33.赤坂会戦・1274.1021 その1
重く垂れ込めた濃灰色の雲から弱々しい明かりが地に届く。
泥濘でぬかるんだ大地――
赤坂と呼ばれる地だった。
潮の匂いの混ざった風が草笛のような音を奏でる。
湿った風。
疎林の枝間を吹きぬけ、どこかへ行く。
焔のような色をした長い髪が風の中を舞った。
艶かしく鮮烈な緋色の髪をした女。
蒙古・高麗軍の特殊部隊ともいえる存在。その長である。
美麗であるが、この女を前にして勃つ男はいないのではないか。
そう思わせる異様な空気を身にまとった女だった。
人形めいた顔からは一切の感情がよみとれない。
ぬめるような白い肌は猛毒を持った白蛇を思わせた。
「戦は終わりか……」
風音の中に溶けてしまうような声。
負けるより勝つほうがいいだろうくらいには思っていた。が、それ以上の興味は無い。
ただ、やるべきことをやる。
殺す。殺す。殺す。もっと殺す。
倭の兵を殺す仕掛けを作った。
配下の者どもがそのために動いた。
勝敗には興味は無い。が、純粋に死を見たかった。
人が死んでいく様をみるのはこの上なく気持良いことであった。
決してその快感を顔に出すことは無い。
ただ、腹の奥底から湧き上がる痺れるような快感は好ましかった。
「仕掛けは終わりました」
「そうか」
配下の者の報告を聞き、答える。
仕掛けというのは、簡単なものであった。
『てつはう』を泥濘の続く地の限られた乾いた場所に埋める。
その上に、火縄を差し込んだ竹を置く。
火縄はゆっくりと燃焼している。
もし――
馬であれ、人であれその上を踏み抜けば、竹は割れる。
割れた竹の中から火縄は露出し『てつはう』に着火する。
いってみれば『地雷』のようなものだった。
大陸においては、火薬の発明からほどなく戦場で使用されることになった仕掛けだ。
一撃で人馬を殺すほどの威力は無い。
しかし、地の爆発は混乱を生み出す。
その混乱は死を生み出す。
戦場は、ちょっとしたことが全て死につながるのだ。
異常なまでに獰猛で、狂気に染まった殺戮の権化である倭の武士であるからこそ、死はその近くにあるともいえた。
赤坂の地は湿地帯ともいえる。
足場は極めて悪い。
騎馬による移動は困難であり、乾いた地を選び進んでくるであろうことは簡単に予測できた。
後は、彼らが死地に突っ込んでくるのを待つだけだった。
◇◇◇◇◇◇
「ああああ、来た、奴らが来た……」
身を隠すには頼りない茂みの中。
泥濘の中に身を潜め、高麗兵の男は言った。
極彩色の旗が揺れている。奴らの旗だ。
倭兵たちの旗だ。
蹄の音、
空を覆う灰色の雲――
曇天の下の淀んだ空気が、鮮明で鮮烈で明らかすぎるほどの殺意に染まっていく。
極彩色の殺意だ。
空気そのものが、身に突き立つ刃になったかのようだった。
槍を握る手が震える。
倭兵たちの雄叫びは大音声となってきった。
赤坂と呼ばれる地が震えている。
大地が揺れているような気がした。
泥濘の地を往く死神の群れだ。
抗うすべなどあるようには思えなかった。
(突っ込むのか? あれに? あいつらに……)
口の中が乾く。
舌がつばを求め口の中を彷徨う。
つばを搾り出し、飲み込んだ。
その時だった。
爆発音が響いた。
◇◇◇◇◇◇
鎌倉武士団の博多周辺の兵力は五万を超えた。
赤坂に向け進軍する兵力は、筥崎に展開した二万五千を超える兵力を中心とした物であった。
鎮西奉行の少弐景資を現地指揮官とする軍勢である。
少弐氏とライバル関係にあった大友氏も軍勢に加わっていた。
更に、九州全土の有力な御家人。島津、原田、臼杵、紀伊も馳せ集まっていた。
それだけではない。
執権・北条時宗の命により本来は鎌倉幕府支配下にない非御家人までも軍勢に加わっていた。
神社、仏寺に従う武士、その武装勢力だ。
当時の複数の一級史料がその規模を書き記している。
「なんだぁぁ! なにが起きたぁ!」
少弐景資が声を上げる。
爆発の音、馬の
行軍が乱れた。
「夷敵! 夷敵の攻撃です!」
「なに?」
少弐景資は馬鹿ではない。
馬鹿に大軍の指揮官を任せるほど、少弐家は平和ボケしてはいない。
何か失態があれば、有力な競争相手である大友家につけ込まれ、幕府内での地位を失う。
いや、失うどころか「
「どのような敵か!」
「それは……」
大地がいきなり爆発したのだ。
それを目撃した者であっても、何が起きたのか、いったい何故起きたのか、どのような種類の攻撃なのか。
それを理解することなど出来なかっただろう。
鎌倉武士団の常識を超えた想定の外側からの攻撃であった。
