第3話 彼女はグレーゾーンだった
次の曲が流れはじめると、二人はホールの輪の中に紛れていった。
当然、エウ以外の女子と踊るあてはない。大人しく壁際に下がって飲み物でも貰うかなと考えていると、「ニコ!」と、ロロフィリカに手を取られた。
「踊ろ! 練習の成果を見せてあげるわ!」
「なんだ。ドレス、結局買いに行ったのか」
鮮やかなブルーのドレスの裾を揺らしながら、ロロフィリカが悪戯な笑みを浮かべる。
「事情を話したら、ドレス買っておいでってお小遣いくれたの! どー、似合う?」
「よく似合ってるよ」
ドレスなんか持っていない、いっそのこと制服で出席してやろうか、と嘆いていたのはダンス練習が始まってすぐの頃。確かリディアとそんな話をしながらへなちょこステップを踏んでいた。
が、ダンスの輪の中に入ってみると、ロロフィリカの動きは他の貴族たちと何ら遜色ない。ちょっと前まで俺の爪先を踏んづけて「ギャーゴメン!」と大騒ぎしていたやつとは思えなかった。
「リディアと一緒に買い物に行ったんだけどさ、結局あの子『今年はいいや』って。今日も来てないのよ」
「ああ。聞いてる」
ロロフィリカはぱちくり瞬いた。
「聞いたの?……リディアに?」
「ドレスもないしパートナーもいないからと。イルザーク先生たちと過ごすんだろう」
「そうね、その通り。ついでに貴族組の方々に絡まれるのが面倒くさいって言ってたわよ」
嫌みったらしい言い方に苦笑すると、ロロフィリカは安堵したような表情になった。俺の態度の豹変に一番振り回されたのは、何も知らず、俺ともエウともリディアたちとも仲のいいこいつに違いない。
「今日のニコラは、前までのニコラみたい」
「まるで僕が二人いるような言い方だね」
「だって最近ヘンだったじゃない。やたらリディアたちに突っかかって、デイジーたちとつるんで、ヤな感じだったもの。でも今日のニコラは、あたしの知ってるニコラ」
……ま、その渾身の悪役生活も、あんま意味なかったみたいだけどな。
あいつの読んでいた小説、そしてトラクや金髪美女らの視た未来、そして天海のくじらがニコラ・ロウに下した託宣。
全てを照らし合わせても『魔王は一度復活し、ニコラは魔王側につき、やがてリディアによって魔王が破滅する』という未来が、どう考えたってこの世界の〈最適解〉だ。
その解の道の上にエウフェーミアの死体が転がっていることがわかった。
魔王の復活も自分が敵陣営に行くことも一旦全部放り投げて、それだけは断固許さんとブチ切れたところで、まずは魔王の復活を阻止しなければならない。ただし、できるかぎり〈最適解〉に沿う形で。そう考えたときやっぱり『主人公』リディアの覚醒がどうしても必要だった。
結果、リディアは予定より少し早く魔術を使えるようになり、魔王を斃す鍵となる〈太古の炎の悪魔〉はリディアの感情の爆発に反応することが判明したが、それだけだ。まだまだ救世主となる予兆はない。
せめてあの魔石がリディアの魔力になれば、指輪ももう少し違った作用を見せたかもしれない。
が、結局のところリディアはまだ魔石を遺品のまま持っている。
俺は「ヤなやつ」の汚名を頂いただけである。
骨折り損のくたびれ儲け。
「ヤなやつのくせに……」
あー俺一年間なにやってたんだろー、と遠い目になっていたので、慌ててロロフィリカのほうを見た。
「エウフェーミアのことばっか心配して、いっつも一緒にいて、エウフェーミアのためならサボリも怪我もなんともなくって。呆れちゃうくらい一途で、でもなんでかカッコいいのよね。ムカつくなぁ」
「お褒めの言葉をどうも……?」
キラキラとラメの光る目尻に視線を落とすと、彼女が驚くほど真っ直ぐにこっちを見上げているのがわかった。
「あたし、ちょっとだけニコのこと好きだったよ」
二度、瞬きをするうちに、ロロフィリカはにこっと笑う。
「ごめんね。エウフェーミアに、一曲だけニコラと踊らせてってお願いしたの。だから、トラクを誘ったこと怒っちゃだめだよ」
「……そう、だったのか」
なんと返せばいいのかわからず、そんな凡庸な相槌が零れた。
曲が終盤に近づくと、ロロフィリカは俺の手をぐいぐい引っ張ってダンスの輪から外れていく。
こっちを見ようとしない小さな後ろ頭に、ごめん、と囁いた。
……ごめん。
その言葉を聞くより先に、花束なんかで釘を刺そうとして、ごめんな。
「エウフェーミアが一番大事だ」
「わかってるよぉ。ニコラもエウフェーミアも困るってわかってたのに、黙っとけなくてごめんね。あたし隠し事できないタイプなの」
「ああ。……でも、僕もエウも、そんなロロフィリカが好きだよ」
「ありがと!」
アッシュグレイのおかっぱボブを翻し、彼女は元気よく振り返った。
眦に僅かに浮かんだ涙には気づかないふりをする。
「きっとエウフェーミアにも嫌な思いさせちゃっただろうし、仲直りしてくるね。そしたらそのあと、ちゃんと言ってあげるんだよ、エウフェーミアのこと大事に思ってるって。何を考えているのか、どうしてリディアたちを傷つけるのか……ちゃんと言葉にして」
青いドレスの裾がふわふわと揺れる。ちょうど同じように踊り終えたエウのもとに駆け寄り、顔を寄せ合って、涙を拭いながら微笑み合った。
無神経に近づいていけるはずもなく、そっと見守る俺の隣にトラクが並ぶ。
「……平気?」
俺たちの様子を見て察していたのか、エウから何か聞いたのか。
気遣わしげな声音に俺はまた苦笑して、ひとつだけうなずいた。
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