番外編10話 ミレイの迷い
ゲームをログアウトした私は疲労感よりも満足感という名の充足で心が満たされ、心地良くVR機器を外す。
暗い部屋にいるのは私一人。
先程まで感じていた高揚感は寂しさとともに消えていた。
弱くなってしまったものだと自虐的に考えてみるが、そうではないことに気付く。
弱くなったのではない。
大切な友人が出来たから、そう考えるようになったのだ、と。
思い返せば、私、
お嬢様と呼ばれ、何不自由なく育ったけれど、心はいつも満たされることがなかった。
完璧であろうとお嬢様を演じ続けていた。
学校でも自称友人は多かった。
彼らは私自身を見てくれることはない。
だから、心を許せる友人なんて、いなかった。
ううん、違うわ。
正確には私自身が心に壁を作って、拒んでいたんだわ。
そんな私が変わる切っ掛けになったのはお父様がオーストリアにある三部のサッカークラブを買収してからだろう。
それまでサッカーにいい印象はなかった。
言い寄って来ようとするチャラチャラした軽い男しか、見ていなかったから、いい印象が生まれようはずがない。
お父様は私にはとことん甘い。
欧州旅行を兼ねたチーム視察に私を同行させてくれたのだ。
ヨーロッパで買い物をしたり、世界遺産を見るのも悪くない。
やってみたいことはたくさんあったから、楽しい旅だった。
クラブチームの練習を視察するのも義務の一環。
仕方なく行ったに過ぎなかった。
でも、その時を境に私の世界は大きく変わった。
未来を掴もうと汗を流し、フィールドを駆ける選手達の姿に私は目を奪われたのだ。
何、これ?
サッカー……凄いわ! 熱いわ! って。
私はその日、サッカーに恋をしたのかもしれない。
熱にうなされたかのように毎日、サッカーの勉強と称して、クラブチームのスカウト映像を見た。
そこで気付いたのは普通にスカウトしてもこのチームが浮上することはないだろうってことだ。
足利家の投資で資金力だけは二部のチームに匹敵するくらい高かったけど、それだけでは意味がないのだ。
お父様は私が急にサッカーにのめり込みだしたのを最初のうちは心配していたようだ。
やがて、本気だと分かってからは全面的に信頼して、任せてくれるようになった。
私はチームを強化する為にまだ、誰にも注目されていないような若手を引き抜くことを提案したのだ。
そうして、私は生涯の親友となる
出会いが最悪だったことはよく覚えている。
彼女の幼馴染で恋人である
それを恋愛が絡んでいると勘違いしたアリスとの間に一悶着あって、誤解が解けるまで顔を合わせると喧嘩になりそうなくらい険悪な仲だった。
何のことはない。
私は当て馬ではないのに貧乏くじを引かされた格好となったのだ。
そもそも、タケルに異性として興味を持った訳ではなく、純粋に選手として欲しかっただけなのだから。
私のサカつく勘がタケルはスゴイ成長すると告げているのだ。
話が逸れてしまった。
そう、あの二人は私が来た為に想いを確認して、結ばれたのだ。
もっと感謝してくれていいと思うのだが自分の手柄をアピールするようなことでもないから、黙っておこう。
想い人と結ばれたアリスとの間にまだ、多少の壁がある気がしたけど、私がお嬢様であろうと一切、遠慮しない彼女に好感を抱き始めたのはその頃からだった。
まだ、お互いに嫌味と牽制を忘れない感じではあったが、そんな仲でもそういう関係の知人がいたことない私にとって、新鮮で毎日がとても楽しかった。
タケルが私のチームへの加入を決め、早い方がいいと学生のうちにオーストリアに移住を決めたばかりか、結婚まで決めたのにはさすがに驚いた。
アリスは彼のことを想いながらも遠距離恋愛を続けるものだと思っていたからだ。
迷いが吹っ切れたのか幸せそうに話すアリスがとても眩しく見えたし、あなたも素直になるべきと言われた時には内心、ドキッとした。
アリスに好感を抱いていた理由が何となく分かったからだ。
似ているのだ、私達は!
素直になれずに強がって、一人で壁を作って……孤独である自分に酔っていただけ。
そう思い知らされた気がして、アリスとの間にあった壁がなくなった。
私は初めて、友人と呼べる人間に出会ったのだ。
彼女と仲が良くなってから、私は雰囲気が柔らかくなったと言われるようになり、友人も増えた。
それでもアリス、スミカ、タケル、カオル、ミサが私にとって特別な友人であることは永遠に変わらないだろう。
オーストリアに生活の拠点を移してから、アリスは変わった。
悪い意味ではなく、良い意味でだ。
彼女がモデルとして活動していることは知っていた。
それをクラブチームの宣伝になればと提案してくれるとは思っていなかった。
あんなにもタケルのことを考えて、動いてくれるなんて、愛は人を強くするものなのだろうか?
