第22話 遙かな――逃れ得ぬもの

「これは酷いなぁ……」

 ハナは自宅の前に立って、がっくりと肩を落とした。

 木製の玄関扉は吹き飛んで、そこから荒れ放題の部屋が見えている。家具はことごとく倒れるなり壊れるなりしていて、窓ガラスも一つ残らず割れていた。

 星の子の旅立ちが巻き起こした爆風が、湖を渡って周辺の森にまで被害を及ぼしていた。湖に面したハナの家も例外ではなく、湖から見て母屋の後方にある厨や、地下の貯蔵庫が事なきを得たのは不幸中の幸いだった。

 湖は、巨人が足を突っ込んで掻き回したかのような荒れようだった。付近の陸地は浸水した場所も多いだろう。家の前の入り江は波の浸食を受けて形が大きく変わっている。小舟を舫いでいた桟橋は、折れた杭の先端を幾つか除いて木っ端微塵に砕け、水面に無惨に浮いていた。

 そしてなにより変わったのは、遠くに見える浮き島だった。こんもりと綺麗な椀型を作っていた姿は、いまやなにも見えなくなっていた。地表を覆い育っていた樹木たちは爆心地の直下で跡形もなくなってしまったのだろう。長年、ハナを見守ってくれた古木の翁も……。

「ひゃあぁ、ハナさんこれじゃ無理ですよ」

 背後で上がった悲鳴に、ハナは振り向いた。そこにいたのは、森の状態を見るためにハナと共にやって来ていた数名の村人たちだった。

「そうだねぇ……家にかけてたおまじないも、このぶんだと起動できなさそうだし……」

 ハナの家には、暖房設備がない代わりに空間を暖めるためのまじないがかかっていた。あれがないと、これからの季節に森で暮らしていくのは難しい。

 ハナが首を傾げながら思案していると、村人の一人が言う。

「ハナさん、やっぱりしばらく村に来てくださいよ。そのあいだ、家の修繕は俺たちが気合入れてやりますから」

「そうねぇ……」

 そう言いながらも、ハナは首を縦には振らない。固い表情で、半壊した家を眺め続けている。

 なんとかこの家に留まり続ける方法はないかを、ハナは必死に考えていた。

 村人たちがハナを村へ迎え入れようとしてる気持ちはとてもありがたい。しかし、ハナにとってそれは、あまり進んで呑み込める選択肢ではなかった。別に村人のことを疎んでいるわけではない。むしろその逆だ。何世代にも渡ってハナと共に生きてきた村の者たちが愛おしくないわけがない。愛おしいからこそ、彼らのなかに自分が入っていくことが、恐ろしいのだ。

 ハナはその場に村人たちを待たせて考えに考えたが、どうしてもくりやや貯蔵庫だけでは生活に必要なものが足りない。それに加え、昨日は古木の翁の洞で眠ってしまったので、今日はできることならふかふかのベッドで眠りたい気持ちも勝った。

 ハナはくるりと後ろを振り返った。村人たちの目が、ハナに一斉に注ぐ。

「修繕、三日で終わらせるなら、村に行くわ」

「み、三日!?」

 ハナのもっとも手前に立っていた青年が頓狂な声を上げる。この前、エリンの出産祝いのときにも少しだけ話をした、ギベルだ。

「ええ、わたしが指定した建材をすべて用意してくれるのなら、三日でできるはずなの。全部、森にあるものだし、足りないものはここの残骸のなかから拾い出して再利用するから」

 平然と告げるハナに、村人たちは唖然とした顔している。

「できるんですか?」

 ギベルの問いかけに、ハナは自信満々に頷いた。

「勿論。わたしは魔女だもの」



 村人たちはハナの言葉を満場一致で受け容れ、早速、明日から建材探しをすると請け負ってくれた。今日のところはひとまず、ハナが村に持っていく荷物を持ち出すところまでだ。

「家、このまんま放っておいていいんでしょうか?」

 無残な姿になった家を村人たちが案じる。空き巣……は、こんな森のなかではまず起こらないだろうが、動物たちに荒らされる危険性は充分にある。それに、倒壊の危険もあった。

