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 ちょっとだけ眠った。ババアのお通夜は、午後六時ぐらいに聖堂に入ればいいと聴いていたが、行く場所はなかったし、することもなかったので、昼過ぎに温泉街のおそば屋さんでざるそばを食べ、歩いて聖堂に向かった。聖堂は小高い山の頂上近くにあるため、長い階段を上がらないといけない。夏らしい、太陽がぎらぎらに輝く暑い日だった。ユダは京都と同じく盆地にあるらしく、むしむしとした熱気が地面からも立ちのぼる。道のほとんどは木陰だったのが幸いではあったけれど、サウナに入っているかのように汗が噴き出し、鼻の頭に水の球を作った。三十分ぐらい坂を上がっただろうか。あたしは女優活動のためふだんから身体を鍛えているので、このぐらいではへこたれない。智子と恵子もインドアな仕事のわりに鈍ってはいないようで、誰ひとり息を切らすことなく早足で聖堂に辿り着いた。

 山を切り開いた平地に立っているのが聖堂だった。看板によれば、竣工は1950年かそこらだったが、一度火災で燃え落ちたらしく、いまの聖堂は築二十年ほどしか経っていないそうだ。いかにもカトリックらしかったという元の聖堂とは異なり、改築後の聖堂は正面からみると屋根がアシンメトリーという斬新な設計になっている。聖堂の象徴である二本の尖塔は色や造りこそ変わったものの、あいかわらずユダのどこからでも見通せる町のシンボルなようだ。木立に囲まれているため、聖堂自体は山のふもとからは見えない。同じように、聖堂からユダの町並みは見えなかった。周りから隔絶された、秘められたような場所がユダの聖堂だった。

 聖堂の前には広い芝生が広がっており、その手前にわずかな駐車場がある。停まっている車はなかった。その奥に屋外のトイレ。芝生の両側にアスファルトの道が聖堂まで通じている。道の脇には売店と、ちいさな泉をたたえた祠があった。売店では信者のためのグッズを売っているようだったが、この日は閉まっていた。祠を見つけた恵子が、

「あ、これ、美子の泉やん」

 と呟いた。日本の教会や聖堂にはよくある「ルルドの泉」である。京都の教会にも同じぐらいささやかなものが造られていた。ルルドはフランスの聖女、ベルナデッタ・スビルーの生地である。

「へえ、恵子、よく覚えてたね。あたしの洗礼名がベルナデッタだって」

 久しぶりに自分の洗礼名を口にすると、気恥ずかしいような、罪深いような、妙な気持ちになる。あたしにも少しは信仰心のようなものがあっただろうか。ババアに連れられて京都の教会のミサにはよく行った。お菓子をもらえるのと友だちに会えるのはうれしかった。それと、教会に行く日はババアは決して怒らなかったから、そのことがいちばんうれしかったかもしれない。ババアが怒らない、そのことだけで、あたしは神様をありがたいと思っていた。

「智子さんの洗礼名も覚えてるよ。マリアやがな。昔から思てたけど、智子さんに全然おうてへんな」

 恵子がそう軽口を叩く。智子もいつもならきつい口調で言い返すのだが、この日は神妙な口調で、

「『神様の葬式』やったときも、マリア役は美子だったもんね」

 と言った。

「なつかしいやん」

 恵子は冗談じみていた声色を整え、めずらしく反省したときのいじらしい口調で言った。恵子は智子とケンカしても、ババアに怒られても、反省なんかしない。恵子が反省するのは「いい小説が書けなかったとき」だけだ。恵子は中学三年間で小説の新人賞に挑戦し、ことごとく落ちている。最初の一年か二年は大衆小説とかライトノベルの賞に投稿し、ひとつも一次通過すらしなかった。三年目に初めて純文学の賞で二次通過して、その次、高校に入って初めて書いた小説で商業デビューした。賞に落ちるたび、恵子は「美子のこと書いたのに、通れへんくてごめんなあ」と独特の口調であたしに謝ってきた。落ちたあとはこれが一週間ぐらい続き、顔を合わせるたびに恵子は何度もあたしに頭を下げた。あたしについて書いたことを反省した時は一度もなく、いつも賞に落ちたことだけを反省していた。それはもしかしたら、あたしについて書けなかったことを反省していたのかもしれない、と思ったから、あたしは怒らなかった。

 「神様の葬式」は、恵子が商業デビューした小説であり、恵子が高校の文化祭用に初めて書いた戯曲でもある。正確には戯曲が先で、演劇が終わったあと、それを演じる女子たちの姿を描いたものが小説として投稿され、年末ぐらいに受賞が告げられた。演劇版「神様の葬式」の主演はあたしで、マリア役だった。舞台装置は智子が取り仕切ってくれた。九月の初め、高校の、ひどく蒸し暑い体育館のなかで、焼けるようなスポットライトを浴びながら演じたあの「神様の葬式」は印象深い。あの作品で恵子はデビューしたのだし、あたしがアイドルとしてデビューしたのもほぼ同じ時期だ。智子が全国模試でダントツの一位を取ったのもこの時期だったはずだ。

 聖書によれば、誰もが知っているとおり、ヤスさんは十字架に磔にされたうえでいったん殺された、というストーリーになっている。「神様の葬式」はいわゆるこれの転生版で、人生をやり直すことになったヤスさんが、過去のまちがった選択肢(という言い方も不敬だが)をただしく行った結果、磔にされることなく、十二使徒に葬式で見送られる……という、カトリック信徒から見れば噴飯ものと言われてもおかしくないストーリーだった。実際、上演したあと観覧に訪れていた父兄から多くクレームが入ったらしいし、そうでなくともシスターにはひどく怒られた。それでも友だちからの評判はすごくよかったし、あたしやあたしたちにとっては青春どまんなかのいい思い出だ。あの作品で、初めて恵子はあたしのことが書けたし、あたしは初めてあたしを演じることができたし、智子もあたしのことを助けてくれた。あの作品は三姉妹が力を合わせた最初の機会で、最後の機会で、あたしたちの原点だった。

 「神様の葬式」の演劇はババアも見てくれたらしい。観覧席のいちばん後ろにいたよ、と友だちが教えてくれた。けれど、ババアは褒めてくれなかったし、怒ってもくれなかったし、その後、一言も触れなかった。「神様の葬式」をどう思ったのか、ババアに訊きたかったけれど、その機会はないままババアは死んでしまった。

「いうてうちの洗礼名もマリア・マグダレナや。たいがい似おうてへん」

 恵子は照れ隠しのように笑ってそう言うと、聖堂に向かい先を歩いた。あたしと智子は慌てて恵子を追いかけた。

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