6.むくり、こくりと闇が来た

 海岸には死が積み上がっていた。

 ぬめるような血と腐った泥のようなはらわたの匂いが浜風に混じり流れていく。

 西に傾き海の色を赤く染めていた陽はすでに沈んでいた。

 冬の迫った夜天には刃に似た月があった。

 青白い光で波打ち際を照らし出す。

 無数の抜都魯バートルが、留め置かれていた。


(これが、勝利か?)


 金方慶きん ほうけいは、思う。

 高麗の軍人として数々の戦功を上げた百戦錬磨の老将である。

 まだ消え行くような存在ではない。


(骸の山ではないか…… 倭兵とはこれほどまでに……)


 金方慶の視界には地獄が映し出されている。

 尖兵として兵を引き抜かれた高麗軍の被害は、目を覆うばかりだった。

 確定した数字ではないが、死者は一〇〇〇を超えている。

 上陸戦に参加した兵の三分の一が殺された。

 戦闘不能の負傷者は同じ位の数がいた。


 倭兵は撤退し、海岸に拠点を築くことは出来た。

 補給も可能な状況になったと判断もできる。


 それでも、これは「勝利なのか?」と金方慶は思わざるを得ない。


 金方慶は、戦闘時には船にとどめ置かれた。

 上陸戦の指揮をとったのは洪茶丘こうちゃきゅうであった。


(あの、裏切り者めが)


 虐殺されたといってもいい高麗兵の被害。その怨嗟えんさの念は、倭兵よりも、洪茶丘に向かっていた。高麗を早々に裏切り蒙古についた男だ。

 奴の無能な指揮、高麗兵を消耗品として扱った用兵がこの結果を招いたのだと思う。


 しかし――

 金方慶はその憎悪が凝固していくのを感じていた。日本人の言葉にはしにくい感情に変質していく。いわゆる「はん」というものであったのだろうか。

 

(吾も大差ないのではないのか?)


 と、金方慶は思う。今では自分も蒙古の手先であり、高麗の民を死地に送り込む存在である。早いか遅いかの差でしかない。


 彼は頭を振った。兜のせいで頭が重いのだろう。


「急げ、水汲みは上流まで行くのだ。下流の水は保ちが悪い」


 道を照らす松明が、その暗い姿を闇に浮き上がらせていた。

 葬列を思わせる高麗兵の長い列が佐須川に沿って進む――

 空であっても肩に食い込む重さの天秤棒を担いでいた。


 四万の軍勢と、数百頭の軍馬が消費する水は膨大だ。

 人は一日二リットルの水を消費する。重さにして二キログラム。

 四万人分であれば、一日の消費量は八万キログラムだ。

 これは人間だけでだ。

 軍馬の分、その他もろもろの余裕を考えれば、補給量はもっと大きくなる。

 これを五百人の高麗兵で行う場合、ひとりが五十キログラムを可搬できたとしても、水源と水補給専門の船まで、四往復しなければいけない。

 夜間では、さらに作業が遅れるだろう。

 上流へ行けばいくほど、足場も悪くなる。

 本来であれば、水の補給作業は昼間やりたい。


 が、倭兵の激しい攻撃を考えると、夜間に動かざるを得なかった。

 昼間は遠方から矢の攻撃を受けかねない。

 

(倭兵の弓は強力だというが……)


 兵たちの言葉を信じないわけではないが、倭という文明も文化も劣った蛮族がそのような優れた弓矢を持つのであろうか?

 と、思う。中世の高麗人とすれば、極めて常識的な思考だ。


 金方慶の思考は続く、倭の用兵がどのようなものであるかは知らない。

 が――

 夜襲の可能性はあるだろうと思う。無いと思って攻撃を受けるより、有ると思った方がいい。

 そして、狙われるとすれば――


(こちらではなく、奴らだろう)


 と、金方慶は「奴ら」に目を向けた。


 戦勝に浮かれる味方と定義されている兵たちだった。

 

 浜辺には橋頭堡が作られ、軍指揮官の天幕パオも設営されていた。

 兵たちの陣も張られている。夜襲に備え、盾が並べられ警戒の兵もいる。

 しかし、その数は多いとはいえない。


 獲物としての見栄えは、あちらの方がずっと上等だ。


(この戦、面倒なものになるであろうな)


 金方慶は、以前より持っていた思いを更に強くするのであった。


        ◇◇◇◇◇◇


 海岸には、焚き火が随所に見えていた。

 戎衣に身を包んだ男たちが火の回りに座っていた。

 焔のせいなのか、返り血のせいなのか、戎衣は赤く染まっている。


「いつまで、この島にいられるんだ?」

「狭い船の中じゃやってられねぇ、ずっといてぇくらいだ」

「ちげぇねぇや」


 男たちが発したのはこの国の言葉ではない。

 高麗語であった。


「その肉の味はどうだい」


 焼いた肉にかぶりついていた男は口の中で肉をかみ締めると「うめぇよ」と答えた。

 合浦から2日間、糞溜めのような船の中で、腐った水と兵糧しか口にしていないのだ。

 肉の美味さは格別だった。


「旨いか? 何の肉だか知ってるか」

「ああ、馬のもも肉だろ」


 ひゃはははははと、大きな笑い声が響いた。

 その声に目を丸くする男。


「そいつは、あの肉だぜ。倭奴ウェノムの肉だよ」

「あぁぁぁ!!」


 男は自分のかぶりついていた肉をみやった。


「へ、へ、へ、へ、別に馬とかわりゃしねぇよ」

「きひひひ、旨ければどうでもいいだろう」

「そうだぜ。船の中の腐った飯よりずっとマシだかなぁ」


 周囲の男たちは腹を抱えて笑う。

 肉を食っていた高麗兵は喉を押さえ、反吐を吐こうとした。


「バカ、嘘に決まってんだろ。吐くな! アホウ! 嘘だよ、馬だ、馬の肉だ」

倭奴ウェノムの肉なんか持ってくるわけねーだろ」


 男は「おぇぇぇ」と嘔吐えずくくのをようやく止めると、顔を上げた。

 