 しかし、ハナはあっけらかんと「いいのいいの」と言う。

「できるだけ元の形があるほうがやりやすいんだ。まあ、心配しないで。結構『賢い』家なんだ」

 伊達にハナが何百年と過ごしている家ではない。長年のあいだに様々な『魔改造』を施している。暖房設備代替用のまじないは、その一環に過ぎない。森に引き籠もると決めたハナの執念の傑作だ。だからこそ、今回の倒壊はかなりの痛手にもなったのだが。

 ハナは、村人が引いてきた大八車に三日分の泊まり道具を積み込み、皆と一緒に村へ引き返した。



 心がざわざわする。ハナは右手で胸を押さえた。少しの期待と、たくさんの不安がないまぜになった感情が溢れ出そうとするように胸のなかで暴れていた。

 村で過ごす――つまり、多くの人に囲まれて生活をすることは、もうずっとハナが遠ざけていたことだった。

 かつてハナは、たくさんの葛藤の末、北辺の森の調停者として人里から距離を置いて暮らす道を選んだ。調停者としての長い期間のなかで、北辺の森に隣接する村や、あるいはもっと遠くの町や都市で、人々のなかに混ざって暮らしたいという気持ちがまったくなかったわけではない。しかし、いつも最後に勝つのは不安だった。不安が期待を塗り潰して、自分のなかにあったかもしれない可能性をことごとく消してしまった。

 だから、いまではもう考えることすら諦めている。端から、自分には用意されていなかった人生なのだと。

 村が近づくにつれ、ハナの足は重くなり、歩みは遅くなっていく。「やっぱりいいや」とあっけらかんと言って森へ引き返したくもなったが、それによって村人たちの動揺し、悲しむ顔は見たくはなかった。

 人間の悲しい顔は、もうとっくに見飽きているから。

 ハナは、黒い手袋をはめた手を胸の前まで引き寄せ、手のひらを上にして見つめる。この手が命じた「魔法」が、かつてどれほどの不幸を多くの人の上にばらまいたか。それを思うと、ぞっとする。

 ハナは遥かな昔に、人と一緒に生きる権利を失っているのだ。誰が、自分たちを大量に殺した戦争兵器と共存したいと思うだろう。

 魔女のなかには、都市に住むシュネーを始め、人のなかで暮らす者もいる。勿論、彼女たちには彼女たちなりの葛藤があるのは間違いないが、それでも過去と現在に折り合いをつけて生きているのだろう。

 けれど、ハナは未だに折り合う一点を見定めることができない。恐らく、この先もずっと。

 人と一緒にいるのは怖い。兵器であることから解放され、法的に人権を与えられたいまでも、かつて殺戮を行った兵器である事実は消えない。油断すれば、自分の意思とは別なところで、また兵器としての本能が働くかもしれない。それが恐ろしい。

 そしてなにより、自分が過去に大量の人間を殺し、多くの焦土と廃墟を作り出した張本人であることを、愛しい人々に知れてしまうことが、なによりも怖くて怖くて堪らない。

 人と暮らしてその恐怖に苛まれ続けるくらいなら、森の奥に引き籠もって臆病に暮らしているほうがよっぽど気楽だ。

「大丈夫ですか、ハナさん」

 気鬱な顔をしたハナを見とめて、ギベルが声をかけてきた。以前、「エリンを頼む」と言ってきたことといい、気回しの利く若者のようだ。

「なんでもないの。忘れ物をしたかな、って考え事をしていたけど、大丈夫みたい」

 ハナがそう言ってへらりと笑うと、ギベルはあからさまにほっとした顔をした。

「なにかあったらすぐに俺たちに言ってくださいね。普段ハナさんにお世話になっている恩返しができるって、村の皆で張り切ってるんですから。ハナさん、村の皆に命令することをたくさん考えといたほうがいいですよ。皆、命令されたらなんでも喜んでやろうっていう気概ですからね」

「あらあら、人の数だけ考えなきゃいけないのは、骨が折れるわねぇ」

 軽口を叩きながら、ハナは胸のなかで「恩を返すべきはわたしのほうだ」と呟いた。世界に対して、人々に対して等しく負い目を抱きながら生きている自分を、こうして気にかけてくれることが、どんなことより素直に嬉しかった。相手にそんな深い思惑がないのだとしても、ハナはいつも彼らによって救われ続けている。

 断ち切ろうと何度も思った人との縁だが、その温かさに触れるたびに、ハナはそれを失いたくないと、強く思ってしまうのだ。

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