第14話 うつろい――記憶②
荒れ地の上空を、寒風が狂ったように吹き荒んでいた。
つい先日まで、ここで何日も消えない炎が燃え盛っていた頃には、寒さなどまるで感じなかったのに、いまは寒くて寒くて仕方ない。何日にも渡って燃え続けた火は恐ろしくて仕方なかったが、この寒さのなかでは少しの熾火でも残っていやしないかと、目を皿のようにして探してしまう。けれど、燃え殻ばかりになってしまったこの場所で、もはや火種はどこにも残っていないようだった。
かつてこの場所には都市があった。多くの人が住み、近くには豊かな実りをもたらす農地があり、清らかな川が流れていた。人々は天地の恵みを享受し、繁栄を極めた。
しかし、その地が豊かであればあるほど、その地に住むことができない者たちが繁栄を憎み、呪った。己の不幸の原因を、都市に住む者の幸福のせいだと嘆き、怨嗟は日一日と積もり積もっていった。
あるとき、誰かが都市を我が物にしようと言い出した。それが戦争の始まりになった。
都市を攻めようとする者もたちが手を組み合い、都市を手に入れようと攻撃し始めたのだ。
都市は攻撃に対して抵抗し、都市を欲する者たちを撥ね除け続けた。豊穣で瑕疵のないままの都市を手に入れることを諦めた強欲な者たちは、やがて手段を選ばなくなる。川を堰き止め、農地と街道を荒らし回り、都市の城壁に大砲で穴を穿ち、怨嗟を破壊衝動に変えて都市を蹂躙した。
都市は落ちたが、これで終わりではなかった。彼らが都市を手に入れた頃には、農地は荒野に変わり、清らかだった川は汚泥の沼地と化し、都市は廃墟となっていた。かつて栄華を極めた豊穣の地は、そこにはもう存在しなかった。
そのとき既に、なにかが狂っていたのだ。
都市を復興させ、堰き止めた川に流れを取り戻し、荒野を耕して農地に戻す。人々はもはや、それだけのことができないほどに、争いに取り憑かれてしまっていた。
やがて、限られた都市の資源を巡って、今度は都市を欲した者同士が、様々な勢力に分断して小競り合いを始めた。どこも実力は均衡していて、同盟と共に裏切りが横行し、決着が見えてはそれが覆るということが繰り返された。
泥沼化した小競り合いは、次第に都市に留まらず、地方一帯を舞台にして再び戦争の嵐を巻き起こし、本来の目的を見失って人々は傷つけ合い、あらゆる土地を焦土にしていった。
そして、誰一人の勝者も出すことなく戦争はある日突然終わりを告げた。
情報網が死に絶えたなかで、終戦の報だけが、残された人々の口から口へ、まことしやかに広がっていった。それを信じない者も多かったが、それ以上に、戦争の終わりを信じたい者が多数を占め、そしていつしか戦争は本当に終わったらしかった。ある日突然現れた軍隊が人々を蹂躙したり、空から爆弾が降ってくることもなくなった。
ハナは始め、頬を打つ柔らかな感触を知覚し、そして焼け野原の真ん中で目を覚ました。どうして自分はこんなところで寝ていたのか、或いは倒れていたのか、それ以前の記憶は、真っ白な霞がかかったようにわからなくて、ただ体が重く、起き上がることもできなかった。
そんなハナの頬を柔らかく温かく撫でてくれる黒い影があった。ハナは目玉だけを動かして、自分の顔の前で細かく首を傾げたり、羽を広げては閉じたりを繰り返すカラスを見つけた。カラスが、しきりにハナの頬に頭を擦り付けている。その姿に、鈍くなっていた心臓の動きが、どくんと波打って少しだけ早くなった。
カラスはハナが目覚めたことに少し経ってから気が付いて、その不思議な金色の目で、ハナの目を見返してきた。その瞳がどうしてか愛おしくてたまらない。
「ムニン」
と、ハナは頭に浮かんだ三つの音で、カラスを呼んで固まった頬の筋肉でぎこちなく微笑んだ。
それから首を少しだけ動かして視線の向きを変えると、空と大事の境目を見ることができた。
空はこの世の終わりのような濁った灰色だったが、雲には切れ間ができて白い光がところどころで地面を照らしている。焼け野原の黒と灰色のまだら模様のなかにふと、ハナは見つけた。
平坦な地面の上に、細く立ち上がった小さな影。それは空からの光を受けて艶やかな緑色に輝いていた。柔らかそうな細い茎と、その先には小指の先ほどの双葉。
ああ、とハナは声にならない溜め息をつく。
もう完全に死んでしまったようなこの場所でも、まだ新しい命は芽吹くのか。生きようと手を伸ばすのか。
人々から未来への希望を奪い続けた戦争が、すべてを焼き尽くして終わったと思ってきた。もう誰にも、なにも残らない、終わりがやって来てすべてを無に還したのだと、そう思っていたのに。
「ま、だ……」
まだ終わらないのか。無の降り積もる大地の下から、それでもなにかが始まろうとしているのか。うつろう時は、こんなにも大きな傷痕でさえ癒やそうとしているのか。それはどうして?
ムニンが、自分の体をハナに強く押し当てる。体温を分け与えようとするように、小さな体で必死にハナを励ましている。
ハナは指先で灰を掻き、足先で地面をなぞった。まだ、体が動く。
起き上がろう、そして歩こう。ここからどこかへ行ったところで、なにかがあるのか、それはわからないけれど、体が動く限りは歩き続けてみよう。
ムニンが、この小さな命が、ハナに「生きろ」と命令しているから。
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