31.百道原・反抗上陸

「なんという奴等だ――」


 金方慶きんほうけいは震える声を絞り出していた。

 倭兵との戦――

 同じ人間と戦っているいる気がしなかった。

 矢をいくら放っても引くことを知らない。

 野獣のような咆哮を上げ、騎馬で突撃してくる。

 馬上から放たれる矢は、強力で盾でも防ぐことが難しい。


 更にだ――

 接近戦になれば、異様に斬れる剣を振り回してくる。

 訓練の行き届いていない俄仕立ての高麗兵では対抗は不可能だった。


(対馬、壱岐で気づいていたことであるが……)


 島嶼で逃げ場の無い倭兵が死に狂って戦ったという特例ではない。

 奴らはいつもこうなのだ。いつも狂って、死を恐れぬ鬼のごとき存在なのだ。


 蒙古軍――

 正確を期すならば、高麗軍である。

 金方慶は、高麗軍を指揮し今津海岸に上陸。赤坂へ侵攻した。

 そこで、鎌倉武士団と衝突した。

 一方的な敗北だった。

 麁原山そはらやまでなんとか陣を再編。

 しかし、そこでも鎌倉武士(白石通泰)の攻撃を受け壊走した。

 

 合浦を出航した時点で五六〇〇以上いた高麗兵は、すでに三五〇〇人を切るか、という人数になっていた。

 損耗率で三七.五パーセントと、近代軍でいう「全滅継戦能力を失う損失」を超えている。


奴ら倭軍が、追撃をしてこなかったのが幸いか……」


 麁原山の高地(より西側)に再び陣を形成する。

 ぬかるむ干潟を超え、渡河し日本軍鎌倉武士団と距離を空ける。

 逃亡兵はいなかった。

 言葉も通じぬ異国の地であり、逃亡は死と同じ意味だったからだろう。

 生き残りたければ、軍に残り戦い続けるしかない。


(日が沈む前であれば、可能であるか)


 金方慶は考える。

 自軍が放った矢の回収だ。

 合わせて、戦死者の身につけていた矢を回収する。

 倭の矢は長すぎて、蒙古の短弓では使うことができない。

 金方慶は一部の部隊を矢の回収に向かわせた。


 矢の消耗が激しかった。

 予想していたことだ。

 矢の備蓄が少ない。おそらく、橋頭堡のある鷹島にもさほど備蓄はないのではないかと金方慶は思う。

 糧食はまだどうにかなる。

 戦死者の数が多いことが、逆に幸いしているといえた。

 だが、矢の数が話にならない。

 博多湾まで進撃し、博多、大宰府まで一日の行軍で突破できる距離にある。

 なにも抵抗がなければの話だ――


「とてもではないが、進めるものではない」


 誰に語るという風でもなく、金方慶は言った。


洪茶丘こうちゃきゅうの奴がいつ来るのか? 奴ら矢を持ってきているのだろうな――)


 これまでの尖兵としての厳しい戦いを金方慶は思う。

 売国奴で大嫌いな洪茶丘であるが、戦場であるならば味方である。

 金方慶は、簡易に書かれた地図を見る。

 増援軍はこの先の海岸「百道原」に上陸する手はずになっていた。

 その先――

 博多、大宰府が記されている。地図の上では指で計れる程しか離れていない。

 が――

 金方慶には、千里も先の道のりのように思えた。


        ◇◇◇◇◇◇ 


 国防省戦史研究室が編纂した「元寇<2> 赤坂・麁原山戦」によると、この時点での元・高麗軍の兵站は完全に破綻していた。

 主力武器である「矢」の数量が全く足りていなかったのだ。

 この点、金方慶の予測は極めて正しく、またその対応も評価できるものであった。

 高麗史「金方慶伝」にあるように、彼は優れた指揮官であったのは事実であろう。

 矢の回収により、高麗軍は継戦能力をある程度息できることができた。

 ただ、この行動も後の軍全体の決断によって意味のないものとなってしまう。

 一方、日本軍鎌倉武士団も、あまりにも慎重になりすぎた。

 沼地、湿地が多く、騎馬の機動に適さない地であることから、決戦ラインを赤坂よりも博多よりに設定したのは、指揮官・少弐景資の判断であった。

 しかし、指揮官の判断に完全に従い、指揮される近代軍隊と中世の傭兵的軍隊は完全に違ったものである。


 御家人毎の独断専行が許され、御家人たちは武功を上げればいいという考えに支配されている。だからこそ、竹崎李長の「先駆け」も許されたのだ。

 また、御家人は普段は土地を争う敵同士といってもいい存在であり、競争相手となる御家人の失態は歓迎すべきことだった。

 家ごとの集団戦は可能であり、それで十分に戦闘能力を発揮できた。

 が――

 御家人がバラバラであるという問題は、鎌倉武士政権中枢にとっては、中々頭の痛い問題ではあった。

 このため、文永の役に続く、弘安の役では博多湾に石積みの防塁が造られる。

 主な目的は、異なる家の御家人を集団運用するための仕掛ハードであった。


        ◇◇◇◇◇◇


「倭猿など一気に蹴散らしてくれるわ」


 蒙古軍・主力が鷹島より、西へ移動している。

 軍船、抜都魯バートルに載せた兵力は一万二〇〇〇を超えた。

 大軍ではあるが、その分だけ上陸に時間がかかるということだ。

 

 全軍指揮官であるキント、副元帥であり勇猛な武人・劉復享りゅうふうりょうの軍もいる。

 個々の兵士の能力も高麗軍とは比較にならぬはずであった。


(全く、湿地、干潟が多いからなどど、しり込みよって、あのドジョウ髭が)


 金方慶が洪茶丘を嫌いなように、洪茶丘も金方慶が大嫌いであった。

 己が捨てた高麗をいまだに背負っているような――

 己が愛国者であるかのようなつらが気に入らなかった。

 当初は、金方慶の軍も博多に近い百道原の海岸に上陸する予定だった。

 それが、上陸に適さない湿地が多いといい、変更させたのだ。

 全軍指揮官・キントが受け入れたので洪茶丘にもどうにもできなかった。

 

 日が暮れていく――

 冬の海が血を流されたような色に変わっていく。

 空もその色に染まり、死を想起させる色彩へと変わり海と混ざり合う。

 

 そして、陽は完全に沈み、残照も闇に食われていく。


「上陸開始!」


 ドロドロとした銅鑼の音が響き、漆黒の海を抜都魯バートルが進む。

 夜間上陸の開始であった。


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