第27話 不自然

     ◆


 もし、と声をかけられてそちらを見ると、明かりを持った少女が立っていた。下女にしては身なりが立派だが、遊女の誰かの連れ添いだろうか。

「スマ様という方を探しております。スマ様でしょうか」

「はい、そうですが」

「マサエイ様がお話をしたいと仰せです」

 マサエイ様が? 思わずリイの方を見るが、彼も驚いているようだ。

「なぜここにいることをご存知なのですか?」

「それは存じませんが、スマ様をお探しです。どうぞ、こちらへ」

 仕方なくリイに断って東屋を出るが、「食われるなよ」と彼が小声で言ったのが聞こえた。

 不吉なことを言わないで欲しいものだ。

 屋敷の廊下を歩き、また中庭に出た。無人で、静まり返っているが、その庭に面したふすまが開いている。廊下に光が差している。そこへ向かうようだ。

 少女が中へ入ったので、こちらは礼儀として膝をついて頭を下げた。

「入ってきなさい、スマ殿」

 返事をして中に入る。頭を下げていると、「堅苦しいのは好きではない」としわがれた声が飛んでくる。頭を上げると、マサエイが扇子で肩を叩きながら、嬉しそうに笑っている。

「どこでシユと知り合ったのかな」

 単刀直入そのものの問いかけに、正直に女郎屋で出会ったことを話した。もちろん、ハカリを切ったことも話さずにはいられない。

 領主としては自分が支配している街で狼藉を働かれたのでは、体面に傷がつくだろう。しかしここで誤魔化したところで、それほどの意味はない。いずれは分かることだし、もしくはすでに知っている可能性もある。

 マサエイが今、こうして屋敷にいたこちらの存在を気にかけるとすれば、それは女郎屋での刃傷沙汰から始まるはずだ。そこから手繰ってこちらの兇状に気づいたとするのが、東屋へ人をやった理由にも結びつく。

 こうなっては、マサエイはこちらの動静を詳細に知っていて、間者のようなものを張り付かせているのだ、と思うよりない。

「本当に旅をしているのかな」

 来るだろうと思った質問が投げかけられ、少しだけ冷静になれた。

「旅をしているのは事実です。そしてマサエイ様が危惧されているようなことも、ございません」

「私が何を危惧していると思う?」

「上様の指図で動く間者ではない、ということでございます」

 パチン、パチンと扇子が開かれ、閉じられる。その間は両者ともに、無言。

 ひときわ強く、扇子が閉じられた。

「信じるとしよう。それに、上様の不興を買うとすれば、それは私の落ち度であろう」

 そんなことを呟き、マサエイが気を緩めたからだろう、張り詰めていたものがやわらいだのがはっきりわかった。

「スマ、私が間違っていると思うかな」

「お家のことには詳しくございませんので、何も口にできません」

「噂くらいは知っていよう。タキのこと、そしてイトのことだ」

 口を閉じていると、正直に話して良い、とマサエイが促してくる。

「イト様の行いが、禍根を生んでいると存じます」

 当たり障りのない指摘に、ふむ、とマサエイが頷く。

「タキの身内を殺したことか。そう、あれは誤りであった。誤りであったが、それを止めることができなかった。そして今からそれを補う術はない。死者は蘇らないからだ」

 その時に初めて聞いた苦しげな口調でマサエイは言い、さらに続ける。

「跡取りがどうしても、必要だった。そしてその跡取りに、何かを残したかった」

「人を殺しても、でしょうか」

「安定を求めていたかもしれん。しかしそれが行きすぎた。愚かだっただろう。しかし必要と思っていたのだから、救いがない」

 パチン、と扇子が音を立てて閉じる。

「オリカミ家は滅びると思うか、スマよ」

 リイの言葉が蘇った。

 滅びの時は近いかもしれない。

 きっとマサエイもそれに気づいている。気づいていないのは、マサジくらいのものか。

 マサジはマサエイが残したものを引き継げると思っているし、マサエイが残したものの光が当たる面、輝く部分だけしか彼は見ないだろう。その光に照らされている面の反対側には、真っ黒い影があることに、気づけるとは思えない。

 聡明ではなく、暗愚なのだ。

「不相応なものを持つとは、不幸なことだな、スマよ」

 どう答えることもできないうちに、マサエイが立ち上がり、こちらへ歩み寄ってくる。頭を垂れると、首筋をポンと一度、扇子が打った。

「幸運を祈る、スマ」

 そんな言葉を残して、マサエイは部屋を出て行ってしまった。広間に一人きりになり、どうするべきか考えたが、マサジとその取巻きがシユを解放するまで帰れないのかもしれない。かといって元の中庭に戻り、東屋にリイがまだ待っているとも思えなかった。

 しかしまさか、地下牢の存在を探すわけにもいかない。

 仕方なく広間を出て、軒下に立って中庭を見ていた。

 四角く切り取られた空を見上げれば、月こそ見えないが、星空だった。今日は風も弱い。

 今頃、タルサカとミツはどうしているだろうか。もうヒロテツを葬ったのか。

 ノヤを暗殺する計画を立てていなければいいのだが。

 それでもあの二人がノヤに挑むのは、自然といえば自然。

 自然ではないのは、敵うはずのない相手に、敵わないと知っていながら挑むことだ。

 それは無謀というもの。命を無駄にする行為だ。

 それとも何か、搦め手でノヤを仕留めるのだろうか。

 そのノヤがマサジの命を狙っているのだから、この社会も不自然なものだ。

 しばらくそこに立っていると、女中らしい女がやってきて、「どこかで休まれますか?」と訊ねてきた。確認すると、マサジたちの騒ぎは夜明けまで終わらないらしい。それでも他人の屋敷で部屋を借りて休む気にもなれず、お構いなく、というしかなかった。

 お構いなくも何も、こんなところに突っ立っているのでは、不自然だろうが。

 それでもやることもなく、立ったり座ったりしながら、夜空が明るくなっていく様を見ていた。

 空が群青から薄い青に変わった時に、シユがやってきて、「帰りましょう」と言ったが、彼女は明らかに憔悴していた。

 その精彩を欠く顔でこちらを見て、

「お疲れですね」

 などというのだから、人間が自分の顔を自分で見れないのは、笑いを誘う事実だ。

「そういうシユ殿も疲れている」

 あらやだわ、と言ってから、シユは「帰りましょう」ともう一度、口にしてから、さっさとこちらに背を向けた。

 屋敷のどこかで鶏が鳴いている。



(続く)

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