(旧版)異世界で一番の紳士たれ!

だんぞう

#1 初対面の幼馴染との約束

「ね、もうすぐ暮れるよ? 明日の朝でもよくない?」


 ケティは不安そうな表情でこちらを見ている。

 だけど俺はケティに対する複雑な感情をうまくまとめられないでいたから、聞こえないフリをしたまま革ブーツの紐を結び続ける。

 その次は革の脛当てを膝下に取り付け、ベルトでキツめに留めた。

 立ち上がって何度か軽く跳び、脛当ての具合を確かめると、壁にかけてあった上着をかぶる。

 麻でできた七分袖のダボシャツのようなその上着は、裾が膝まで届くほど。

 ほとんどワンピースだよな、なんてどこかで考えながら次の装備に手をのばす。


 斧を収める鞘が付いている幅広の革ベルト。

 鞘部分が背中側に来るよう腰に巻き、腰ベルトから垂直に伸びている二本の肩掛けベルトの位置を、腕を回しながら調整する。

 これって工事現場で誘導している人が着ている反射板付きの黄色いタスキに似ているな。

 俺は……利照トシテルは、見るのも触れるのも初めてなのに、俺の中にあるリテルの記憶が何のためらいもなくそれらを俺に装備する。

 ベルトのバックルをぎゅっと締めて……着る方はこれでおしまい。


 それから……作り置きの矢の束からできの良いのを八本ほど選び、矢筒に詰めて背中に背負う。

 手斧を出し入れする時にぶつからないよう矢筒の位置を調整してから、手斧は鞘へと収め、革のボタンで固定する。

 リテルは幾度となく繰り返してきた動作。

 利照としては初めてなのに、装備し終えるとなぜか落ち着く。

 学校に行く時、制服のネクタイは最後に締める派だけど、あのときの「行くぞ」って気持ちに似ているのかも。


 よし。残るは弓だけだ……と、その弓へ手を伸ばしてから、いつもの場所に弓がないことに気づいた。


「私も一緒に行く」


 ケティがいつの間にか、弓を持っていた……というより、まるでショルダーバッグのように弓を斜め掛けしていた。

 後ろ手に弓を握っているせいで反り気味になったケティの胸元に、ピンと張った弦がしっかりと食い込んで、ただでさえ大きさを感じるケティの胸の谷間をやけに強調している。


 ……今朝、俺はこの胸に触れたんだよな。

 思い出しただけで完全に前かがみ案件なあの記憶は、いまでもしっかり思い出せる。

 人生で初めての感触は、時間が経った今でもこんなにも俺の心の奥をざわつかせているってのに、やっぱり股間は何も反応しないまま。

 自分の体の状態にやるせなさはある。

 ただそれ以上に、ケティに対するどうしょうもない憤りが抑えられず、俺は首を左右に振る。

 弓をつかみ、ケティの体からゆっくり外してゆく。

 ケティはもう抵抗をやめた。

 そのさなか、手の甲にケティの柔らさかを感じる……けれど。

 切ないくらいの体の冷静さにしがみつくことで心のざわめきを散らした俺は、弓を左肩にかけて部屋を出た。


「行くのか」


 ビンスン兄ちゃんが、声をかけてきた。

 利照おれは初対面だけど、リテルにすれば三歳上の頼れる兄。

 あの部屋はビンスン兄ちゃんとリテルとが二人で使っている部屋なのに、気をつかって居間こっちで待っていてくれたのか。

 居間には他にも両親に村長、ケティの父親でもある鍛冶屋のプリクスさん、リテルの狩人の師匠であるマクミラ師匠が立っていた。

 リテルの家族は他に祖母と双子の弟妹とがいるが、ここには居ない。

 俺は無言のまま頭を下げ、家を出た。

 行ってきます、くらい言えればよかったのだけど、俺はまだ彼らに対して人見知りというか距離感を感じていて……あとはケティとのことでいっぱいいっぱいで。


 外に出ですぐ、トンビのような鳴き声につられて空を見上げる。

 晴れた青空は昼を過ぎてかなり経つが、なおもまだ眩しい。

 細めた視界を空から地面へと落とすと、近隣の人たちが集まって心配そうにこちらを見ている。

 その一人一人の顔を見れば名前が自然と出てくるし、その人との過去のやり取りを思い出せるけど……利照おれは、彼らと会うのは初めてで、遠い外国で一人迷子になっている気分がずっとつきまとう。

