふわりと空気に溶け込んで、重苦しい首枷はさらさらと砂のように風化して消えた。

 魔犬の唸り声が止む。

 きょとりと瞬く子虎に微笑み、まつりは軽やかにまた詠唱した。


「さやけき安らぎの音色よ『治癒(ヒーリング)』」


 淡い光が溢れ、じんわりと子虎を包み込む。

 クルル、と子虎が気持ちよさそうに喉を鳴らした。『治癒(ヒーリング)』に自浄効果はない。けれど何故か、子虎がわずかに綺麗になったように見えた。

 すっかり身軽になった子虎が、嬉しそうにまつりに懐く。猫のように膝に擦り寄られて、まつりは嬉しそうに笑った。


「あとは、たくさんご飯食べれば大丈夫だからね」


 たくさん食べて、大きくおなり。言い聞かせるように、猫よりは固い毛を撫でた。

 ひと段落がついて、見守っていた側にも淡い微笑が浮かぶ。

 あ、と何かに気づいた悠介が声を上げた。


「まつりさん、ポーションって動物にも効くと思う?」

「……は?」

「んー、どうだろ。全くではないだろうけど」

「え?」


 間に挟まる『シルバーホーン』たちの困惑に、悠介は内心悪戯心を擽られた。しかし、今は小さな命が最優先。悠介は切り替えて、金色羊の革袋アリエス・ポーチからポーションを取り出した。


「あ、あのぉ〜、ユースケさん……?」

「はい?」

「その、見間違いでなければ、お持ちのそれは……」

「? 中級ポーションですけど、それがなにか?」


 きょとんと目を瞬かせる悠介に、『シルバーホーン』は思わず引いた。そして悟った。

 彼らには何を言っても無駄だろう、と。

 命は金銭で購えるものではないとはいえ、大銀貨3枚は決して安くない。

 『シルバーホーン』は遠い目で子虎にポーションを飲ませるまつりの姿を見守った。



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??? レベル2

HP 218/218

MP 72/72

種族/白虎

属性/風

状態/栄養失調:軽(全パラメーター×0.8)


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「ん、大丈夫そうね」


 よしよしと、まつりが嬉しそうに子虎を撫でる。その隣で、悠介が今度はパンを取り出した。ころんと丸いそれをまつりに渡し、まつりの手から子虎に差し出す。

 すると、さすがに魔犬が臭いを確認しにきて、すんすんと鼻を鳴らしてから子虎にあげた。

 かぷり、と小さな一口が齧られる。ぱっと、月のような黄金の瞳が輝いた。

 一口、もう一口、と旺盛な食欲を見せる子虎に、ほのほのと二人が笑う。


「干し肉はまだ早いかな?」

「固いからね。また今度……は、ある?」


 まつりが魔犬に問いかける。

 当然、返事はない。けれど高い知能を有しているには違いないらしく、まつりたちがじっと目を向けても魔犬が牙を剥くことはなかった。


 不意に、食べるのを止めた子虎がパンを咥え、とてとてと魔犬の傍に戻り、パンを差し出す。

 魔犬は長い舌で子虎を数度舐め、食べなさいとばかりにパンを子虎へ返した。

 子虎がおろおろと魔犬とパンとを見比べる。

 魔犬はもう一度子虎を舐めると、そのまま子虎の首の後ろを咥えてまつりの前まで運んだ。


「連れてけってこと?」


 尋ねても、やはり魔犬は答えない。ぐるる、と唸り声とは違う何かを発して、やはりまた子虎を舐めて、群れの方へと戻っていった。


「愛されてるね」


 よかったね、と子虎を撫でる。

 子虎は魔犬たちを見つめていたが、そちらに行こうとはしなかった。小さな体がいっそう小さく見えて、哀れみとも同情とも違う物悲しさに襲われる。


「また、会いに来よう。その時には元気いっぱいな姿を見せて、たくさん遊んでもらおうね」


 悠介が背中よりは柔らかい喉元のあたりを掻くように撫でてやる。子虎の小さく丸っこい耳はまだしょんぼりと伏せがちだったけれど、くるりと嬉しそうに喉が慣らされた。

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