「本当だろうな?」

「ああ、兄弟、うそじゃねえよ。馬だ。馬の肉だよ」

「じゃあ、オマエも食えよ」

「……ああ……」


 差し出された肉を男はゆっくりと見つめ、喉を鳴らす。


「ひひひひ、馬だろうが倭人だろうが変わらんぜ」


 そう言って、男は肉にかぶりつき、もしゃもしゃと咀嚼する。

 周囲では下卑た笑い声が上がり、盛り上がっていく。

 手拍子で「もっと食え」と煽る男たち。


 狂気の宴であった。

 高麗から、訳も分からず倭に連れて来られた貧民の群れ。

 それが高麗兵の正体である。

 戦乱で国内は荒れ放題であり、ただ生きているだけでも奇跡のような地獄の底辺を這いずる者たちだ。

 基本、口に入るものであれば何でも食っていたのだ。今更、選り好みなどするわけがない。


 殺戮と略奪は戦闘に参加した者の褒美である。

 十三世紀の中世と呼ばれる時代。

 戦争においての略奪、殺戮は兵たちの権利として存在していた。

 洋の東西を問わず当たり前のものであった。


 対馬の戦闘においても、蒙古、高麗兵の略奪は行われた。

 特に尖兵として送り込まれた高麗兵の略奪は凄まじかった。

 貧しく抑圧された存在が、ろくな軍規もなく戦場に投入されたのだから当たり前である。

 

 佐須浦周辺にはいくつかの漁村が存在していた。

 現代、文化財となっている「石板」で屋根が作られた高床式倉庫を持つ椎根も、この時代から人が住む村であった。そして、村であるから略奪と殺戮の洗礼を受けた。


 鎌倉時代は、言ってしまえば究極の「自己責任」の時代だ。

 国家の安全保障システムなど頼れない。

 自分を守るのは自分だけという時代であり、それゆえ村であっても武装はしている。


 ただ戦うことを正業としているほどの、鎌倉武士ほどの戦闘力を期待するのは酷であろう。

 男たちは、圧倒的な数と暴力に圧倒され、殺される。

 女、子どもは貴重な奴婢として確保される。

 女、子どもは戦争で得られる最大の成果物だった。


 捕虜となった女、子どもは切った木の枝に揃って縛られていた。

 陵辱された女も少なくない。


「しかし、倭の女は具合はいいんだが強暴だぜ」


 そう言って肉ごと削がれた腕をみせつける高麗兵。


「どうしたんだ、その腕は?」

「倭の女に食いちぎられた」

「女は?」

「頭きたんで、ぶち殺した。腹をブッ割いて、子袋を握りながら犯してやったぜ! ひひひひ」

「ああ、いいなその犯し方」

「バカ、やめとけ倭の女はこえぇぇぞ、目玉に指突っ込まれた奴が何人かいたらしい」

「あぁぁ、本当かよぉぉ」

「ああ、奴ら兵も狂って兇悪だがよぉ、女も大概だ……」


 その話を聞いていた男は振り返った。

 木に繋がれ、縛られた女――

 偶然、目があった。地獄の鬼のような目でこちらを見ていた。

 焔の灯りが、その表情の恐ろしさを際立てる。


(やばいな、こいつら……)


 とにかく、なにもかも兇悪で歪んでいる、悪鬼羅刹、修羅の棲む国だ――

 昼の戦闘を思い、高麗兵の男は身の内に震えを感じた。

 果たして、この先、自分は生きて帰れるのか?

 宴の昂奮が急速に冷めていった。


        ◇◇◇◇◇◇


 三人は、緑の闇の中に潜んでいた。

 

「宋助国の兵は、厳原の国府に向かったのか?」


 周囲の闇よりも暗い目をした男が言った。

 虎猿だった。


「そう。国府で陣容を整える気じゃないかな」


 歩き巫女姿の伊乃が長い髪の先を弄りながら答える。


「夜襲はぜずかい。ま、吾らにも都合がよいが」


 破戒が言った。僧形であるが、どうにも悟りからは程遠い脂っこさを感じさせる者だ。


「高麗の言葉なら大丈夫か?」

「ああ、ワシはこれでも教養溢れとるからな、漢語も自在よ」


 破戒は身に纏った得たいの知れない雰囲気とは異なり、幼少よりあらゆる経典を読んできた。

 今は、銭で動く者となっていたが、元々は「覚者」となることを望み、その位置に立つことを試みた者だった。語学に関する知識は本物であった。



「であれば、高麗兵、ひとり分捕ってくるか」

「あはは、しゃべれる首はいないと思うよ」

「生きたまま、捕らえる」


 伊乃の揶揄するような言葉にも硬い言葉で答えた。

 

 夜光はあるが、闇の濃度は高い。

 六尺を超える虎猿は気配を絶った。

 闇が闇の存在を包み込む。

 その兇悪な存在がやみに溶け込み、虚ろな闇がそこに残った。


 虎猿は、蒙古、高麗の宿営地に向け一歩を踏み出した。

 その一歩も闇の色であった。

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