恋する女は強いって言うけど、本当かもしれない。
だが、私自身が恋をしたいかというとそんな気持ちは微塵もない。
その時点での私の嘘偽りない気持ちだった。
大切な友人が素敵なパートナーを見つけているせいか、私の中で彼氏というものに対するイメージが膨らみ過ぎたのかもしれない。
理想と現実は一致しないものなのだ。
自分ではそうではないと否定したいところだけど、『白馬の王子様が迎えに来てくれると信じて疑っていないでしょ』とアリスに言われ、妙に納得した記憶がある。
『そんな王子様は存在しない架空の生き物なのだ』と首を振り、スカウトから届けられたデータに目を通した。
その瞬間、心臓が苦しくなるくらいに激しい鼓動を繰り返していた。
まだ、十六歳の現役高校生ゴールキーパー。
高身長で身体能力が高く、高校屈指と言われるPKストッパー。
未来の守護神の歌声も高い期待の星。
この子が欲しい! 私の中で何かがそう囁いていた。
取り寄せられるデータ全てを取り寄せ、コウスケのことを調べ尽くした。
間違いない。
この子はきっと、将来の日本代表GKになる逸材だ。
それだけでも青田買いをして、引き抜く理由として十分だった。
実際に現地に赴き、彼の人となりを知るとさらに欲しくなった。
彼は元からゴールキーパーを目指していた訳じゃなかった。
温厚で闘争心の欠片もない性格であるコウスケのサッカー人生はディフェンダーで始まっている。
彼はDFとしてもその能力の高さから、活躍してしまったが為に悩むことになる。
自分がいたら、仲間が輝けない、自分はいてはいけないのではないか、と。
悩みぬいた末、彼はゴールキーパーに転向した。
ここなら、自分が誰かの邪魔にならずに皆を助けられる、そんな思いで。
私はコウスケの人となりを知るごとに……それだけで彼のことを好きになっていたのだろう。
しかし、私は雇用主だ。
そういった想いを抱いてもいいものなのか。
経営者として、失格の烙印を押されちゃうよ?
それでもいいの?
私の中のもう一人の私がそう囁いてくる。
迷いの森に迷い込んでしまった私ではあったけど、私的な想いに蓋をして、選手として彼を引き抜くことに決めた。
実際に彼と直接、会うことが決まった時、私は今までになく動揺した。
何を着て行けばいいのかな?
お化粧は派手なのがきらいかな?
ナチュラルの方がいいのかな?
もしかして、年上は嫌いかな?
頭の中に次々と浮かんでくる乙女チックな考えは恋愛未体験の私を翻弄するのに十分だった。
そこで素直になるべきという親友のアドバイスを思い出した私は迷うことなく、アリスに聞いた。
何と言っても彼女は初恋を実らせた経験者だ。
彼女以上に最適なアドバイザーはいないだろう。
「素のミレイが一番、かわいいのよ。飾らなくてもいいじゃない。それにその佐々木くんって、朴訥な感じなんでしょ? だったら、飾らないでいつものミレイで勝負するべきよ」
曇り空だった私の心に太陽の光が差し込んだ。
私はその日、いつものオフィススーツにナチュラルなメイクという文字通り、飾らないままでコウスケと対面した。
「初めまして。私がオーナーの
「は、初めまして、足利さん。
軽く握手を交わして、席に着くと大きな体の割に意外と小さな声でコウスケは話しかけてきた。
直に見るとまだまだ、少年ぽさとあどけない感じが残っていることに驚いた。
薄っすらと頬が赤くなっているけど、『私を見て、そうなっているのだろうか?』なんて思うのは自意識過剰かしら?
初対面はこんな感じで特に何の進展もなかった。
彼は口下手なのか、口数が少なくて。
私はビジネスの話ならともかく、プライベートで男性相手に喋ることがないものだから、会話が続かなかったのだ。
彼にどう思われたんだろうって、不安に襲われた。
また、アリスに聞いてしまったのは仕方のないことだ。
「どう考えたって、好印象与えてるって。ミレイは心配しすぎよ? 素直になるのと自信を無くすのは違うからね」
何だか、ちょっと怒られたというか、発破をかけられた気がする。
それからも機会を見てはグラウンドや練習場を訪れる体を取って、コウスケに会いに行った。
周囲の目を気にして、当り障りのないビジネス上の会話しか、交わせない自分の臆病さに腹が立ってくる。
この頃だったかな?
アリスが仲を進展させるには名前で呼び合ったらと唆してきたのは。
『コウスケ!』と呼ぶのも恥ずかしいのにすごく照れながら、『ミレイ……さん』と言ってくるものだから、私の方が恥ずかしすぎて、死んでしまいそうだ。
でも、そのお陰なのか、私とコウスケはプライベートに二人で出かけるくらいの仲にはなれた。
お互いがオフの時に予約したレストランで食事をしたり、遊園地に遊びに行ったりと今までにない体験が出来た。
アリスに言わせると『それは立派なデートだから、もう好きって言ったんだよね?』と聞かれたけど、実はまだ言っていないし、好きと言われた訳でもない。
恋人になるには二人とも最後の一歩が踏み出せないでいる。
「素直に好きと言うべきなのかしら……でも、それで関係が崩れたら、私は私でいられるの?」
私はまた、迷っていた。
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