血まみれになった馬。
轟音に暴れる馬。
落馬し、泥濘に叩きつけられる武士。
死傷という意味での被害は少なかったが、生じた混乱は決して小さくはなかった。
「進め! 蹴散らせ! 邪魔な物は蹴散らせ!」
「応!」
とにかく進むこと。
進撃すること。
生じた混乱は圧倒的な数で踏み潰す。
味方であろうが、なんであろうが関係なかった。
そもそも、邪魔なものは邪魔なのだ。
重装騎馬弓兵の集団は、蹄を鳴らし脱落した「味方だった物」を蹴散らし進む。
「殺せ! 全て殺せぇ! 我等が前に立ちはだかる全ての者どもに滅びを!」
少弐景資は太刀を天に突き上げ激を飛ばす。
まるで天そのものを滅せと言うかのように。
◇◇◇◇◇◇
唐突に――
それは、虚をついていていた。
少弐景資が先行し、その後続の武士団が狙われたのだ。
茂みに潜んでいた高麗兵の突撃であった。
銅鑼の音が狂ったように打ち鳴らされ、甲高い叫びに混ざり合う。
戎衣に包まれた兵がわらわらと湧き出し騎馬集団の側面を突いてきたのだ。
兵団の側面、最も外側を進軍する集団に槍兵が突っ込んで来た。
狂気を孕んだ異国人の絶叫が、鋭い切っ先を伴って突撃を敢行した。
爆発の混乱と完全な同調が出来なかったのは錬度不足であったといえる。
が、それでも十分に鎌倉武士団の虚を突いた。
「射て!」
側面を攻撃された御家人の立ち直りは早かったが、すでに距離は詰まっている。
放たれた矢は確実に高麗兵を貫いた。
眼球を打ち抜かれ、後頭に征矢の鋼の光りを伴い、後方にふっとばされる兵。
戎衣につつまれた胴のど真ん中をぶち抜かれ、何が起きたのか分からず、そのまま泥濘に突っ込む兵。
身体に何本もの矢が突き刺さり、断末魔の痙攣を泥濘に伝えている兵もいる。
殺戮の空間がそこに出現し、血しぶきで世界が染まっていく。
それでも――
それでも、死の覚悟を超え、生も死もその意味も分別もつかなくなった高麗兵は突っ込んで来た。
ただ、目の前の存在に槍を突き立てることだけが目的の機械のようになっていた。
戦場全体を見れば、兵力差は圧倒的だった。
鎌倉武士団の数は暴力的とまでいえるものだ。
しかし、側面攻撃を受けた限定された場所では、高麗兵が局地的な数的優位を示した。
鎌倉武士団は、矢をつがえ、連射する。
次々と射ぬかれ、彼岸へと送り込まれる高麗兵。
が、矢の途切れた間に斃れた兵を踏み越る。
血と泥の混ざった飛沫を飛ばす。
高麗兵は、距離を詰める。
「がはぁぁぁ!!」
高麗兵の槍が騎馬を護衛する徒歩兵の肉を貫いた。
が――
刃を抜いた鎌倉武士団も反撃を開始する。
矢による遠隔戦闘から、近接戦闘ともいえる状況に転じた。
鎌倉武士団の持つ弓以外の兇悪な武器。
太刀――
その刃が抜かれた。
鎌倉時代――
その姿を完成させた「日本刀」という兇悪な刃物が殺意のきらめきを放った。
血に染まった灰色の空間の中に、鋼の狂気が露となった。
「ぎゃぁぁぁ!」
直線的な槍の突撃をかわし、太刀が高麗兵の脳天に叩き込まれる。
頭蓋を斜めに切り裂かれた。
脳漿をぶちまけ、そのまま倒れる。
零れ落ちた脳髄が泥に塗れ、踏みにじられる。
訓練が十分でない高麗兵の突撃は、近接戦闘になり崩れる。
いや、軍が壊滅するというよりは、屠殺とも評すべき、殺戮が繰り広げられるだけだった。
向かって来る者は殺された。
逃げる者も殺された。
人間という存在が鋼により切断され、
平安時代後期から鎌倉時代にかけ「斬る」ということに特化し進化してきた日本刀の威力が発揮されていた。
その狂気を孕んだ弓なりの湾曲は、肉体を切断することに対する物理的な合理性を持った物だ。
鎌倉時代の剣法を「ただ殴りつけるだけ」と評した文献もある。
が、人間の腕の構造上、殴りつける運動すら肩関節を中心とした円運動にならざるを得ない。
だからこそ、直刀ではなく刃が斜めに当たり、力学的な抗力が腕に伝わらぬように湾曲しているのだ。
また、騎馬での戦闘という状況からも、直刀は運用が難しい武器となっている。
突き刺さった剣は容易に肉からは抜けないのだ。
だから斬る。
斬って殺す。
一撃で、一瞬で切り殺す。
日本刀はそのために進化し、その形を作った。
恐るべき殺傷力は、今高麗兵が存分に味わっていた。
兇悪な刃の殺戮は、高麗兵を皆殺しにするまで終わりそうになかった。
しかし――
そのとき、鎌倉武士団の前方は、空を被いつくすような矢の
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