 この奇妙な既視感の嵐にはまだ慣れない。


 背後から扉の開く音が聞こえて振り返ると、さっき居間に居た皆が外に出てきた。

 ケティも居た。

 俺は精いっぱいの笑顔を作ると、あとは振り返らず門へと向かう。

 高い柵で覆われた村から外へ出られる唯一の門へ。


 目的地へ向かっているはずなのに、向かうべき相手から逃げ出しているような気まずさが次第に歩く速度を早めてゆく。

 気がついたら小走りになっていた。


「よう、リテル。あんまり飛ばすと森の中でバテるぞ」


 門の内側、見張り櫓の上から声をかけてくれたのは門番のテニール兄貴。

 テニール兄貴は若い頃に村を出て、傭兵をしてから嫁を連れて戻ってきた。

 リテルには木を伐るためではない斧の使い方をいろいろと教えてくれていて、実の兄であるビンスン同様、リテルは彼を慕っている。


「い、行ってきます」


 ようやく絞り出せた声をその門に残して、俺は森へと向かった。




 一人になると自然と脳内再生される今朝のこと。

 俺の人生を揺るがすような事態が、二つも続けて発生したんだ。


 森の入口でふと立ち止まり、手のひらをじっと見つめる。

 手斧を使い慣れ、弓の腕もそれなりの手は皮が厚く、力強さを感じる。

 シャーペンや携帯電話やゲームのコントローラーくらいしか持たない利照おれの貧相な手とは違う、この世界で十五年間しっかりと生き延びてきたリテルの手。


「でさ、俺は結局リテルなのか? それともトシテルなのか?」


 自問してみるが、俺の中のリテルは答えない。

 リテルの記憶は、それについて思い出そうとしてみさえすれば、まるで自分が体験した記憶であるかのように思い出せる。

 だけどさ、どこか他人事っぽいんだ。

 それに対して利照としての記憶は鮮明で、主観的で、リアリティがあって……まだ覚めていないだけで、これは夢の中の世界なんじゃないかとさえ思うくらい。


 こっちじゃない世界……元の世界での最後の記憶は、十五歳の誕生日の夜。

 俺は一人でコンビニ弁当を食べ、一人で自分の部屋へ戻り、そこで突然頭が痛くなって強烈な寒気がして、そのまま布団にくるまった。

 意識が戻った時、体はまだ熱っぽかったから、やれやれって気持ちで起きたんだけど……。


 どこここ?


 それが最初の感想。

 部屋の大きさ自体は俺の部屋と変わらない。

 だけど全体的に木で作られていて、まるで違う部屋だった。

 粗末なベッドが二つあって、壁には見慣れない服がかかっていて、その傍らには斧とか弓とか立て掛けてある。

 ……あれは俺の上着。そして俺の手斧と弓。

 そのとき、まるでヘルプ機能みたいにリテルの記憶が蘇ったのを皮切りに、俺はどんどんと思い出す。

 昨晩はリテルも十五歳の誕生日で、俺と同じ様に高熱を出して寝込んで……目覚めたら、前世の記憶みたいに俺……利照の記憶がここにあった。

 ただ、リテルが利照の記憶を取り戻したって感じじゃなくて、あくまでも自意識は利照おれなんだよな。

 「リテルの人生」という十五年もかけた長い夢から覚めたみたいに……うまく言えないけれど、その表現が一番近い。


 とにかくもう少しあたりの様子を調べてみようかと、ベッドから起き上がる。

 ベッドから足だけ下ろして、床に置いてあるヘタった革のブーツを履こうとしたそのとき、部屋の扉が開いた。


「もう起きて大丈夫なの?」


 入ってきたのはケティだった。

 隣に住んでいる鍛冶屋の一人娘で、俺やリテルの一つ年上の十六歳。

 心配そうな表情。


「大丈夫」


 そう答えたとき、会話が日本語じゃないことに気づく。

 けれど、言っている意味はわかるんだ。

 俺の中のリテルの記憶が、俺が日本語でしている思考と会話との間で使うべき単語を変換しているみたい。

 バイリンガルってこんな感じなのかな。


「本当?」


 ケティは扉を閉め、俺の方へ小走りになり、胸が無造作に揺れる。

 リテルの記憶では、この世界ではブラジャーというものがない。

 麻製の、Tシャツと膝上短パンみたいなのが下着。

 季節にもよるけれど、屋内や村の中では男女とも、このシャツと膝上短パンだけで平気で歩き回る。

 ゴムはこの世界にはないみたいで、リテルの記憶の中にもそれに相当する単語がない。

 だから腰のあたりを紐でベルトみたいに結んでぇぅわわわっ。


 ケティが俺の隣に座った。

 すぐ横、俺と同じ様にベッドの縁に。


 さりげなくちら見すると、上着の首周りが比較的ゆるいせいか、ケティの胸の谷間がやけに目につく。

 しかも二の腕……肌と肌とが触れ合っている!

 マジか。

 ケティの近さにビクついた俺はケティとリテルとの記憶を慌てて思い出す。


 ……付き合っているわけじゃない……っと……いや……おいおい、リテル!

 リテルが過去に、ケティに向かって思わせぶりなこと言っていた記憶を掘り起こす。

 二年前の新年の朝に伝えた言葉を。


『俺が十五歳になったら……ケティ、伝えたいことがあるんだ』


 十五歳っていつ?

 あ、昨日か。

 彼女いない歴十五年の利照おれは混乱している。


 というかリテルは寝ているのか? なんで黙ってるんだ? お前、告白する気だったんだろ?

 いや俺か。

 俺がリテルなのか。

 主観が利照おれだから戸惑ってはいるけれど、リテルとして生きてきた記憶も価値観も、俺の中にはちゃんと両方ある。


 じゃあ、いいのか?

 リテルが抱えてきた想いを俺が告白しちゃっていいのか?

 本当に?


「ね。さっきから、どこ見てるの?」


 ケティがいたずらっぽい声でそんなことを言いだした。






● 主な登場者


利照トシテル/リテル

 利照として日本で生き、十五歳の誕生日に熱が出て意識を失うまでの記憶を、同様に十五歳の誕生日に熱を出して寝込んでいたリテルとして取り戻す。

 ただ、体も記憶もリテルなのに、自意識は利照のまま。


・ケティ

 リテルの幼馴染の女子。十六歳。


・ビンスン兄ちゃん

 リテルの兄で、部屋も一緒。

 リテルの家族としては他に両親、祖母、双子の弟妹がいる。


・プリクスさん

 ケティの父。鍛冶屋。


・マクミラ師匠。

 リテルにとって狩人の師匠。


・テニール兄貴

 村の門番。傭兵経験があり、リテルにとって武器としての斧の使い方を教えてくれる兄貴分。


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