第九章 悪役と主人公、幾度目かの事件
第1話 明日は槍の雨が降る
相変わらずエウフェーミアに避けられてメンタルべこべこな毎日のなか、事件は起きた。
この日の魔術学ではいまだ発展途上にある応用魔術の理論を学んでいた。
前期では、四大元素〈火〉〈水〉〈風〉〈地〉に加えて、比較的気のいい精霊たちの司る〈花〉や〈光〉魔術を学び実践した。それに対し、後期は普通の魔法でもやや難易度の上がる〈木〉〈影〉魔術、効果が即座にはわかりにくい〈祈り〉〈癒し〉の魔術などを取り扱う。
俺はあんまり物事を深く考えず、魔術学のイリーナ先生が仰る通りに触媒を使って
魔法と魔術の違いについてごちゃごちゃ考えたり、「こんなちょっとの触媒で本当に精霊は力を貸してくれるのか」と一抹でも疑ったりした生徒には、精霊たちの加護は与えられない。とはいえリディアのように爆発することもなかったが。
前期初回の講義で俺を水浸しにしたイリーナ先生は、今日も優しく笑って授業を開始する。
「本日の講義では〈影〉魔術を行います。本来の〈影〉魔法では、陽射しの当たる場所に影を伸ばしたり、逆に影を払ったりすることができます」
この世界でも当然、影とはなんらかの光を物体が遮ることで生まれるものだ。
魔力を献上して、影を司る神、精霊、あるいは精霊未満の御子たちに「ちょっと融通利かせてくれ」とお願いすることで、世界の基本原則に干渉し、事象を書き換える。それが魔法。
「空間転移魔法の前段階として、〈影渡り〉という魔法があります。〈影〉と〈地〉の魔法の組み合わせ、それから魔力変質による身体の事象改変により、地中の影のなかを伝って移動できるという魔法ですね」
すっげぇ魔法使いっぽいけど、身体の事象改変っていうワードが物騒すぎる通り、空間転移魔法というのは失敗例が多い。
魔力を変質させて、肉体の情報を書き換えるわけなので、ちょっとでも魔法の構築にミスがあれば肉体はバラバラになって消え失せる。
空間転移魔法が使える魔法使いは一握りで、現在では〈魔導師〉という称号を与えられるかどうかのボーダーとなるそうだ。俺は怖いからまだいいや。
でもどう考えても、前の世界のことを調べようと思ったら、ましてや異世界に渡ろうなんて考えるとしたら、空間転移魔法は必須だろうな。
……とかモヤモヤ考えているうちにイリーナ先生の説明が終わり、いつも通り触媒が配られて、実践の段階となった。
用意された植木鉢を机の上に置き、魔術を使って影を伸ばす。今日のところはそれだけ。
魔力と杖と祈詞で行使する魔法なら、バルバディアに在籍する魔法使いのタマゴであれば失敗するほうが難しいレベルだが、魔術となるとわけが違う。教室の各所で唸り声が上がった。
「“いと慈悲深き影の御子、加護を与えたまえかし”……」
掌に広げた触媒、本日は乾燥させたカラナシの実が、微風とともに掻き消える。
すると机の上に落ちた植木鉢の影がうにょうにょと動き始めて、植えてある観葉植物の葉っぱの影がみょーんと伸び縮みした。よしよし。
内心フフンと満足しつつ、いつもであればこのくらいで爆発を起こす主人公リディアの後ろ頭を見やる。
〈精霊の
「最近は本当に爆発も小規模になってきてるんだから! 大丈夫シリウス先生にあれだけ教わったんだし!」
「うんまあ、彼の看病に来たんだかリディアの面倒を見に来たんだかよくわからない程度には、たくさん時間を割いてつきあってくれたよね……」
「シリウス先生のいるほうに足を向けて寝られないわ! ルフってどっちかしら!」
こっちの世界に来て初めて聞いたな、その言い回し……。
変なとこでリディアに日本を感じつつ、さてシリウスの教育の結果は、と大人しく見守る。
「“影の御子よ、影の御子、
……お、祈詞を変えたな。
祈詞というのは喪われた古ベルティーナ語である。基本構文はあるものの、ようは隣人たちに「お願い」の内容が伝わればいいというものだ。好きなようにアレンジしたり、節や音程をつけて歌みたいにしたりすることも多い。
成る程確かにリディアはこれまで、基本に忠実な構文しか使っていなかった。
俺としては基本構文が一番簡潔で丁寧だから好んで使うが、この世界出身でないリディアの古ベルティーナ語が若干拙かったのも事実。
リディアの近くの席に座っていた二回生の女子生徒が「うそっ!」と驚きの悲鳴を上げた。
続いてアデルがわなわなと震えながら立ち上がる。
「リ……リディア、きみ……」
「うそぉ。成功した」
あまりにもサラリとリディアが言うので、思わず聞き流しそうになってしまった。
「えっ」
「ええっ!?」
「リディアさんが成功した!?」
……え、成功したの?
そういえば祝詞を言い終わったのに爆発していないぞ?
「キャ──! ニコラ・ロウ、見てこれ! ねえ! シリウス先生にちゃんと報告してね!!」
がたたたっとやかましい音をたてながら立ち上がったリディアは、机の上の植木鉢が俺に見えるように避ける。近辺の生徒の「嘘だろ信じられない」という表情からも嘘ではなさそうなので、俺は恐る恐る、なんなら杖も構えて近寄った。
油断してはいけない。時間差で爆発するかもしれない。
「成功したって言ってんでしょ! 時間差で爆発なんて器用な真似できないわよ!」
「いや、きみと同じ授業のときは常に爆発を警戒する癖がついていて、つい」
こんなときでも嫌味を忘れない俺。
覗き込んだ植木鉢の影は確かに、うにょうにょ、みょーん、と不規則に伸び縮みしていた。
師イルザークに拾われてからというものずっと一緒にいたはずのアデルさえ、「夢かもしれない」「ジャン助けて」「先生……」と白い頬を紅潮させている。執拗に爆発するリディアの魔術を間近で見続けてきた彼の衝撃たるや、教室中の生徒たちの驚きを軽く上回って余りあるのだろう。
あまりの事態に生徒たちは絶句していた。
当然である。バルバディア史上初〈只人〉の入学生、しかも片方は魔術を使おうとするたびに爆発を起こすぽんこつ爆発魔、学校中が「なんでこいつが入学できたんだ」と一度は疑問に思うほどの問題児が、ここにきて初めての成功。
バルバディア史に残る歴史的快挙である──いや快挙は嘘だな。
ともかく、それほどのことが起きたのだ。
俺は生徒たちの──もしかしたらイリーナ先生も──考えを代弁して口を開いた。
「なんてことだ。明日は槍の雨が降るのか……!?」
「きぃぃぃムカつく!!」
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