第14話 帰宅

 スマートフォンで目的もなくSNSを眺めていたら、一時間がたとうとしていた。

 ファミリーレストランのボックス席で、感想もなく黙々とフライドポテトをかじっていた蛍は、指先が空振りして初めて皿の中身がなくなっていたことに気付く。


(もうこんな時間か)


 顔を上げると、ピンクっぽい色をした壁に時計がかかっていた。

 もうすぐ十時になる。


 タイミングよくスマホがメッセージを受け取った。

 母親からだ。


『何時くらいに帰るの?』


 数秒、文字列を眺めて。


『ファミレスで課題やってた。今から帰る。十時半には帰ると思う』


 けだるい指でそう返した。

 なにか買い物でも頼むつもりだったのかと思ったが、母からは『はーい』と返事をする猫のスタンプが送られて来ただけだった。


 会計をして、店を出る。

 たったの一時間でも、店内の温かさに慣れた体は、改めての外気に小さく身震みぶるいする。


 まだ冬には早い。

 来月にはもっと寒くなる。


 なるべく無心を心がけて、自転車を走らせる。

 宣言通り、十時半前には家に辿り着けた。リビングダイニングに入ると、エアコンの暖気だんきとコーヒーの香りが迎えてくれる。

 コーヒーの香りは、ダイニングテーブルに向かって家計簿をつけている母、玉緒たまおが飲んでいるものだった。


「おかえり。寒かったでしょ」


 コーヒーの入ったマグカップをかたむけながら、母がカップしに視線をくれる。

 蛍は「まあ」と曖昧あいまいな返事をした。


「おばあちゃんとこ、どう?」

「うーん……まだなんとも言えない。今日は買い出しして、あと仕事の打ち合わせみたいなのに同席した……くらいだし」


 身の回りの世話をする、という言葉が表すようなことは、まださほどできていない。


 二階にある自室に戻ろうとして、蛍は足を止めた。そういえば。


「ねえ。ばあちゃんの仕事って、知ってる?」

「百貨店の?」

「そっちじゃないほう」


 ハリは以前、有名な百貨店でジュエリーショップの販売員をしていたらしい。だが今蛍が話題にしたいのはそれではない。


「ああ。あの……なんだっけ。石のカウンセラーみたいなやつだ」

「そう、それ」


 調石師。

 石のカウンセラーという母親の表現に、なるほどとも思う。

 母、玉緒はテーブルに頬杖をつき、うーんとうなった。


「あんまり詳しいこと知らないんだよね。こう言っちゃ悪いけど、あんまり興味もなかったし。楽器みたいなのを弾いてるのは、何度か見たかな……。ただお母さん、楽器とかより外で体動かしてるほうが好きだからさぁ」


 高校ではバスケ部、大学ではボランティアとキャンプにはまっていたと、前に聞いたことがあった。

 活動的でアウトドアなタイプなのだ。息子の蛍には、その性質は受け継がれなかった。


「おばあちゃんのお仕事、見てきたの?」


 どうだった、と言葉の裏で聞かれている気がして、蛍はさっきの母と同じように唸る。


「よくわかんねぇ。石を預かってるとこは見たけど……」

「ふぅん。そっちも手伝うの?」

「いや、そのつもりは……ないけど」


 ないけど。

 けど。

 断言できない自分に、蛍は自分で戸惑う。


 けど、なんだ。

 あとで考えが変わるかも、と。そういう余白を残しておかないと不安だ。


 不安なだけだろうか。


 今回は、少し違う気がする。


「そういえば蛍が小さいころ、おばあちゃんと一緒にあの楽器弾いてたよね」


 懐かしそうに玉緒が声をはずませた。

 蛍は聞き返す。


「俺が? 石琴せっきん?」

「石琴っていうの、あれ。そうそう。おばあちゃんが、この子には素質があるよーなんて言って喜んでたの、よく覚えてるもの」


 まるでアルバムでもめくっているかのように懐かしがりながら、玉緒は家計簿のページをめくった。


 蛍は少しの間黙っていた。

 石琴を弾いた覚えはない。昨日、ハリに見せてもらったときも思い出せなかった。

 だから全然、ピンとは来ないのだけど……。


(素質……)


 そんなものがあると誰かに言われた覚えなどなくて、母の思い出の中にしかない、記憶違いかもしれない言葉だけど、なんとなく嬉しかった。


 ハリが言ったのなら、そして石琴を弾いての言葉なら、調石師の素質があるという意味だろう。


 だとしたら……もしかしたら、自分にもできるのだろうか。

 例えばハリが今日薦めてくれた、あのブレスレットを……。


 そこまで考えて、蛍は軽く頭を振った。

 なにを考えているんだか。なにを調子に乗っているんだか。


(馬鹿らしい)


 そんなことは思っていないけど、そう思ったことにして、部屋に戻りかばんを置いて風呂に入ることにした。


 だけど頭の片隅には、ベッドで眠りに落ちる寸前まで、あのブレスレットと自分の言葉が引っかかったままだった。


 ――気味が悪い。


 そんなこと、思ってないよと。

 次のハリに会ったらちゃんと言おうと思ったところで、意識が途切れた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る